インタビュー

音泉温楽主宰田中宏和氏×DJシュニスタ(2)

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音楽温泉主宰田中宏和氏×ダイスプロジェクト(DJシュニスタ)小石

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#02「温泉復古の大号令!」って?

小石 渋温泉の金具屋さん。建築としてもすごいよね。
田中 そう。木造4階建て。ちょうど100年弱前の建物で。千と千尋の神隠しの油屋のモデルのひとつになったと言われているよね。やっぱり温泉街の街並とか建築もひとつ大きな観光資源だよね。渋温泉はそういう街並がちゃんと残っているんだけど。
小石 温泉って昔盛んだった時代があったけど、今は勢いがなくなってしまってる温泉地も多いよね。
田中 そうそう。僕は 20世紀の頭にいわゆる日本的な温泉文化が始まったと思ってて。なぜ温泉文化が花開いたかというと、人がそこに行くようになったから。人がそこに行くようになるためには、鉄道が敷かれたり港が整備されたりしたから。
小石 そんなポイントがあったんや。
田中 1880年代から1910年代にかけて線路の長さが爆発的に増えた。私鉄と国鉄と、いわゆるローカル線っていうのがあって。温泉地に鉄道を伸ばすことが目的だった。温泉地をレジャー化したんですね。同様に同時期に観光汽船の航路が整備されて別府のような観光港が出来上がる。そうなると、宿が人の集まる場所になり、温泉旅館の宴会場が文化の中心地になった。町の一部にしかなかった演芸っていう文化が、温泉地にはあったんだよね。
小石 そうね。町のそれともちょっと違う。
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▲長野県渋温泉の情緒ある町並み

田中 渋温泉もそれに漏れることなく、長野電鉄長野線の最終駅「湯田中駅」って駅まである。昔は上野から湯田中温泉直行のローカル線もあったんだって。要するに、それくらい、人が動いている場所だったんだよね。
・ ・・えっと、ずいぶん話が脱線してるけど。そうそう、音泉温楽の最初の舞台が渋温泉だった。渋温泉ってすごく特殊な場所で。土地は渋温泉の組合が管理してるんよ。
小石 個人が持ってるとかではないんや。
田中 そう。誰も個人では所有してない。 つまり、渋温泉のあの町並を保てている理由はそこにあって。
 以前は温泉地に“和”があったの。みんなでお湯を守りながら、町が和を持って温泉を守ってきた。ところがバブル期以降、リゾート法ができたりして外から大きな資本が入ってきて日本的な旅館の経営が崩れちゃった。大きなホテルや旅館はすごい資本を入れる一方で、そうでない宿はその煽りを食らってつぶれたり。80年代90年代から今もそれは問題として残ってる。
 旅館とかホテルが大きくなると町の栄養分が変わっちゃうの。町の和も当然崩れてしまう。そうして町全体の活気がなくなると大きな旅館も大変になるっていう。とても皮肉な話。渋温泉はそういう意味で、守るべきものをみなで守って来たから、まだ”和”が保たれていて。
小石 じゃあ、“和”があった頃の温泉文化っていうのが、やっぱり温泉の魅力を作ってたのかな。
田中 そうね。サワサキさんと、「温泉復古の大号令!」っていうキャッチフレーズを最初に作ったの。温泉を復古しよう、と。
 「ノスタルジックに復古する」のではなくて、本物の温泉の良さを取り戻そうというか。やっぱり100年前の華やかだった時代、華やかだったのには理由がある。それはシステムの話だけじゃないって気がしているわけ。本能的に人間が求めているもの。記号とかではなく人間が体で感じることができる“波動”っていうか。それがやっぱり温泉の魅力だと思うので。
小石 なるほどね

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田中 今の日本人にとって、温泉に行くことはレジャーの傍流になってるよね。温泉に行って遊ぶっていうのはそれこそ年に数える程度。
小石 そうね。温泉目的に行くっていうより、おいしいもの食べるとかエステがあるとか。
田中 だから、「温泉復古の大号令!」としたのは、「温泉そのものを楽しんでいきましょうよ」っていう提案でもあるの。
小石 うんうん。
田中 100年前、温泉が一大レジャーだった時、温泉旅館は文化の発信地だったの。いろんな温泉旅館の経営者が、パトロンとして当時の文化人を招聘して囲う。文化人は温泉宿に逗留して、そこで作品を作る。
小石 古い温泉とかに行くと必ずあるね。文豪がここに来てました、みたいな。
田中 そう。志賀直哉の『城の崎にて』とか、日本全国にそういう形跡があるよね。要するに文化をそこに持ってくることがすごく大事なことだということを、当時の経営者は理解していたのね。温泉の付加価値として、文化が温泉にあるということが、人を呼ぶひとつの大きなものとなっていることを理解していたと僕は思っていて。
小石 ふーん。
田中 戦前は特に、温泉というものがスタイリッシュな場所だったの。政治家とかが密談する場所とか、インテリが集まるサロンがあったり。結構いろんな機能を果たしていた。
 それが、戦後、温泉地と温泉地に行く人の関係、町と温泉の関係が変わるにつれて段々文化的要素が薄れて。もっとハードとか、インフラの方に需要が動いていくわけ。そういう意味で、温泉って日本の経済成長にすごくリンクしてるの。
小石 温泉って知るほど深いね。

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田中 文化が温泉にあることって実はものすごい大事なことだと思ってて。
小石 「音泉温楽」を通じて、文化的な側面でまた温泉を捉え直していくっていう?
田中 そう。結局その年代ごとに温泉街の意味合いが変わってきていて、それと同時にソフトも変わってくる。ただ、時代ごとに変わってきたソフトが1970年代の終わりでストップしていて、80年代はほとんど進化していない。
 ソフトが何もバージョンアップされていないの。もっと言うとOSも変わっていない。でも新しいOSが何かわからない、新しいソフトが何かわからないっていう混沌とした状態が20年くらい続いている。 だから今、温泉の魅力を見直すという意味でも、昔の感覚を復活させられたらいいんではないか、と。
 それこそ「千と千尋の神隠し」の中で、「一度あったことは忘れないもんさ、覚えていないだけで」っていう台詞があるんだけど。まさにそれが大きなメッセージ。人は一度あったことは忘れない、体に染み付いている。それを覚えていないだけで。それなら取り戻せばいいと。
 100年前、温泉に文化が花開いて文化の集積地であり発信地だったのには理由があって。つまり、人を呼ぶために意図して温泉地に文化的なものを集めたから。それを音泉温楽が「温泉復古の大号令!」と銘打って発信していきたいという思いで、プロジェクトにしたの。

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小石 なるほどねー。
田中 話が長くなったけど、そういう思いがあるなぁー。


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