2014.07.03 up
一話 “たまたま”生まれた器
福岡市内から車を走らせること約30分。目の前にこじんまりとした棚田が広がる山間に、木工作家・村上孝仁さんの自宅兼アトリエ「村上レシピ」がある。古い引き戸の玄関から中に入ると、土間の奥に広がるのは床張りの展示スペースだ。木の柔らかい香りに包まれるように、家具を中心に、ランプ、器、カトラリー、おもちゃなどが並ぶ。そのどれもが、古い民家に溶け込み、空間と一体となっている。ひとつひとつの派手さに欠けるといえば聞こえは悪いが、その素朴さが見ていてなんとも心地よい。
クロガネモチでできた器を手にとってながめていると、「それは端材で作ったんですよ」と村上さん。聞けば、器をはじめカトラリーや雑貨など、大型の家具以外は端材から生まれたものが少なくないという。そのとき手元にあった木材の種類、木目、大きさ、厚み、幅に合わせて作る。こうして偶然から生み出された器やスプーンは、村上レシピの人気作にもなっている。
「こういうデザインのものを作りたくて作ったというよりも、たまたまこの木材、この大きさだったからこの形になった。なんとなくそのときの流れで作品ができることのほうが多いですね。それに端材とはいえ捨ててしまうのはもったいないから」。村上さんは作品についてあれこれ尋ねる私に、穏やかながら芯のある口調で説明してくれた。
端材から作られたクロガネモチの器。ノミで削った跡を敢えて残して模様のような仕上がりに。
端材や流木を彫ってコケシに。一体一体の表情から村上さんの遊びごころが見えるのが愛らしい。
照明器具や棚などは、鉄素材と組み合わせたものも多い。
脱サラ、独学からのスタート
瀬戸内海の小さな島で生まれ育った村上さんは、進学とともに福岡に移住。大学卒業後は広告代理店で営業の仕事に就くも、「自分の責任じゃなくても謝ってばかりで……。そういうのがあんまり向いてなかったんでしょうねえ」と、2年ほどで退職した。
木工の世界に進むことは全く考えていなかった当時、さて次は何をしようかと思いながら、インテリアや雑貨が好きなパートナーの麻衣さんに木製の棚を作ってみた。その家具を思った以上に喜んでくれたことが、本格的に取り組んでみようかと思う入り口になったという。そうして、一時は弟子入りも考えて木工所の門を叩くも、「大学まで出て家具づくりなんてやめとけ、金にならんぞ」と断られることもあったと、笑いながら当時を振り返る。
それでも「どこかで“自然”とかかわることを望んでいた」という村上さん。住んでいた福岡市内のアパートをアトリエ代わりに、日中は木工作業、夜はアルバイトをしながら制作を続けてきた。そのうち、知人の雑貨店に作品を置いてもらえるようになり、少しずつ職人としての仕事が増えていった。
ブナ、ナラ、オーク……。アトリエには様々な種類の木材が保管されている。今は海外産のものも多いが「地元の木も増やしていきたいですねえ」と話す。
トレイ制作中。木は温度や湿度によって変形するので、削っては寝かせ、再度削っては寝かせ……の繰り返し。皿一枚だとて時間がかかる。「気持ちのいい状態に寝返りを打つようなもんですかね」と村上さんらしい例え。
誰にも師事せず、学校で習得した技術もない村上さんにとって、家具づくりはすべて独学。「今考えると、売り物にはならないものもあったけど、無知だったからこそ面白いものもできた」のだとか。しかしそれも村上さんにとっては、無理な創意工夫を重ねるのではなく「右に左に流されながら作る感じ」だ。
「それは今でも変わってないです。「こういうものを作ろう!」という“自分の気持ち”が先にあるよりも、その時の状況とか周囲に合わせてなんとなく作る。で、仕上がったらこうだった、というものが多い」のだとか。