アナバナでお手伝いをしている福岡市農山漁村地域活性のプロジェクト「海、山、未来が近いまち、福岡。LOCAL BUSINESS X FUKUOKA」。トークイベント2回目のゲストにおいでいただいた㈱自遊人 代表取締役でクリエイティブディレクターの岩佐十良さんにお話を伺いました。トークイベントのレポートと合わせてご覧ください。
雑誌編集長でありながら農業を行うクリエイティブディレクター。2014年5月、新潟・南魚沼に古民家を改装してオープンした旅館「里山十帖」は農作業や地産地消料理などを体験できるライフスタイル提案型の複合施設。
ある日突然、編集者に転向。さらに、雑誌を創刊。自らがメディアを持つ立場に。
─岩佐さんはデザイナーとして独立されたあと、すぐに編集者に転向されたとお聞きしました。何かきっかけがあったのですか?
1989年5月にグラフィックと空間デザインの会社として学生時代に創業し、雑誌の一部を作ったりインテリアデザインをしたりしていたのですが、1990年12月には編集プロダクションに転向しました。1年ちょっとですね。これ、実は当時お世話になっていたリクルートのある方からの「お前は編集者になれ!」のひとことがきっかけだったんです。
─戸惑いはなかったのですか?
もともと、“ものづくり”がやりたかったんです。デザイン会社を立ち上げてはみましたが、そこにこだわりはなくて。それからは、リクルートの仕事を中心に、雑誌以外の本なども制作していきました。中でも東京ウォーカーの特集記事は、年間の半分くらいうちで任せてもらっていました。
─そのリクルートの方は、岩佐さんの中にグラフィックデザイナーよりもっと手前の、編集者としての資質を見つけられたのでしょうか。
どうなんでしょうね。ただ、学生時代から「他の学生とは密度が違う」とは思っていたし、周りからもそう言われていました。
─その後、2000年に雑誌『自遊人』を創刊されていますが、これはいつ頃からの構想だったのでしょうか?
実は編プロとして活動しはじめた当初から、「10年後には自分で雑誌を作りたい」と思っていたんです。僕たちは情報誌というジャンルの中で、とにかく「部数を売るタイプ」の特集記事を得意としていました。どうやって深層心理をつかみ、どうやって読者の深層心理が動くかを徹底的に考えて、そこを動かす仕掛けを考えるという手法を繰り返し、どんなカテゴリのものを扱っても、何を作っても売れるようになっていきました。そうしたことを積み重ねていくうちに、テーマにこだわらずに様々なものを扱うノンジャンルの雑誌をやりたい、と思うようになっていったんです。新しい提案をしたかったんですね。
実際、『自遊人』はそれまで誰も手を付けていなかった手法だったので、お陰様でヒットしました。ただ、そうなると………
─次の「やりたいこと」が見えてきたわけですね。
というより、マスに対する興味がなくなっていきまして。何を作っても当たる、というマスに向けた発信とは違う方向に行きたくなった。つまり、自分たちが提案したいと思うものを、もっと深くえぐりたくなったんですね。
マスから深掘りへ。岩佐さんが世の中に提案したかったものとは?
─その「提案したいもの」とは何だったのでしょうか?
「日本人の食の歪み」です。やっぱり日本人の食の基本はお米だろう、と思いまして、2002年から「米ひと粒がメディアになる」というコンセプトの元、「農家限定のお米」のインターネット販売をはじめました。その後、木桶味噌ブームを仕掛けるなど、さまざまな商品を雑誌、ネット連動で世の中に提供していきました。「オーガニック・エクスプレス」のスタートです。
─お米、売れましたか?
売れませんよ! 当時は自遊人の黒字でネット販売の赤字分を補てんしていました。それでもやっぱりお米の勉強をしたいと思い、2004年に新潟県の南魚沼市に一部移転しました。
─本格的ですね。
実際には、移転してお米作りに本格的に取り組んでみたものの、2、3年ではどうにもならないということがわかりました。お米って年に一度しか採れないでしょう? そうなると、試してみたい栽培方法の結果を待って、試行錯誤して次の結果が出るのは翌年になってしまうんです。とにかくありとあらゆる栽培方法を試して、4年目くらいでやっとわかってきました。5、6年目で「わかった」と言えるようになったかな。
─実際、どのくらい赤字事業だったのでしょうか?
黒字に転向したのは6年目です。食品事業にいたっては、2011年まで赤字だったんですよ。結構かかりましたよ。
─2004年で移転とは、世の中の田舎暮らしブームよりも随分と早いですね。先見の明ですね。
それ、よく言われるんですけど、違いますよ。当時、僕たちが南魚沼に一部移転すると言いだしたとき、周囲からは「頭のおかしい奴だ」と思われていました。なんでもある便利な都市に住んでいて雑誌も好調の中、なんで東京を捨てるんだ?と。まぁその一方で、「ライバルがひとり減った」とも思われていたのでしょうけど。
そんな状態だったので、先見の明なんて、とんでもない。ただ、明らかに風の流れが変わった瞬間がありました。それは、3.11の東日本大震災です。僕も東京は今でも大好きな都市です。ただ、このときを境に、そうしたメンタルの部分ではなく、田舎に対する考え方が変わったなと思います。
─3.11を機に、東京の人の田舎に対する価値観が変わったということでしょうか。実際に新潟に住まわれて、岩佐さんはどう感じられていますか?
正直3.11のときにはメンタルよりも経済的なダメージのほうが大きかったんです。それまでもずっと、経済の厳しさを地方で感じていましたから。ただ、いまでは地方のほうが東京よりも色んな意味で豊かなのではないかと思っています。よく、「田舎のほうが人があたたかい」と言われますけど、それは嘘だと思っています。コミュニケーションの取り方は、ロケーションには依らないというのが僕の感じた答えです。しいて言うなら、一期一会の旅行者に限ってはこの感じ方になるとは思いますが。生活というのは、自然があって、食があって、最後に人が来る、この順番だと思っていまして、要は自然がどの程度残っているか、ここにつきると思います。ダイナミックな自然環境を感じられることこそが、地方の醍醐味だと。
例えば、朝起きて、カーテンを開けたときに見える景色が、ビルの高層群であることと、山から太陽が昇ってくる自然の営みが目の前に広がることとがあった場合に、前者が好きな人もいれば、後者が好きな人もいる。この後者をいいと感じられるメンタリティが、田舎暮らしの良さとして近年注目されているにすぎないのではと思います。
経営の難しさに加え、地方ならではの経済的な厳しさ。その中で、事業をうまくまわすためには
─ここまでお話を伺ってきて、岩佐さんの中で感じたもの、信じたものを軸に事業の方針がしっかりと見えながらの展開のように見受けられます。よく、経営者の指針が現場に伝わらないという「雇い入れの問題」を耳にしますが、現在、実際に南魚沼で働かれているスタッフの方々に、岩佐さんのビジョンは伝わっていると思われますか?
これはですね、しっかり伝わっていると思いますよ。なんといっても、新潟に来る、新潟で働く、という時点で振り分けられますので。田舎にいるだけで生活は充実しますしね。健康的です。
─経営者として、自分が決めた方向性を貫き、さらに成功させるためには、何が必要なのでしょうか?岩佐さんは、これまでどういう風に進めてこられたのですか?
「必ず成功させる!」と思うことですね。そして、そのための方法論を徹底的に考えます。成功というより、事業を継続させることが大切だと思っています。だからひたすら考えて、努力する。これをずっと続けてきているのだと思います。
僕の仕事の中心は、ものをつくることが楽しい、ものを伝えることが楽しい、ということです。自分の人生の価値観がどこにあるのかを常に考え、それを他者に伝えるためにはどうしたらいいのかをずっと考えています。
─もともとがクリエイターでありながら、いまでは複数の会社を持つ経営者でもあるわけですが、経営者としての岩佐さんの視点や大切にしていることは何でしょうか?
今、新潟県大沢山温泉で「里山十帖」という宿を経営していますが、実はここを造るときに「あ、僕、投資家の人と価値観がまったく合わないな」と思いました。ものごとの価値基準が「お金」なのか「もの」なのか。ここがまったく違うんです。里山十帖は、様々な事情があって内装など、デザイン面を全部僕がやりました。実は時間を優先したかったので、どなたに依頼しても数か月先になってしまうことがもどかしく、友人に相談したら「お前がやればいいじゃん」と言われて。あぁそうだ、僕インテリアや空間のデザインもやれるんだった、と。
そんなわけで、ほぼすべてのことを自分でやってみて気づいたんですけど、旅館って、設備投資産業なんです。クリエイターの視点でいくと「いい!」と思うことが、「投資効率」「短期のリターン」という投資家の視点でNGになるんです。出版時代の事業は、自己資金で賄えていましたが、さすがに旅館経営となるとそうもいかないですからね。
そこで、気付きました。僕たちクリエイターは、「これがあったら10年後にこんなにステキになる」という未来のことを考える。しかし、投資家や、そもそもの経営者というのは、単年で15%の利益を出して云々という、複利ではなく単利の考え方に基づいている。だから地方の観光事業がつまらないんだと気付きました。
─では、今後は経営とクリエイティブの両方の視点で展開する地方の事業も手がけられるのでしょうか。
僕がする、というより、両方の視点が必要であるということを、投資家をはじめとした地方の事業に携わる方々が、一日も早く気付いてくれるといいなと思っています。例えば、里山十帖が成功しているからといって、同じようなものを別の土地に作ってくれと言われても、それで成功するわけではないんですけど、どうしてもそういった依頼が多い。もう、コピペはやめよう、と言いたいです。その土地、その環境、その住人などの様々な要因と課題があって、その課題と長所をどう生かすのかを、経営とクリエイティブが一緒になって考えられるようになるといいですね。
■里山十帖
〒949-6361
新潟県南魚沼市大沢1209-6
025-783-6777
(取材/後藤暢子)