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【後編】柳川藩主立花邸「御花」で能を楽しむ。「実は、能って面白い!」知れば魅力に取り憑かれる?人間味あふれるストーリー、能の基本の楽しみ方

2022年9月27日、福岡県柳川市にある「柳川藩主立花邸御花」で、14年ぶりに一般公開の能公演が行われるとのことで「この貴重な機会を逃すまい!」と取材を申し込んだアナバナ編集部。前後編で、御花の歴史や能公演の様子をお届けします。後編では、旧大名家の御屋敷を舞台にした珍しい能公演の一夜をレポート。能のリアルな世界をご堪能ください。

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立花家が守ってきた喜多流の能

今回、演じられるのは喜多流の能。

喜多流は、「七つ太夫」と呼ばれた芸の天才である喜多七太夫長能が家元の流派です。7歳で豊臣秀吉の前で舞い、名を上げたといわれ、柳川藩主であった⽴花家も代々喜多流の能を守ってきたといいます。

この日の能公演ために、県内外から喜多流の能楽師を中心に集まりました。大名家のお殿様のために能を舞っていた当時のように大広間の敷き舞台で演目が行われるというから、見逃すわけにはいきません。

能が好きな方も、能をよく知らないという方も。暗闇に灯された能舞台の前に座っているような気分で読んでみてくださいね。

観客を包み込む、能の存在感

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蝋燭と和紙のやさしい灯火

暗闇のなか、「火入れ式」として能舞台に火が灯されました。

静かに笛、小鼓(こつづみ)、大鼓(おおつづみ)のお囃子が舞台に流れます。

先の演目、「猩々(しょうじょう)」です。

 

「猩々」

謡 内田成信 狩野祐一
笛 浦政徳

「汲めども尽きず飲めども変わらぬ 秋の夜の盃」

昔、中国・薄陽に住む孝行者の高風という男が、夢のお告げに従って市場で酒を売ると、大金持ちになった。そこに高風の酒を飲んでも顔色の変わらない不思議な客が来て、自分は海中に住む「猩々」という精霊であると告げて立ち去った。驚いた高風が川のほとりに酒壷を供えて夜すがら待っていると、猩々があらわれ、酒の徳をたたえ、高風と酒を酌み交わして、酔っては舞い、高風にいくら飲んでもなくならない酒壺を与え、再び海中に帰ってゆくのだった。

 

海の中からゆったりと猩々が現れる登場部分を表現したお謡い、そして笛の音が静寂のなかで響き渡ります。

風が運ぶ、お囃子の音色。

開け放った大広間をすーっと秋風が抜けていくように、謡と笛の美しい調べが池庭を越えて遠くまで伝わっていくのがわかります。

松濤園の緑も暗闇に溶け込んでひっそりとしながらも、鈴虫の小さな羽音がかすかに聞こえ、すぐそこに自然があるのを感じられます。

短い演目が終わり、「人間は笛や謡でこんなにも清らかで厳かなひとときを生み出せるものか」と、しばしの幻想的な時間を過ごし、感慨深い思いになりました。

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写真提供:株式会社御花

これから上演される「清経」を前に、能の楽しみ方について喜多流能楽師の大島輝久氏よりお話しがありました。

「能の特徴といえば、能面を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。能は能面を用いたいわゆる仮面劇であるといえます。

能面をわずかに傾けるだけで、表情が変わるのがおわかりになりますか?(手元の能面を少し傾けて)

能は1時間10分〜1時間30分ほどの演目が多いのですが、ずっと一定の角度で能面をキープしています。何か感情が落ち込んだ時、悲しみが訪れた瞬間に、能面をわずかに下に向けると、それまで積み上げてきたあらゆる感情がこの一瞬に凝縮するのです。

能は、なにもない能舞台のなかで、ほとんどは言葉によって設定されています。

これからご覧いただく上で、その言葉がどういう意味を持っているのか、シテ(主役)が、一体どういう思いでこの舞台に上っているのかを、事前に知っておいてもらうことが、実は能を観賞する上でのポイントになってくるのです。

能は、テレビドラマなどとは違い、見ている側が積極的に物語に入っていかなくてはあまり意味がわからないということになります。

しかし、その中に自分が入っていくことができれば、無限の想像力で能を味わうことができる、そんな面白い芸能でもあります。」

能は“人間の内面”を深く描いたもの

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写真提供:株式会社御花

今回の「清経」は、通常よりも短い40分ほどの特別編成。清経の霊が妻の目の前に現れる場面の上演となります。

 

「清経」

シテ 狩野了一
ツレ 大島衣恵
地謡 内田成信 狩野祐一 大島輝久
囃子 笛 浦政德
小鼓 古田寛二郎
大鼓 白坂信行

「若くして入水して自ら命の立つ道を選んだ貴公子とその妻の情愛」

源平の戦で西国へ都落ちした清経の邸には、妻が寂しく留守を守っている。そこへ夫の自殺を知らせる使いの粟津三郎が来て、遺髪を届ける。あきらめきれない妻は、死者に形見を手向け返すことにするが泣き伏した妻のうたた寝の枕元に、清経の霊が現れる。妻は戦死か病死ならともかく、自分を置き去りにして自殺をするとはと恨み嘆くので、夫は死の動機を物語って慰める。清経は追われる者の焦りと苛立ち、無益な抗戦への懐疑から、ついに死を決心し、ある夜、月を仰いで愛用の笛を吹き念仏を唱えて舟端から身を投げたのだった。二十一歳のことだった。死後、霊は修羅道に落ちて苦しんでいたのだが、念仏の功徳で成仏することができた。

 

いよいよ「清経」が始まります。

笛の音が合図となり、舞台にツレと呼ばれる妻役の演者が入ります。静かに前方の右隅へと進んでいき、低い姿勢になったまま微動だにせず佇みます。

シテと呼ばれる主役(清経)が左奥からゆっくりと舞台中央へ。

正面奥にはお囃子が、左から大鼓、小鼓、笛と並んでおり、大鼓はカンと高く大きな音を鳴らし、小鼓はリズミカルに手首を揺らしポンポンと音を奏でます。

清経はゆっくりとした動きから、低い声で妻に語りかけ始めます。

徐々に足拍子で舞台を鳴らしたり、着物の袖を振って舞うなど素早い動きが増えていき、清経の感情を露わにしている様、迷いや悲しみ、情念が全身で表現されます。

お囃子の声や奏でる音も勢いよく発せられ、また幾重にも交差することで空間全体が混ざり合い、調和していきます。まるで清経の意識のなかにあるような、観客も一体化しているような……。

光と闇、静寂とお囃子の音色、謡が融合し、力強く舞う清経の姿が印象的でした。

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演目の上演中は撮影不可のため、終了後シテの舞の型が再現されました

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清経の感情の移ろいが繊細な動きや道具使いにより表現されます

「能は、始まったときにはすでに事は終わっている」。

通常の演劇はこれから起こる事やハプニングを描くものですが、能はそうではないといいます。

「清経」も、主人公である清経が入水自殺をして死んでしまうという一大事件の後から物語は始まります。自分がなぜ死を選択したのかと妻に語りかけ、死後の苦しみから成仏に至るまでの過程が見所なのです。

戦意を失うとして戦時中は上演が禁じられている地域もあったそうですが、平和な世の中となった今、反戦の意も込められた「清経」は最も人気のある演目のひとつといわれています。

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シテを務めた喜多流能楽師の狩野了一氏

継承されている演劇としては、世界最古といわれる能。室町時代に生まれた能は650年もの歴史があるのです。

人間がどのように感じ、どのように運命を受け入れるかなど、人間本来の在り方や後世の教訓となる物語を描いているからこそ、現代まで受け継がれてきているのかもしれません。

この日本独自の舞台芸術を、大切に繋いでいきたいものですね。

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実際に体験できるプログラムも用意され、能面を装着する参加者

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能楽師でもある立花笙子さんもプログラム中に案内をされていました

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大鼓の打ち方を習う参加者。小さいもの(小鼓)より大きいもの(大鼓)の方が高い音が出るのは楽器としては珍しいそう

現代においてもリアルに感じる、人間の情緒を描いた能の世界。

これまで「能って難しそう」と思い込んでいた筆者ですが、事前に物語の流れを知るだけで見やすく、人間味あふれるストーリーに共感し、「能の世界」がより身近なものになりました。それは実際に今も使われている大広間を舞台にしていることで親近感が持てたこと、能楽師の先生のわかりやすい解説があったことで安心して能を観賞することができたのだと思います。また御花のみなさんの深い思いが根底にあるのだと知り、一層能公演を楽しむことができました。

前後編に渡って、立花千月香社長の能公演復活に対する思いや御花自慢のお料理のご紹介、9月の能公演のレポートをお届けしました。

次回の10月公演は「狂言と能の違いを愉しむ」宿泊者限定のプランです。狂言は能の物語の前段と後段をつなぐ役割や、昔の社会を面白おかしく風刺する古典芸能でもあり、現代の私たちにもあい通じるわかりやすく楽しめる演目となっています。

また、11月公演は「久留米藩有馬家×柳川藩立花家コラボ企画」となっており、なんと現当主同士の対談もあるそうです。「大名家にとっての能とは何か」により深く触れられる貴重な会となっておりますのでぜひお見逃しなく。

10月19日(水)、11月8日(火)に予定されている能公演の詳細は、御花HPをぜひご覧ください。

(文:林真世、写真:堀川絵里香)


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