博多まちづくりミートアップ

熱意がまちの魅力に!福岡のコーヒー文化から考えるまちの可能性 〜ミートアップvol.31レポート前編〜

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全国から注目が集まる、福岡のコーヒー文化。その背景にあるのが、若手焙煎士やバリスタの有志グループ「COF-FUK(コファック)」です。31回目の「博多まちづくりミートアップ」ではCOF-FUK発起人であるMANLY COFFEE・須永紀子さん、メンバーの豆香洞コーヒー・後藤直紀さんに、福岡におけるコーヒー文化の変遷や街に与えてきた影響について伺いました。さらに、今年オープンしたブルーボトルコーヒー 福岡天神カフェ・店長 黒川連さんも交え、福岡のまちの魅力やこれからの可能性を探ります。

今の福岡コーヒーシーンに欠かせない面々が集う「COF-FUK」とは

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岸本(以下、岸本):
こんばんは。今回のテーマは「コーヒーパーソンたちの熱意がまちの魅力に!コーヒーカルチャーから考える福岡のまち」。そもそもなぜ「まちづくり」のトークにコーヒーに関係する皆さんがゲストなのか、不思議に思う方がいらっしゃるかもしれません。

福岡のコーヒーシーンは全国からかなり注目を集めているのですが、偶然盛り上がっているわけではないんです。今日ゲストでお招きした須永さん、後藤さんをはじめ、皆さんも知っているコーヒーショップの面々が、「福岡をコーヒー文化がにぎやかなまちにしよう」という意志を持って動き、つながっていったものなのです。

思いを持ってアクションを起こしたり、意思を持って仲間を作っていくことで、新しいカルチャーを生み出したり、まちに影響を与えたりできるかもしれない。そんなヒントをゲストの皆さまからいただけるといいなと思って企画した次第です。

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ゲストの皆さんからの提案で、参加者にはコーヒーが配られた。それぞれを飲み比べできるコーヒー好きにはたまらない贅沢な体験に

岸本:
最初にお話を伺いたいのが、須永さん、後藤さんのほか、現在の福岡のコーヒーシーンを代表する面々がそろう「COF-FUK(コファック)」についてです。今回は、皆さんがやりとりしたメールを見ながら、「COF-FUK」の取り組みについてお伺いしたいと思います。

須永さん(以下、須永):
「COF-FUK」のはじまりは、2007年です。今、福岡にはたくさんのコーヒー屋がありますが、当時はコーヒーブーム前夜。でも熱気はすごくあった時代でした。COF-FUKのメンバーはというと、マヌコーヒーのオーナーである西岡くん以外は、開業前。COF-FUKはアンダーグラウンドで、こそこそ隠れて活動をしていました。

後藤さん(以下、後藤):
当時のコーヒー業界って、少し閉鎖的なところがあったんです。日本だと4つほど流派があって、違う流派の人たちが集まって何かをするというのは御法度だったんですね。だけど、情報に貪欲でいろんな知識や技術を吸収したいと思うメンバーが、それぞれの関係者に迷惑をかけないように隠れて集まっていました。時間をずらして集合場所に出入りしたり、誰にも見られていないか確認したりしながら(笑)。でも、だんだんと「福岡でなんだか怪しい活動をしている連中がいる」とウワサになり、さらにCOF-FUKメンバーが活躍し結果を残すようになって、少しずつコーヒー業界の考え方も変わっていって、今は情報をシェアできる時代になりました。

岸本:
当時はどんなメンバーがいて、今はどんなお店をされているのでしょう。

須永:
まず始まりは、「マヌコーヒー」のオーナーである西岡くん。当時、マヌコーヒーで働いていて、今は大分で「3 CEDARS COFFEE」っていう素敵なコーヒー屋を開いている三杉くん。「ROASTER’S COFFEE焙煎屋」の2代目の謙吉くん、「RECコーヒー」の北添くんと岩瀬くん、さらに糸島で「COFFEE UNIDOS」を営む田中夫妻などです。

コーヒー屋を目指す若者たちが、福岡にコーヒー文化を根付かせるための最初の一歩

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岸本:
福岡の皆さんには、よく知られているカフェばかりですね。2007年の立ち上げ当時から「福岡でより良いコーヒーシーンを作りたい」というお話をされていたのですか。

須永:
COF-FUKの第一回目の勉強会でカッピングと呼ばれるコーヒー豆のテイスティングを行ったあとの、メールのやり取りが残っていました。「COF-FUKにとって、FUKUOKAのコーヒー文化にとって、大きな最初の一歩になったんじゃないかなと思います」って、これ、私が書いているんですけど。当時から、「ただおいしいコーヒーを」っていうよりも、「自分たちが新しいことをやっている」っていう感じでしたね。

ここで大事だったことは、先生がいなかったことだと感じています。外部から誰か偉い人を呼んでくるのではなく、自分たちで学び合うっていうところが良かったのだと思います。今でも思うのですが、コーヒーの神様がいて、熱い思いを持つ人が集められたんじゃないかって。そんな気持ちがありました。ただ単に自分たちでコーヒー作ればいいっていうことじゃなくて、福岡の文化にできればって思いがあったんですね。

後藤:
当時は、マヌコーヒーの西岡くん以外は開業前。コーヒー屋を目指しているただの若者です。1回目はいわゆるコーヒーの飲み比べだったので、「ただの飲み比べだけで、福岡のコーヒー文化にとって大きな最初の一歩って。なんかすごいことを言っている人がいるな」って思っていました。

須永:
私だけが勝手にひとりでいろいろ背負っていたんですよね。

後藤:
私はこの活動が、どういうことにつながるのかっていうのは分からずに参加していました。ただカッピングというのは、コーヒー業界のどのポジションにいてもすごく大事な基礎の能力だったので、「COF-FUK」の勉強会は続けることで得られるものはあると思っていたんです。

私は、東京でも虎の穴みたいなところに入って勉強していたので、東京と同じレベルのものが福岡にできたらいいなって思いながら取り組んでいました。コーヒー屋じゃない若者がやることだからレベルは高くなかったけれど、熱量だけでいうと東京より福岡が圧倒的に熱かったです。

おいしい・楽しいではなく、「世界基準の物差し」を身に付ける

岸本:
カッピングってどんな感じでやるものか、分かりやすく教えていただけますか。

後藤:
すごく簡単にいうと世界共通の淹れ方で、豆そのものの味を抽出し、品質や風味を評価することです。素材と焙煎、それぞれを見る目を育てていって、コーヒーの良し悪しを判断するんです。

須永:
好みではなく、世界基準を稽古で身に付けるイメージですね。今は世界基準のもの差しがはっきりしていて、学べるところがあるのですが、当時はまだ日本のコーヒー業界自体にきちんとした基準がなく、人によってブレがあったんです。だから正しいもの差しを身につけることが初期のテーマ。自分たちがおいしい・楽しいっていう以上に、本気でコーヒーのクオリティにコミットして取り組んでいました。

後藤:
当時、日本のスペシャルティコーヒーの団体が、世界基準を教えてくれるカッピングセミナーを東京や神戸で開催していて、COF-FUKのメンバーも参加するようになったんですね。カッピングって結構残酷で、「この豆は何点でしょうか」って、手を挙げて発表しなければいけない。発表後に答えが出るから、「間違っていたらどうしよう…」と怖気付いてしまって、ほとんどの人は手があげられないんです。でも、我々は毎月、仲間内で恥をかきまくっていたので、そこでも手を挙げていたので「福岡は元気な子が多いね」と言われていましたね(笑)。

それぞれが開業後も緩やかにつながる、福岡ならではの“ホカホカの距離感”

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MANLY COFFEE・須永紀子さん

岸本:
カッピングのスキルを学んだあと、COF-FUKとして次の動きはあったんですか。

須永:
2008年は、メンバーの多くが開業し始めたころで、忙しくて集まりが鈍くなっていました。「いったん、COF-FUKの役目が終わったのかな」と感じていた頃でもあります。

じゃあ今はどうなっているのかっていうと、結論は「休眠」。今はそれぞれのお店、個々人でめちゃめちゃ活動している。でも、緩やかにCOF-FUKメンバーとのつながりはあって、会えば話したり、それぞれのお店に行き来したりとか、お互い励みになっている感じはあります。

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豆香洞コーヒー・後藤直紀さん

後藤:
福岡以外での勉強会に参加する機会も増えると、単純に時間が取れないとかね。そういうことがあって、須永さんは「中途半端にやるんだったらやめた方がいい」って感じたこともあったと思います。でも私は、COF-FUKみたいない場があったほうがいいなって。今は、COF-FUKの勉強会はやっていないですが、他のコーヒーの勉強会なんかに行くとメンバーの誰かがいます。福岡で会うよりも、東京とか海外とかで会う方が圧倒的に多いですね。

岸本:
皆さんがお店を持たれたことで、事業の情報交換や、技術面をシェアし合う同業者の横つながりっていう色が強くなったんですね。

須永さん:
福岡ならではだと思うのが、距離が近いこと。お互いに自転車で行ける距離にいるっていうのが、大きい1つの要素だなと思っています。東京とかだと、電車に乗って乗り換えしてすごい距離歩いて、となるので気軽に会いに行けない。福岡はなんかあったら、自転車に乗ってふいっと会いに行ける。そんなホカホカ感ある距離が、関係性を続けるポイントかなと思っています。

後編へ続く >>


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