kiitos
原材料はカカオ豆ときび砂糖のみ。海辺の学校でつくる個性たっぷりチョコレート
「Bean to Bar」という言葉をご存知だろうか。チョコレートの製法の一種として、カカオ豆の選別から、焙煎、製品化まで一貫して行うやり方だ。手間や時間がかかる分、カカオ農園の環境や農法といった素材と、作り手の考えが絡み合う、個性ある味と香りを生み出せる。もともと「Bean to Bar」はアメリカが発祥で、日本では徐々に専門店が増えているものの、まだまだ珍しい存在。それでも、一度味わえば鼻孔をくすぐるカカオ豆の香りにノックアウトされる人は少なくない。
鹿児島県の大隅半島の南東に位置する鹿屋市で作られる「kiitos」もそんな「Bean to Bar」のチョコレートの一つ。ただし、一味もふた味も個性的な存在だ。そもそもは福祉事業所「Lanka」を運営する大山真司さんが工場長の白坂純一さんに、他の事業所がやっていないことにチャレンジしよう」とチョコレート作りに注目したのがきっかけ。そこから知れば知るほど奥深いチョコレートの魅力に引き寄せられ、海辺の廃校跡を活用した体験型宿泊施設「ユクサおおすみ海の学校」内に、チョコレート工場を立ち上げてしまった。
楽しみ、慈しみながら作る おいしさの魔法にかけられて
チョコレートの製造過程は、ざっくりと以下のような行程に分かれる。 チョコレートの原材料であるカカオ豆の仕入れ→選別→焙煎→粉砕→選り分け→メランジャー→テンパリング→流し込み→パッケージング→製品
この中で、カカオ豆の選別と焙煎、選り分けまでの行程、そしてパッケージのイラスト制作は福祉事業所「Lanka」のメンバーが担当する。この日は、「kiitos」の仕掛け人でもある大山真司さんが事業所を案内してくれた。中に入ると、さっそくふた粒のカカオ豆を渡された。「これとこれ、嗅いでみてください」。一つは酸味を感じる香り、もう一つは甘い香り。見た目にはあまり差が無いのに、香りはまるで違う。 「豆によって香りが全然違うんです。面白いでしょう?」思えばこの瞬間、我々もカカオの魔力に取り憑かれてしまったのかもしれない。
入荷したカカオ豆を焙煎した後、Lankaでメンバーさんが粉砕、殻を丁寧に外して「カカオニブ」と呼ばれるフレーク状に形を変える。 「カカオニブ」ができたら、舞台は「ユクサおおすみ海の学校」内の工場へ。待ち構えていた工場長の白坂純一さんが、カカオニブときび砂糖をメランジャーと呼ばれる機械の中へ入れると、すり潰されてペースト状のチョコレートが出来上がる。 kiitosのチョコレートはカカオバターというカカオの油脂分は一切使用しない。カカオバターを追加してコクを出すところもあるが、カカオニブのみを使う。「カカオバターを加えると、どうしても舌に残ってしまう感じがして、イメージする味にならないんです」。素材はよりシンプルに、カカオの味わいを研ぎ澄ませていく。
メランジャーでペーストにされた状態は、チョコレートが溶けた美味しそうなイメージそのまま。メランジャーのフタを外した途端に放たれる凝縮されたカカオは、衝撃的にいい香りだ。思わず「これはたまらんですね」という感想が口をついて出ると、白坂さんがニヤリと笑った。 「メランジャーの中で香りが変わるタイミングがあるんですよ。いい香りになってきたなって時があって。それを感じると嬉しくなりますね。今作っているのはコーヒーなのでまだ優しい香りですが、もっと濃い香りのペルーなんかは、わざとフタを開けて香りを逃がしたりもするんですよ」 大山さんが「白坂くんはまるで子どもを溺愛するみたいにチョコレートを作ってるからね。思いがアツすぎて、どんどん変態化してるよ」とからかっていたのを思い出す。
kiitosでは、「チョコレートは産地ごとに食感の違いを楽しんでほしい」と「スムース」と「クランチ」の2つのタイプが用意されている。これは、特に素材や配合量の違いではなく、メランジャーにかける時間の差によるもの。通常は「スムース」として24時間かけるが、「クランチ」は1時間で引き上げている。「クランチはキビ砂糖のシャリシャリとした食感が残っている感じです。スムースになるととてもなめらか。同じ味なのに印象が全然違って面白いでしょう」
メランジャーによって膨らんだ豊かで官能的な香りは、繊細なテンパリングでさらに磨き上げられる。 「テンパリングは、チョコレートの温度を上げ下げしながら口溶けをよくするための作業です。チョコレートって結晶があって、それをうまく調整しないと固まってくれないんです。うちでは、完成済みのチョコレートをタネとして加えることで、結晶の調整を試みています。でも、このタネを入れるタイミングは温度が1℃、時間だと1分間違えただけで固まらなくなってしまうんです」
その後は、いよいよ大詰め。チョコレートをシリコン型に流し込んで固める。 テンパリングがうまくできると、冷蔵庫に入れなくても常温で固まるのだという。「作った後は一週間寝かせます。できたては少し若い、フレッシュな感じが残っているのですが、寝かせるほど大人の余裕の様な落ち着いた感じが出てくるんですよね。できたての方が好きという人もいらっしゃるから、まあその人の好みです」
固まったチョコレートをアルミとペーパーでパッケージングするのは、Lankaのメンバーさん。白坂さんと一緒に山の形をした独特のシルエットのチョコレートを丁寧に包む。
チョコレートを作る行程のうち、どこに一番気を使うかと工場長の白坂さんに問えば、「全部ですね」という答えが返ってきた。仕入れるカカオ豆は、各地の農園が収穫後に熟成させて送ってくるのだが、熟成期間や天候、気温などの影響で味わいは変わる。その後、焙煎の時間、メランジャーの温度一つとっても毎回同じという訳にはいかない。予想がつかない、だからこそ面白いのだと。 「カカオ豆は、赤道周辺の “カカオベルト”と呼ばれるエリア内のアジア、アフリカ、南米からそれぞれ1つの農園を選んでいます。香りも味もですが、決めてになるのは生産者の顔が見える農園であることで。顔が見えないと、どんな風に発酵されているのかもわからないですから。定番は、ガーナ、ベトナム、ペルー。ペルーはホワイトカカオという珍しい豆を仕入れています。あとは新作のドリニタードドバコも好評ですね。熟成の段階から毎年味が異なるんですよ。だから、『今年の味はこんな感じ』と味比べをするのも楽しいかもしれないです。ワインのボジョレー・ヌーボーみたいにですね」
自由なカカオを象徴するパッケージにもご注目
kiitosのチョコレートにはもう一つ大きな特徴がある。カカオ豆に負けないほど個性的なパッケージイラストだ。これは「Lanka」のメンバーがカカオ豆の原産地の特徴を調べた上で味見をして、イメージを膨らませて描くのだ。 例えば、ガーナは山の中の学校、ペルーはホワイトカカオの豆、コーヒーチョコレートは麻袋など、多様なモチーフをアートとして愛するファンが多い。 このデザイン作成もチョコレート作りの重要な仕事だと大山さんは語る。 「ここのチョコレートは福祉事務所が作っていることを前面に押し出すつもりはないんです。あくまでも、みんなで美味しいチョコレートを作りたい、たくさんの人に味わってもらいたいと思っています。でも、チョコレートを作りたくても、体の不自由なスタッフもいますし、全員が工場で作業できるわけではないし。代わりにイラストを採用したり、パッケージ用の紙を折ってもらったり、それぞれができることで関わってもらうようにしてます」
「kiitosはフィンランド語で『 ありがとう 」という意味です。買ってくれた人だけじゃなくて、一緒に作ってくれる人たちにもありがとうの思いを込めています」と大山さんはいう。ちなみに、福祉事業所「Lanka」はフィンランド語で「糸」の意味。 パッケージをひらいてひとかけ口に放り込む。口の中でゆっくりと溶けて甘みや酸味、苦味が入り混じった複雑な味わいが広がる。「ありがとう」と口にしたくなるような幸せな味わい。誰かとパキパキ割り分けながら、大事に食べたくなる、ご馳走チョコだ。 チョコレートはそもそも発酵品。寝かせるとさらに味が深まると教えてもらったけれど、果たして我慢できるかどうか。