熊本県の南端に位置する水俣市は、山と西に広がる不知火海に囲まれた自然豊かなまち。今回、そんな恵まれた環境の中で育まれる魚貝や無農薬の甘夏みかん、古代種のお茶など、新鮮な旬の生産物と、それをつくる生産者の物語を一緒に届ける季刊誌『水俣食べる通信』が、12月に創刊されるということで、編集長の諸橋さんに会いに行きました!
地方に住む生産者と都市に住む消費者とのあいだの“距離”を縮めるため、2013年に東北からスタートしたというこの『食べる通信』。リーグ制で徐々に全国へと広まり、今や17にのぼる地域でご当地『食べる通信』が発行されています。ちなみに水俣は19番目の地域だそうです〜。
12月より3ヶ月に1回のペースで発行される『水俣食べる通信』の編集長をつとめるのは、水俣市在住の諸橋賢一さん。この日も、「作る人と食べる人とをつなげたい」と、力強く話してくださいました。
東京で生まれ育った諸橋さんは、食への関心から農業大学に進学。卒業後は農薬メーカーに就職したそうです。さまざまな農業現場に足を運ぶうちに、大規模化していく農産業や、農薬を否定するのが難しい現状へのジレンマがふくらんでいったといいます。転機となったのは、入社11年目の転勤で福岡に来たこと。大学の同級生の故郷が水俣だったこともあってたびたびこの地を訪れるようになり、町おこしコミュニティなどにも参加するうちに、水俣の豊かな自然や食文化、そして住む人々の魅力に惹かれていったのだそうです。
2011年の東日本大震災後は、ボランティアとして岩手や福島などの被災地に十数回にわたり足を運んでいたという諸橋さん。そんな支援中に出会った『東北食べる通信』編集長の高橋博之さんとの縁もあり、「地域に貢献できる仕事がしたい」という想いがますます大きくなっていたのだそう。
そしてとうとう今年の1月、12年間働いていた会社を辞めて、奥さまと一緒に水俣に移住してこられたそうです。現在は水俣のオーガニック食材を取り扱う販売店「もじょか堂」の社員さんとして働いておられます。「もじょか堂」さんは、『水俣食べる通信』の発行元でもあるそうです。
「水俣病も福島の原発事故も、構図は同じ。僕たちが便利な生活を求めるその裏には大きな犠牲があると知りました。水俣病を経験した水俣だからこそ、今の日本に届けられるヒントがあるのではないかと思っています」と諸橋さんは言います。
3ヶ月に一度発行される『水俣食べる通信』には、水俣の旬な食材が毎号特集記事として取り上げられるとともに、その一品が添えられて読者のもとに届くそうです。ちなみに記念すべき第1号は、緋扇(ひおうぎ)貝漁師の田村辰紀男さん。
諸橋編集長のお話で印象に残ったのがこんな言葉。
「『食べる通信』は、あくまで道具。鍬(くわ)みたいなもので、人と人を混ぜることで新しい芽が生まれて、植物が育っていく。これからさき『食べる通信』が仮になくなっても、新しい芽をたくさん育てておけば、水俣がいきいきとした場所になっていると思います」
諸橋さんのアツイ想いがようやく実った今回の創刊。申し込みは『水俣食べる通信』の公式サイトにて絶賛受付中です。『食べる通信』についての情報は、随時facebookでも公開されています。ぜひチェックしてみてください!
(文/堀尾真理)
『水俣食べる通信』公式サイト □http://taberu.me/minamata/index.html
『水俣食べる通信』facebook □https://www.facebook.com/taberu.minamata/?fref=photo