錦江湾の海水を炊き、天日でゆっくり仕上げる塩
錦江湾の海水を炊き、天日でゆっくり仕上げる塩
できあがったばかりの塩を、ほんの少し手に取りなめてみる。しっかりしょっぱい。でも、後味にじんわりと甘みが広がる。錦江湾から汲んだ海水を、じっくり3、4日かけて煮詰めてつくる、それがしょっぱいけど甘い「錦江湾 にしきの塩」だ。
姶良市の住吉という、錦江湾から車で15分ほど北に進み田園風景を抜けた小高い丘の中腹に、黒江学さんが自宅兼作業小屋でつくっている。甑島の塩つくりの師匠から教えてもらった、塩を釜で煮詰めて、乾燥させるというシンプルなやり方を、変えることなくそのまま受け継ぎ、材料は海水のみ。海水は底が見通せるほどクリアな水質を持つ錦江湾に汲みに行くが、山からの滋養豊富な水が流れ込む竜ヶ水という平松神社に見守られる場所にこだわっている。わざわざ山の作業小屋まで運ぶのは、黒江さんの「山と海はつながっている。このつながりを大切にしたい」という想いが込められているから。汲んできた海水は、鍋に入れ約4日間ずっと炊き続ける。作業小屋の外に造られた炊き口から薪を入れるが、薪は古い家を壊した時に出る廃材を使用。昔の家には上質な木材が使われているため火の持ちがいい上、環境の循環も意識できる。こうして1000リットルの海水を炊き、表面に浮いている不純物の結晶を丁寧に取り除きながら、100リットルぐらいまで濃縮させると、琥珀色になってくる。これが、塩ができあがるサイン。塩をすくって「塩てご」という竹で編んだ円錐形のザルに入れて、天日で約3日間乾燥。山の塩小屋で炊いて煮詰め、自然の風と天日のみで乾かす「海生まれ、山育ち」、薪の火と木々を抜ける風と、太陽の力だけで作った塩が完成する。シンプルだからこそ、海のミネラル分を感じる後味に甘みが広がる塩になる。
いいと思った感覚と縁で結ばれ今がある
大好きな母が病に倒れ、仕事と介護を両立するために脱サラをした黒江さん。母から、祖母が釜で海水を炊いて塩づくりをしていたという思い出話を聞き、母と一緒にできればと塩づくりを思い立つ。行きつけの理容室のマスターに、塩作りを始めたくて大きな鍋を探していると話すと、後日大きな鉄鍋が見つかったと連絡があり、塩作りを始める好機だと試作をスタート。しかし、ただ海水を煮詰めただけでは、とてもおいしいといえるものにはならない。悩みながらネットで検索すると、直感でこの人に弟子入りしたいと思える人の情報が目に入る。すぐに連絡を取り、翌日には師匠となる有馬新七さんを訪ねて甑島の土を踏んでいた。「電話で塩づくりを教えて欲しいと話すと、甑島に来たら教えるよと言われたんです。だからすぐ行こうと思って」と黒江さん。有馬さんから塩づくりの基本となる、不純物を取り除くこと、竹で編んだ円錐形のざる「塩てご」を使うことなどをいろいろなことを教えてもらった。「師匠の下で最後に作った塩を見てもらった時、できの良し悪しを判断してもらいたかったんですが、自分が良いと思うものをつくりなさい。自分しか自分の塩のことは分からないと言われました」。以来、自分がいいと思う塩か?を問い続けている。
少ない予算でスタートした塩づくりだが、作業小屋の塩炊きかまどは、現代の名工にも選ばれた左官職人の本多暢吉(とうきち)さんが、黒江さんの熱意を知って協力。小屋のコンクリート左官をシルバー人材センターに依頼した際に、本多さんが参加していたことで実現したものだ。また塩てごは、地域で竹細工を作っている柚木一徳さんにお願いして作成してもらうことができ、薪は知り合いの住宅解体業者から分けてもらえるようになった。さまざまな縁に恵まれて「錦江湾にしきの塩」の完成までこぎつけた。「実は、一番に見せたかった母は、塩づくりをはじめて最初の取引先が決まりそうというときに他界しました」と黒江さん。悲しみを糧に、塩づくりを続けて5年たち、最近では塩作り体験の希望や小学校からの塩作り講座の依頼などが増え、ご縁のつながりに感謝しながら、県内外をあちこち駆けずり回っている。
大切な人と、大切な時に
黒江さんは、塩づくりについて教えるワークショップや、製造所での塩づくり体験なども行っている。子どもの持つ好奇心や発想力、発信力を引き出してあげたいという思いが根底にある。塩づくりを学んだ後はもちろん、塩をおむすびやスイカなどにつけて、味を確かめてもらう。塩づくりを通して面白い人からこんな話を聞いた、こんな塩の味がしたという記憶に残れば、家族と会話をするきっかけになる。「塩という調味料が、思い出をつむぐための人生の調味料になればと思っているんです」。黒江さんの塩は、“大事な時に、大事な人と食事を囲むための調味料”なのだ。また、作業小屋での体験では、山に竹を切りに行き、火吹き竹からつくり、普段したことがないような経験をさせている。自分でつくった火吹き竹が大事すぎて、ずっと手放さない子もいたぐらいだとか。黒江さんが塩づくりに欠かせない釜戸は思い入れ深い場所だ。母親から風呂の薪を炊きながら「火遊びをすると妖怪『ケンムン』が出てくる」からと、火の取り扱いの大事さを教えてもらった思い出があるからだ。妖怪ケンムンの話をはじめ、釜戸で火の番をじっくりするからこそ、いろいろな会話がはずむ。「塩」を中心にした体験や会話が思い出になり、家族で会話するきっかけにもなると信じている。
最近、黒江さんはある神社からその地域の海水を使って、お祭りにお供えする塩をつくって欲しいと依頼された。会社によっては、1回の製造で800㎏を作るところもあるが、黒江さんは、1回で30㎏という小ロットでの製造。そのため、ご当地の海水を使っての塩づくりもかなえられる。今後、ご当地の海水を使った塩づくりの依頼も増えそうだ。黒江さんの想いが縁をつないで、次の塩づくりの可能性や新しいプロジェクトを呼び始めている。