4月の穴バーは、熊本は水俣からオーガニックセレクトショップ『もじょか堂』の代表澤井さんと、食べ物つきの季刊誌『水俣食べる通信』編集長の諸橋さんをお招きして、「水俣食べるバー」を開店いたしました!
前日に熊本県を中心とする震度7の地震が起こり、余震も続く中、下道を7時間もかけて来てくださったゲストのお二人。何よりご無事であったことに安心しました。
お二人が普段活動をされているのは、熊本県と鹿児島県の県境にある水俣市。
不知火海に面した海岸を山から見下ろすと景色がとても美しく、海と山の幸に恵まれた食の豊かなまちです。
そんなお二人のお話を聞きたいと、会場には県外からもご来店が! まずは水俣の食をたっぷり使ったお料理を味わいます。
まずお話してくださったのは、「伝えたいことがあったので」と静かに熱くおっしゃる『もじょか堂』代表の澤井さんです。
水俣生まれ熊本育ちの澤井さんですが、はじめはご自身のことを水俣出身であると表立って言えなかったといいます。
それは水俣のことをよく知らなかったこと、水俣病に向き合っていなかったことが原因だったと振り返ります。
そんな澤井さんが水俣の食を伝えたいと思うようになったきっかけは、
水俣の農家さんや漁師さんが「水俣出身だよ」「水俣はいいところだよね」と地元を誇りに思って堂々としていた姿に感動し、「この水俣を知ってもらいたい」と感じたことからなのだそうです。
澤井さんのお話を聞きながら、そういえば私の中の水俣も、教科書の中に書かれているマイナスイメージのままだったなあとはっとしました。参加者さんの中には、「今の水俣を知りに現地へ行きたい!」という方も。澤井さんの思いが伝わったからこそ私たちの思いも動かされたように感じます。
食の問題が起こった水俣だからこそ、食で水俣の未来をつくっていきたいという澤井さん。
それができれば、世界も変えられるほどのインパクトがあるんじゃないか?
そんなアメリカンドリームならぬミナマタンドリームをみんなで叶えたい!一緒に未来をつくろう!と、笑顔でトークをしめくくり。
水俣のことを応援してください!とのお言葉に、みなさん拍手でこたえました!
さて、お次のトークを担当するのは『水俣食べる通信』編集長の諸橋さんです。
定期購読で発行される食べ物つきの雑誌『食べる通信』は、私たち食べる人と作る人とをつなげるしくみです。
食べる通信の誌面には、届ける食材の生産者さんがどのような方で、どんな思いを持って作られているかなどがぎっしりと書かれています。
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■水俣食べる通信立ち上げの紹介をしたアナバナチューンの記事はこちら
https://anaba-na.com/11097.html
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食や環境にしっかりと向き合い、安全なものや旬なもの、環境にやさしいものなどに気を遣うことは大切ですが、なかなか普段から気にかけておくのは難しいのも本音です。
そういった日常に、3ヶ月に一度届く『水俣食べる通信』を目にして、「『そうだそうだ、ちゃんとしよう』と毎日を思い直す体験をしてほしい。そしてこの通信を通して、水俣を盛り上げたいと思う仲間を増やしたい」と諸橋さんは言います。
なんでも、水俣食べる通信には、全国各地の食べる通信と二つの異なる点があるそうです。
一つは、表紙が生産者さんであること。
二つ目は、その生産者さんの年齢が高めであること。
その理由は、「みなまた食の恩返し」という水俣食べる通信のテーマにあります。
水俣病の患者さんが公式に確認されて今年で60年。
この60年の間に漁業や農業など食に向き合って来た人たちの姿を残し、その方たちの考えを伝えたいとの思いで、このような編集をされているそうです。
だからこそ違いが生まれていると聞き、全国の食べる通信の特徴も知りたくなりました。
毎号特集される生産者さんは出会いと直感で決めているとのこと。
「水俣のことを全然知らない僕が聞きづらいことを聞くのは、毎回どきどきする」と諸橋さん。
それでも、生産者さんの思いを食べる通信にのせて形にしていくことで、回を重ねるごとに水俣の食のあり方が立体的にでてくるのではとおっしゃっていました。
そんな諸橋さんにもまた、ミナマタンドリームを叶えようとしている熱いエネルギーを感じました!
ちなみに諸橋さんいわく、水俣食べる通信の読者の6割は水俣にお住まいの方なんだとか。会場のみなさまは、その意外な内訳に驚いていました。しかしながら、今回の穴バーの影響で福岡県民の占める割合がアップするかもしれませんね!
次回の穴バーレポート後編では、田村さんのヒオウギ貝や高橋さんの甘夏を使ったお料理たちと会場の様子をご紹介いたします!
▷レポート後編はこちら
(編集部/天野)