遊び心から生まれたような、愛らしい納豆

[出品者情報]

納豆工房 大きな豆の木
大分県宇佐市安心院町

[商品]

  • 納豆(加工品)
  • きなこ(加工品)

遊び心から生まれたような、愛らしい納豆

箸でしっかりかき混ぜたら、まずは何もつけずに口の中へ。舌の上で潰せるほどにやわらかくふっくらした食感に、大豆本来の風味が口いっぱいに広がる。「納豆工房 大きな豆の木」の納豆だ。周囲一帯を山に囲まれた大分県北部の安心院(あじむ)町にある「イモリ谷」と呼ばれる一風変わった名の集落で、榑松(くれまつ)倫さん・美紀さん夫妻によってひとつひとつ作られている。

使用するのは、地元・大分県産の大豆「フクユタカ」。大粒で香り高いのが特徴だ。素材のおいしさを最大限引き出すために、圧力釜で2時間、大豆の旨味をじっくりと凝縮させ、「大きな豆の木」ならではのやわらかさを生み出す。その基準は、「親指と小指で潰せる」ほど。蒸し上がった熱々の大豆に納豆菌を振りかけ、おたまですくいながら手際よく容器に詰めたあとは、一定温度に保たれた「発酵室」で丸1日発酵させれば、納豆の完成だ。シンプルな行程だが、季節や気候に合わせて発酵温度や時間を調整するなど、菌が“生きている”からこそ放ったらかしはきかない。

と、こう文字にすればするほどに、真面目な表情で納豆作りに向き合う榑松夫妻の姿を想像してしまうが、「大きな豆の木」の納豆に愛着が湧いてしまう別の理由は、溢れんばかりの遊び心にある。こじんまりとした工房内には、たくさんの音楽CDと、娘2人が壁に描いた落書きの数々。発酵室にあるのは、古い冷蔵庫を改造し、家庭用ホットプレートなどと合体させたオリジナル発酵マシン。隣の直売所では、榑松さんが趣味で作ったというレトロかつアヴァンギャルドな看板と額縁に目を引かれる。きわめつけは、榑松さん本人がデザインしたという「豆から生まれた“菌”太郎」のイラストがあしらえられた納豆のロゴ。どこまでも遊び心に溢れた場所と、そこで作られた納豆だから、愛おしさもひとしお。味も、もちろん一流品だ。

img01

圧力鍋いっぱいに蒸しあがった大豆は、熱々のうちにザルに移して納豆菌を振りかける

img02

一粒一粒が大きくてふっくら。たれが付いていないのも「大きな豆の木」ならでは。醤油や塩など、「食べる人が好きなように味わうのが一番」と榑松夫妻。ちなみに、夫妻のここ最近のお気に入りは、もずくと合わせたり、シンプルにねぎやカラシと少量の醤油で食べるというもの

img03

容器に使用するのは、経木(左)と一般的な紙パックの2種類。「藁は雰囲気は出てもコストがかかるからやりません。だいたい納豆が高いといやでしょ(笑)」と榑松さん。紙パックの「“菌”太郎」イラストは、榑松さんがデザインしたもの

2年ごとの転職、なりゆきで始めた納豆作り

東京生まれ、東京育ちの榑松さんがイモリ谷で納豆作りを始めたのは14年前。ロストジェネレーション、いわゆる就職氷河期を代表する世代として就職難に見舞われた榑松さんだったが、桐たんすの販売会社や伊豆大島での製塩業など、伝統工芸や食への関心ごとから始めた職を転々とするなかでたどり着いたのが、この谷だった。

当時、イモリ谷は集落を挙げて大豆への集団転作に取り組んでいる最中で、営農組合も発足。個人で新規就農するよりリスクが少なく、国からの助成金も得やすかったことから、空き家だった古民家と納豆工房、そしていくつかの耕作放棄地を借りることになった。

大豆の栽培と納豆作りを主な生業にしながら、現在は、米、麦、野菜をはじめ、狩猟で仕留めた猪や鹿、味噌、醤油にいたるまで、自分たちが口にするものはほとんど自分たちで作るようになったという榑松さん。「お金で買うのは魚介類と油、あともやし」と笑って話す。

そんな彼にとっては「すべてがなりゆき」。数年ごとに「次は何をしようか」とたゆたうように生きてきた榑松さんのイモリ谷での暮らしも、気づけば15年目に突入しようとしている。「東京にはなかった“消費以外の楽しみ”が、ここにはまだたくさんあるから」。これが、榑松さんが長く腰を据えて納豆作りに取り組むひとつの支えとなっている。

img04

飄々と、ときおり冗談をまじえながら、納豆や自分のことについて語る榑松さん。とにかく「楽しくあること」が彼の話から伝わってくる

img05

手作り納豆の工房。この奥に直売所、そのまた奥に自分たちでつくった住居がある。

img06

工房周辺のいたるところに、ユーモアあふれるユニークな看板があった。

img07

榑松さん本人がデザインした納豆看板シリーズ「粘」。「粘ってる感じ、伝わりますかね(笑)?」と、榑松さん。

何に価値を見出すか

納豆工房の目前に広がるのは、見渡す限りの山と畑。この大きな自然の恩恵を受けながらも、あえてすべてを「有機栽培」にこだわることなく農作物を育てる。「有機栽培やオーガニックという“ワード”に固執してしまうと、見えなくなってしまうものもあると思うから。それよりも大豆の声、野菜の声、道具の声を聞いてみたい」と、オーガニックであることとないことの意味に純粋に向き合う。

そんな「大きな豆の木」の納豆の魅力は、オーガニックであることでも、すべてが手作りであることでもない。納豆を食べた人が「どんなところで、どんな人が作っているのだろう」と想像する“きっかけ”になることだと、榑松さんは言う。過度な消費社会や、一見価値のある言葉に囚われてしまうことで断絶されてしまう自然との“つながり”に気づきを与えてくれることなのだ、と。

目の前の山に住む猪を獲って捌いて食べること、目の前の畑で採れた野菜を調理して食べること、仲間と作った家に住むこと、自分たちが作った野菜と隣人の収穫物を交換すること……。イモリ谷では、自分たちの暮らしが無理なく等身大で目の前の風景とつながっている。それでも榑松さんは、「僕らは“なくなってしまうもの”の上に立って生きている」と話す。なくなってしまうものとは、農業や自然をひっくるめた、人間が自然を相手に生を営む行為そのもの。高齢化が進み耕作放棄地も増えている。そこに次の担い手はいないかもしれない。しかし榑松さんから感じるのは、なくなることへの絶望や残すことへの使命でもない。ただただ、その生を味わう悦びだけだ。

img08

榑松さんは、納豆、自家製大豆の他にも、きなこを作って販売している

img09

納豆は榑松夫妻が2人で作る。この日は夏休み期間中で、小学3年生の蕗(ふき)ちゃんも在宅。妹の蓬(ほう)ちゃんは、保育園で残念ながら不在。背後に飾ってある、榑松さんが作ったというシュールさとレトロ感が漂う黄色の額縁には、イモリ谷の航空写真が入っていた

img10

納豆工房の周辺は、見渡す限りほとんど山と畑。目の前に広がる耕作放棄地を含む田園風景と山を眺めながら、榑松さんは何を考えているのだろう

関連する記事