インタビュー

谷筋の集落が動きだす。 〜時間はないけど一歩ずつ。「ひめはる」進化中!〜前編

谷筋の集落が動きだす。〜時間はないけど一歩ずつ。「ひめはる」進化中!〜

2015.03.27(金)

福岡県南東部の筑後地方に位置し、柿やぶどうなど果物の豊富な里としても知られるうきは市。その山間部に、つづら棚田や茅葺き民家など、日本の懐かしい山里の風景が残る「ひめはる」集落がある。過疎化が進むこの地域で、今、地域住民と行政が力を合わせて地域の活性化に力を注いでいる。空き家を活用したプロジェクトや、地元の野菜を活かした加工品など独自の取り組みで、将来的には外からの人が定着できるような仕組みを目指す。難しい現状にも前向きに、「ひめはる」という場所だからこそできる地域づくりに取り組む”うきプロ”の3人に話を聞いた。

米川更生(よねかわ こうせい)
「うきは市『都市と山村交流』プロジェクト協議会」(通称:うきプロ)会長。
熊本出身、福岡の民間企業に務めていたが、早期退職。田舎暮らしを実現するために九州各地を回っていたときに、「ひめはる」の美しい棚田に魅せられて10年前に移住。以来、この地域を支える活動に力を注ぐ。「うきプロ」で都市との交流により協力体制を確立したり、共同活動を行いながら、地域活性化に取り組んでいる。「癒しの旅先案内人協会 森林セラピー」の旅先案内人でもある。
高木亜希子(たかき あきこ)
千葉県出身。12年前に夫の故郷である浮羽町に移住。2児の母。2015年3月まで筑後地域雇用創造協議会「九州ちくご元気計画2」実践支援員として活動。うきはの山の手で自然養鶏「ゆむたファーム」を営みながら、うきはの食を楽しむ会や山村で遊ぶイベントなど、地域の人たちと外部の方の交流の場づくりや、ちくごのヒト・モノの発信も積極的に実践中。
熊懐真孝(くまだき まさたか)
福岡県うきは市 農林・商工観光課 山村振興係
うきは市浮羽町出身、大学卒業後、うきは市に戻る。市役所職員として、うきは市の中でも半分の面積にあたる山間部を担当。都市部からのお客さんと地域の人たちが交流する部分等のサポートでは、地域に負担をかけない仕掛けづくりを心がけている。マウンテンバイク好きが集まっての、山道コースづくりが最近の楽しみ。趣味は「人と関わること」。

モヤモヤを突破する“束ね役”

うきは市の市街地から車を走らせることおよそ15分。山あいに日本の原風景が今でも広がる一帯がある。山里「ひめはる」は、人口500人余りの小さな集落だ。
雨のなか、車も人通りもほとんどない谷筋の一本道を山の奥へと突き進み、目的地の農家民宿へとたどり着いた。車を降りると、山特有のキリッと澄んだ空気が身をつつむ。
「ひめはる」集落は、浮羽町の新川(にいかわ)と田篭(たごもり)地区を合わせた地域で、名水百選や、棚田百選など、4つの「全国百選」に選ばれる自然豊かな山村だ。山の斜面に広がる石垣の棚田は約400年の歴史を持ち、その周囲に点在するのは、昔ながらの茅葺き古民家。市街地からほんの数分山に上がってきただけだが、想像以上に奥深い。ここで一体どんな取り組みが行われているのか、いささか不安も覚えつつ、興味が湧いてくる。

過疎化を食い止めるべく、数年前から活性に向けて取り組んでいるのが、「うきは市『都市と山村交流プロジェクト協議会』」、通称「うきプロ」(※)だ。実はこの地域での活性化に向けた動きは以前からあったが、自治体、地元住民、教育機関など、それぞれが個別に活動していた。一体となった取り組みができれば、より大きな効果が期待できるのではないか、そんなモヤモヤとした思いを突破しようとスタートを切ったのが、組織の“束ね役”として、また地元住民や外からやってくる人たちの“窓口”として設立された「うきプロ」だ。
この日、お話を伺ったのは「うきプロ」会長の米川更生さん、うきは市役所職員の熊懐真孝さん、そしてアドバイザーとして多方面から「うきプロ」をサポートする高木亜希子さんの3人だ。

全国的に見ても、農村や山村地域の自治体は過疎化や高齢化といった問題に直面しているが、「ひめはる」もまた然り、である。人口の4割は65歳以上。主力産業である林業も、木材価格の低迷により衰退の一途をたどり、林業に携わる人たちは減っていく一方だ。そんな矢先、2013年に北部九州を襲った集中豪雨。「ひめはる」を含むうきは市も大きな被害を受けた。道路が寸断され、孤立した民家。洪水によって崩壊した棚田。この水害によってふもとの集落に下りた人たちもいる。2年半が経ち、ようやくその8割ほどが復旧したというが、道路や橋を元に戻すだけでは元通りにならない“何か”があった。

※うきプロとは?

うきは市の新川・田篭地域を活動エリアとして平成25年11月に発足。地域の豊かな自然、歴史遺産、住まう人々の暮らしを活かし、新たな地域づくりと地域の活性化のために、都市との相互理解と活発な交流を進める。大学機関との連携、コンサルティング会社やIT企業等とも協定を結びながら、活動を展開中。

住んで「ひめはる」を知る

「地元の人の意見が埋もれてしまわないように、それを掘り起こしてかたちにしていきたい。ひとりでもふたりでも『こういうことがやりたい』という人がいれば、お手伝いしたいんです」 市役所職員、熊懐さんの言葉だ。 地域の活性化と聞けば、「行政主導」の四文字が頭に浮かんでしまうが、熊懐さんは「ゴーサインは住民が出すもの」と、サポート役に徹する。何を決定させるにも、行政主導になってしまってはその後が続かない。住んでいる人間に最終決断を委ねることが、自分たちが暮らす地域への自信と誇りにつながっていくのだ。

そうしたサポート体制のもと、「うきプロ」をリードするのはこの地に移住して10年を迎えた米川さん。「とにかく過疎化をどうにかせんといかん。食い止めるのは難しいかもしれんけど、スピードを緩めることはできる。きっかけを作れれば、流れも変わるかもしれんからね」と、この先を見据える。 米川さんの言う“きっかけ”とは、移住者のことだ。「うきプロ」では、集落の空き家を活用して移住者を受け入れる事業をスタートさせたばかりなのだ。地元の人たちがワークショップで壁塗りなどの改修に携わり、見事に生まれ変わった「お試しハウス うきは百年邸」は、その名の通り、この地域への移住に興味を持った人が体験居住できる施設。滞在中に本格的に移り住みたいと思ったら、「うきプロ」と一緒に気に入った物件を探すこともできるし、仮に気が変わっても初期投資が少なくて住むので、移住を考えている側にとってもありがたい。


空き家となっている家屋を所有者から10年間借り受け、市の補助金400万円をかけて改修した「百年邸」。木造平屋建て約100平方メートル(4DK)の広さがあり、入居期間は最長1年間、家賃月額5万円(敷金、礼金なし)。インターネットが利用できる光ケーブルも完備。

過去には「ひめはる」の公民館主事や学童保育設立など、自分の故郷のようにこの地域に貢献してきた米川さん。「うきプロ」事業のひとつ「森林セラピー」の旅先案内人も務める多彩なおじちゃん。

「ひめはる」だけの生業づくり

すぐに移住はちょっと……でも田舎暮らしは気になるという人には、農家民宿がおすすめだ。「ひめはる」には2つの農家民宿があり、この地域に根ざして暮らす人々の自宅にお邪魔したような気分にさせてくれる。穫れたばかりの旬の野菜をふんだんに使った郷土料理は、ひめはるでしか味わえない美味しさだ。秋に穫れる細いタケノコ「四方竹(しほうちく)」や、ほくほくした柔らかい食感が特徴で、この地域で代々種が受け継がれているという「真珠豆」など、「ひめはる」ならではの食材に出会えるのも嬉しい。


四方竹はその名の通り、切った断面が四角。秋に穫れるので、その時期に味わえる新鮮なタケノコとして重宝される。

四方竹は細く簡単に折れるため、手作業での収穫が主。年配の人たちにも比較的負担が少ない。

農家民宿はもともと住民が自発的にはじめたものだが、民宿を拠点に地元の農産物や加工品を広めていこうという取り組みは、「うきプロ」と民宿経営者との共同作業。近年では、地元の人たちが自分たちのために作った野菜が余分に穫れれば民宿で提供したり、道の駅などに出荷したりするお手伝いもはじめた。四方竹や真珠豆など、地域の特産品を加工して流通させる計画も着々と進んでいる。

「加工品の開発が進めば、地元の野菜が活かされる。そしたら地元の人も『じゃあもう少し作ろうかね』となる。収穫量が増えれば出荷も増える。新しいレシピが生まれる……。こんなふうに回していけるように、野菜の集出荷に力を入れたいですね」と、熊懐さん。そして、加工品のレシピをコーディネートするのは、アドバイザーの高木さん。「加工品がうまく回り出せば、いろんなところで人手が必要になるから、この地域に住む人たちがこの地域で働けるようになりますもんね」と、“生業”づくりにも熱心だ。


民宿経営者と加工品開発に取り組む高木さん。「四方竹使った味ご飯の素も作りたいし、ピクルスもいいな〜」と、商品化のアイデアは膨らむばかり。

取材の日は小学校の卒業式とあって、「農家民宿馬場」を営む大力さんは残念ながら不在。予約注文で作るお弁当「だんだん」は、全て地元産の素材を使った手作りの味。さすがの白米は今思い出してもよだれが出るほど美味しかった。

もうすぐ発売予定の自家採取の種から育てた真珠豆、黒豆や赤豆入り「チリコンカン」に変身した。大力さんは「そんなの作ったことなか」と言いながらもあっという間にレシピをマスターしたそう。

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