2015.09.03(木)
需要と供給では決まらない、自分なりの価値を見いだす
山内 野菜を育てる過程には、私たちが知らないことがたくさんあるんですね。
富松 そう思います。僕は「育てる」という言葉にも少し違和感があるんですよ。野菜は命のある生き物なので、僕らが育ててやるというより、勝手に生きて成長していくものです。僕らはそこに立ち会わせてもらう、という感覚なんです。
山内 なるほど。農業の歴史は、大量生産するためにいろんな技術が発展してきたわけですが、野菜というのは生き物だから、合理化して均一なものを作ろうとしても無理がある。そういうあぶれてしまうものの物語やプロセス、農家さんの考えを、富松さんは野菜を通じて伝えようとしているんですね。物を調達して、それを右から左に売るのではなく、お互いの物語や営みそのものを伝えて、買い手もそれに納得して買ってほしいと。
富松 そのとおりです。きつい表現になってしまいますが、「生産者をナメるな!」というのも伝えたいことのひとつですね。もうちょっと安くないといやだ、もっときれいじゃないと買いたくない、といっても、野菜は命なわけだから、ある程度仕方ないんです。こういう意見が強くなると、生産者側も「農薬を使ってきれいに作らなきゃ」とか「どうせ消費者は安くないと買わない」となってくる。それもおかしい。一人の選択から好循環を生んで、いい世の中にしていきたいと思うんです。
富松さんが考える、よりよい社会のあり方。感謝の気持ちや感動が、善のサイクルを回していく
山内 なるほど。このサイクルを、実際にお店で野菜を売りながら、お客さんに伝えていくんですね。
富松 ええ。伝えられるのは野菜だけじゃないんです。例えば、僕の店で使っている運搬用の箱は、木の板を加工して自分で作った物なんですよ。余った廃材を角取りして、ニスを塗って、お店のロゴを入れて。店に来た子どもたちが「これなあに?」と聞いてくれたら、「お兄ちゃんが自分で作ったとよ」って言うんです。
これは、家の庭で積んできたローズマリーで作ったリースです。めっちゃいい香りがするんですよ! 余ったものや使えないと思うものでも、誰かにとっては大切なものになるし、命の過程を楽しむことを伝えたいなと。
山内 お金のやりとりとは関係ないところでも、伝えられるわけですね。
富松 物の価値って、需要と供給のバランスで価格が決まってしまいますけど、本当は違うと思うんです。例えばこのペンが誰か大切な人にもらった物であれば、ブランド物の高級万年筆よりも、僕の中での価値は高い。そういうふうに、来てくれるお客さん一人ひとりにとっての価値を伝えたいんです。
食べ物を作ってくれる「誰か」に想いを馳せる
名刺の裏に書かれている、富松さんの宣言。迷った時に立ち戻る原点でもあるとか
山内 経済活動は「人・物・金」が回っていることとよく表現されますが、富松さんは、回っている物にくっついている思いや価値に注目していますよね。需要と供給によって決まる一般的な物事の価値とは別のところで、僕とあなたという関係性の中で、回るものがある。さっきのスライドのGマークのように、ハッピーが広がっていく。それもひとつの経済のあり方ですよね。
富松 そうなんです。
山内 今日の話を聞いていて、コトバナ3回目でゲストに来てくれた「ONIBUS COFFEE」の坂尾さんの話を思い出しました。オーストラリアでは人々がサードウェーブコーヒーの店を支持した結果、スターバックスが撤退を余儀なくされたというエピソードがあったんですね。これも買い手の意識が状況を変えたわかりやすい例だと思います。一人の選択が世の中を作るという富松さんのメッセージも、まさにこういうことですね。
富松 おっしゃる通りだと思います。ありがとうございます。
山内 では最後にひとことお願いできますか。
富松 はい。名刺の裏にも書いているんですが、僕はいつも、ありのままの自分でいたいし、皆がそういられる世の中がいいと思っています。前職では精神的にきつかったりして、ありのままで生きられない息苦しさを感じることもありました。でもいまは、細々とでも自分のやりたいことができて、本当に幸せです。「あなたがただ生きているだけで、必ずあなたの食べ物を作っている誰かがいる。あなたの生活が誰かによって支えられているように、あなたも必ずどこかの誰かを支えている」。そんなことを、野菜を通して伝えていければと思っています。
山内 ぜひみなさんも富松さんのお店に行かれてください。今日はありがとうございました!
会場ではこんな質問がありました
Aさん 自分も有機農業を始めて10年になりますが、少し疲れたところもあって、今年はお米づくり以外を少しお休みしています。実際のところ、富松さんは、八百屋の仕事だけで食べていけてますか?
富松 いや、それはまだできていないんです。農家さんのお手伝いをさせてもらっているんですが、夏は作業が少ないので、プールの監視員のバイトで生活費を支えています。
Aさん そうなんですね。開業前にしたシミュレーションでは、もっと売上が上がる予定だったんですか?
富松 最初はいろいろと計算していたんですが、途中でイヤになってしまって。自分は想いを大事にして八百屋を始めるのに、売上のことをシビアに考えていたら、だんだん本末転倒な気がしてきて。
Aさん なるほど。僕も最初は熱い気持ちで農業を始めたんですが、だんだんと現実に引き寄せられていったところもあります。
富松 そういう農家さんがたくさんいるのをたくさんみてきました。一生懸命作ってきたのに、続けられない状態になってしまうこともある。それを思うと悔しくて涙が出ますね。この現状は僕らが作ってしまった現状でもあるので、何とか変えていきたいと思っています。
Bさん 母親が食育に熱心で、小さい頃から無農薬のものをよく食べていました。ポテトチップスも味が薄かったりして、昔はそれがすごくイヤだったんですが、その選択がいまの私の身体を作っていると思うと、感謝したいと思っています。富松さんのお店に、早く行ってみたいです。富松さんは、野菜の販売を通じて愛を伝える、愛のコーディネーターなんだと思いました。
富松 照れます(笑) 僕は1円たりとも値引きをしないんですね。それは農家さんから預かった価値を、僕が勝手に低めたりはできないと思っているからなんです。「売れ残った野菜があったら、ウチが2割引きくらいで買い取ってあげるよ」と声をかけられたこともありましたし、実際に売れ残りがなくなるのは僕としても嬉しいんですが、やっぱり割引はできなくて、お断りしました。価値あるものをそのままの価値で、愛あるものを愛ある形で、伝えたいんです。
Cさん 2ヶ月くらい前まで東京でデザイナーをしていて、結婚のために福岡に戻ってきました。今日お話を聞いていて、普段食べている野菜の背景にこんな苦労があったのかと、驚いています。デザインの仕事でも、誰にも気づかれないような小さなところに気を配って作っているので、デザインすることも野菜づくりも同じことなんだと身に染みました。
富松 おっしゃる通りだと思います!
山内 かけられた労力、技術が、適正に評価されて価格や報酬に反映されているかも、重要ですね。
富松 そうですね。よく思うんですが、「便利」という言葉が便利に使われ過ぎているんじゃないかと。例えば、「便利」という言葉を「省き」に置き換えてみると、「電子レンジは省けるよね」となります。その、省いてしまったところに、本当は必要だった手間ひまがあるかもしれない。だから、電子レンジはもっと高くてもいいと思うんです。昔はかまどの番をして、人手がかかって、太陽や季節との関係もあって、それで火をおこしたり物を温めたりしていた。そこにかけられた労力や価値を考えると、電子レンジは1,000万円くらいしたっていいし、それだけの価値を感じなければ買わなければいい、と思います。
コトバナ編集後記
淀みなくいろんなエピソードが出てきて、話が上手な富松さん。ご自身の率直なお人柄と熱い想いも加わって、聞いていると、熱にほだされてきます。富松さんが売る野菜なら買ってみたいし、きっとおいしいに違いない。そう思わせてくれるお話しでした。(佐藤)