津屋崎ブランチ代表の山口覚さんに会いました(前編)
福岡県福津市にある津屋崎ブランチの代表を勤める山口覚さん。このまちに移り住む人のお手伝いや、新しい暮らしや働き方について学びあう場を提供したり、小さな企業を支援したりと、津屋崎を拠点にこれまでにないユニークな発想でまちを元気にするために走り回っている。その果てしないエネルギーは、いったいどこから沸き上がるのだろうか。
まずは“動き”をつくること、それが地域活性の原点です
「初めてこの地に来たとき、宝物を見つけた!って思ったんです」
福岡市から車で約1時間。玄界灘に面した津屋崎は、ウミガメが産卵する砂浜や、カブトガニが生息する入り江のある、自然豊かな海のまち。かつては海の貿易や九州屈指の塩田としても栄えてきた。漁港一帯は、家が「千軒ひしめくほど」の賑わいぶりで、その繁栄を象徴して「津屋崎千軒(せんげん)」と呼ばれたほど。今でこそ、その活気は薄らいだものの、当時の町並みを思い起こさせる古民家が残る、貴重な集落だ。山口覚さんは、このまちに移り住んで3年半になる。
福岡出身の山口さんは、大学卒業後に上京し建設会社に入社。山を削ってゴルフ場を建設したり、オリンピックのための会場建設に携わったりと、ゼネコン路線を突っ走ってきた。
「売上げのために不必要に大きなものを造ったり、残したほうが良いものを壊して造る。でも本当は必要なものだけを造り、いいものは残したい。どこかでそういう思いがずっとひっかかっていました」と当時を振り返る。
箱もの頼りの地域活性に限界を感じ、「外側よりもまず中身」と、地域づくりのNPO法人に所属するも、東京を拠点に各地に出向くことに限界を感じた。そこで、実践の現場にシフトするべく、故郷の福岡に戻った。しかし福岡市内を拠点に九州一円の地域づくりを行うことは、”リトル東京”であり、東京にいるのとあまり変わらないと感じた。そこで、もっと小さなまちに行こうと考えるようになった矢先、福津市からまちづくりの手伝いを頼まれた。
「自分の持つ価値観と行動のベクトルを一致させたかったんです」
こうしてはじまったのが「津屋崎千軒プロジェクト」。その目的は、山口さんのような“よそ者”が津屋崎に移り住み、新しい暮らし方・働き方・つながりを実践しながら外部に伝えていくこと、津屋崎に住みたいと思っている人と、まちをつなげること。そして津屋崎を拠点に、学びの場を提供していくことだ。
プロジェクトの活動拠点は、「津屋崎ブランチ」。津屋崎千軒にある一軒家を改築してつくられた、ぬくもりのあるスペースだ。オフィスとしてはもちろん、イベントが開催されたり、地域の人々をつなぐネットワークづくりの場にもなっている。
津屋崎ブランチにある、その名も「未来会議室」に入ると、小さな朱色の看板が目に飛び込んでくる。「未来を語る。人を褒める。断定しない。」
白い手書き文字で描かれたこの3か条が、プロジェクトにかかわる上での大切な約束事。
「長年のつまらない会議を経て、ようやく気づいたんです。多くの企業はほとんど正反対。過去を語り、人をけなし、断定する。この3か条を会社勤めの人たちに言ったら、みんなフリーズします」と山口さんはユーモラスに笑う。
このまちの文化を継いでいきたい
国の事業としてスタートを切った「津屋崎千軒プロジェクト」。
「“よそ者、若者、のぼせ者”が津屋崎に移り住み、新しい視点で人と人、土地と人をつなげたいと思ったんです」という言葉のとおり、プロジェクトメンバーには全国から3人の若者が選ばれた。選考の際は、履歴書をほとんど見ずに作文だけで採用を決めたというから、その思い切りのよさは感服ものだ。
国の事業と言えば聞こえはいいが、その支援期間はたったの1年半。その後の保障はもちろんない。先々どうなるか見当もつかない状況のなか、山口さんを含めたスタッフ4人全員が、なんと実際に津屋崎に移り住んだ。しかし山口さんはどっしり構えてこう話す。
「補助金に依存するまちづくりから脱却するのもコンセプトのひとつ。補助金の切れ目が活動の切れ目という現場をたくさん見てきた。1年半で終わらせるつもりは最初からありません。むしろ10年先まで見据えています」
この期間は山口さんにとって、本来の目的を達成するための”土壌づくり”にすぎない。国の支援を終えた今、プロジェクトチームはLLP(有限責任事業組合)として独立し、この春で丸1年を迎えた。
プロジェクトのひとつは、津屋崎に住みたいと思っている人とまちをつなげる手助けをすること。通常の不動産のように物件を紹介するのではなく、地域での暮らしを紹介し、家主、住む人、地域の人が気持ちよくつながっていけるようサポートをする。
「その人がどんな暮らしを望んでいるのか、このまちを通してどんなことをしたいのか、まずは手探りで移住への具体的なイメージを一緒につくりあげていきます」
家族で一軒家もよし、友人とシェアハウスもよし、自分たちで古民家改修からスタートするのもまた一興。そのあたたかい後ろ盾は、住んだあとも変わらない。
いきなり移住とはいかずとも、ちょっと田舎暮らしをしてみたい人や、旅先で同じ感覚の仲間と出会いたいという人に、津屋崎での暮らしを体験してもらうツアーも企画している。ツアーと言っても決められたプログラムはなく、まるで本当に知らない土地を旅するかのように、少しずつ津屋崎のまちに慣れ親しんでいく。さまざまな思いを抱いてやってきた者たちが、大自然を背に3日ほどひとつ屋根の下で生活してみると、どことなく不思議なつながりが生まれるのだとか。
「それまで知らなかった相手とじっくりと対話をすることで、自分の殻がやぶれていくんだと思います」ちょっと立ち止まって“何もしない”ことすら楽しむ旅は、都会では味わうことのできない、贅沢な時間だ。
外から来た人を津屋崎につなぐ一方で、津屋崎千軒に残されている古い民家をととのえて再生させる事業も手がけている。かつては誰かが暮らしていた家。その物語をこれから先に“継いで”いけるように、一軒一軒いのちを吹き込んでいく。なかには30年ものあいだ手つかずだった築60年の空き家を、時間をかけて修復し、ゲストハウスとして再生させたものもある。
自主企画にとどまらない。プロジェクトのスタッフは、地域の祭りなどにも積極的に参加して、地域に新しい風を吹き込んでいる。もちろん移住してきた人たちとともに。
「津屋崎千軒という場所に、本当に1000人来て欲しいなんて思っていません。このまちを愛してくれる人が100人来てくれたら、それでいい。お祭りに参加したり、なりわいを見つけたりして、このまちの文化を継ぎ、担っていって欲しいんです」
過去3年間で、プロジェクトを介して移住した人の数はおよそ100人。きっとその誰もが、津屋崎のまちを愛し、まちの暮らしを未来に継いでいく日々を送っている。