変わらないことが強みであり、誇り
変わらないことが強みであり、誇り
佐賀市内の中心部からほど近い工業団地に佇む『丸秀醤油』は、創業1901年(明治34年)とその歴史は100年以上。昭和初期は、長崎街道沿いの佐賀市伊勢町で醤油づくりを続けてきたが、音や匂いなど周辺の民家への配慮から、今の高木瀬町に移転したのが40年前。当時は、全国の多くの醤油蔵が自社での醤油醸造を止め、協業により効率化を図っていった時期だったが、『丸秀醤油』は、一貫して伝統的な天然醸造による醤油づくりを受け継いできた、佐賀県で唯一の醸造蔵だ。
直売所の扉を開けると、ふんわりと醤油の芳醇な香りが漂ってくる。出迎えてくれたのは、先代を継いで2017年に6代目となった代表の秀島健介さんだ。
現在市場で手に取る醤油のほとんどが、組合でまとめて作られた生醤油をベースにしたものを、それぞれの醤油蔵で調合し、オリジナルの商品として出荷されるという流れだ。一方、『丸秀醤油』では、昔ながらの天然醸造で製造する。短期熟成が主流の中で、2年かけて熟成させているのも大きな特徴だ。
さっそく秀島さんに蔵の中を案内してもらいながら、看板商品の「自然一醤油」を作る工程について話を聞いた。「原料はできるだけ地元のものを使っています。佐賀・長崎県産の減農薬の大豆と、佐賀平野で採れた小麦は良質なタンパク質を含んだものを厳選。醤油の甘みとコクのもとになる小麦はたっぷりと使う伝統製法です」と秀島さん。蔵の床は気を付けていないとツルツルと滑る。これは大豆から出た油分とのこと。一般的には大豆から油分を除いた脱脂加工大豆が使われているが、『丸秀醤油』では、じっくりと成分を引き出す、油分を取り除かない丸大豆を使用している。その丸大豆を職人が五感をフルに使って、蒸気の色や香りで判断しながら蒸煮釜で蒸す。小麦も天候や季節によって焙煎機で絶妙な火加減を調節しながら、丁寧に炒っていく。
醤油づくりで最も重要となるのが、蒸した大豆と炒った小麦、それに麹を混ぜて蒸気釜で3日間、麹菌を育てる作業だ。この3日間が美味しい醤油になるかどうかの分かれ目になる。温度や湿度、空気量を調節できる密閉した部屋で、変化する香りや菌糸の伸び具合、繁殖する時の発熱を注意深く観察しながらコントロールする。麹菌が窒息しないように風を送ったり、菌糸をほぐして風通しをよくしたり。まるで子育てのような小さな変化を見落とさない観察力と愛情、そして長年積み重ねた勘が必要なのだ。
微生物だけで発酵させる2年の熟成期間
次に案内してもらったのが、醤油を熟成させる別の蔵。壁も天井も真っ黒で、醤油が入った28本の巨大な樽が並ぶ様子は圧巻だ。麹菌に長崎県産の天日塩を使った仕込み水を混ぜ込み、ここから2年間熟成させる。「微生物が繁殖しやすい夏を2回経験させる伝統的な方法です。室温も調整せず、菌の添加も一切行いません。すべて蔵の壁や天井に住みついた微生物だけで発酵させます」。
たくさんの微生物が、暑い夏に活発に働き、寒い冬に休むという繰り返しによって発酵が進み、小麦のデンプンが甘味へ、大豆のたんぱく質が旨味へと変化していく。「醤油づくりは微生物が主役。私たちにできるのは、麹菌、乳酸菌、酵母が、伸び伸びと生活できる環境を準備してあげることだけです」と秀島さん。父親の代の頃、蔵の移転後すぐには菌の環境が整わず、せっかく作った醤油を廃棄したことも。昔の蔵の壁を運んできたり、もろみを壁に撒いて菌をつけたりなど、今の状態になるまでとても苦労したという。
2年の熟成を経た後は、自家製の甘酒を混ぜて程よい甘みを加え、まだ粒が残った状態の醤油を布に包んで絞る。加熱殺菌と調合をして、やっと完成という長い長い道のりだ。「自然に任せることが多い分、時間はかかりますが、多くの微生物が関わり合うことで、醤油の複雑な味わいやリンゴ、バラ、コーヒーと同じ香り成分を含んだ300種類以上の香りが生まれます」。九州の醤油は甘いと言われるけれど、「自然一醤油」はほんのりと甘みを感じるくらいで、全体的にスッキリとした印象。一番わかりやすいのがタイやヒラメなど淡白な魚の刺身で、それぞれの魚の美味しさをくっきりと際立たせる。また、煮物に使っても醤油の味が前に出過ぎず、肉や野菜など使う食材によって幾通りもの美味しさを生み出してくれる。
佐賀で知らない人はいない醤油屋を目指して
今回、皿の上の九州で紹介するのは、「自然一醤油」ともうひとつ。そのネーミングからそそられる「自然一®佐賀海苔®とろとろしょうゆ」だ。有明海の海苔の風味を残すようにやさしく煮詰め、自然一醤油と本みりんでまろやかな味わいに仕上げたトロトロネバネバ好きには外せない一品。納豆や豆腐、卵かけごはんも、上からかけるだけでいつもと違った美味しい発見があるだろう。
他にも、100種類以上もの商品を手がける『丸秀醤油』では、赤米、黒米、あわ、ひえなど十種類の国産穀物を使い、それぞれの雑穀自体に麹菌をつけた深みのある味わいの「十穀味噌」、それをカリッと香ばしいふりかけ状に仕上げ、料理の仕上げや隠し味として使える「ミソフル」、まだ世間で話題になる前からキヌアにも着目し、アレルギーの人向けに「キヌア醤油」や「キヌア味噌」なども製造販売している。
「地元のおばあちゃんに『ちっちゃな頃から丸秀さんの醤油を使ってるよ』と声をかけてもらうこともあります。これも創業からの先代や職人たちが努力して、変わらない醤油づくりを続けてきた証だと思います」。老舗のプレッシャーを感じることもあるだろう。でもそう語る秀島さんは少し誇らしそうに見えた。
最近では、もっと多くの人に『丸秀醤油』のことを知ってもらいたいと、地元の小学校や県外に出向いて醤油・味噌作りのワークショップを行ったり、飲食店からの依頼で醤油やタレの商品開発をしたりなど精力的に活動している。『丸秀醤油』はこれからも、醤油づくりの技術を絶やすことなく、次の100年を見据え、真摯に、謙虚に、丁寧に醤油作りを続けていく。