2022年9月27日、福岡県柳川市にある「柳川藩主立花邸御花」で、14年ぶりに一般公開の能公演が行われるとのことで「この貴重な機会を逃すまい!」と取材を申し込んだアナバナ編集部。前後編で、御花の歴史や能公演の様子をお届けします。前編では、能公演を実現させた立花家18代で御花の社長である立花千月香(ちづか)さんへのインタビューや、季節の会席料理をレポートします。
立花家、400年の物語
能公演を前に、まずは立花家と御花の成り立ちをご紹介します。
立花家は、今からおよそ400年前に戦国武将立花宗茂(むねしげ)を初代城主として、現在の福岡県南部に位置する筑後国を治める柳川の藩主となります。
優れた為政者であった宗茂は、関ヶ原の戦いで西軍側が敗れたため一時浪牢生活を経験しますが、豊臣時代の武功やその人柄を徳川幕府に認められ、柳川藩主として復活を果たします。関ヶ原の戦い以降、領地を追われた後に旧領を回復することのできた大名は、立花宗茂ただひとりなのだそう。
「御花」の歴史は、その柳川藩主立花家の別邸として始まります。
江戸時代中期、5代藩主立花貞俶(さだよし)が側室や子息たちの住まいを柳川城南西部の「御花畠」と呼ばれていた土地に移しました。柳川城の二の丸機能を移したこの御屋敷は、柳川の人々から「御花」の愛称で呼ばれ親しまれ、現在も柳川藩主の末裔である立花家がその歴史を受け継いでいます。
明治時代に御花の基礎となる邸宅を整備したのは、立花家14代当主・立花寛治(ともはる)です。寛治は東京で学んだ農学の知識をもとに、筑後地方の農業振興のために私財で中山農事試験場をつくるなど、地域社会とのつながりを大切にし、柳川全体の発展のために尽力し続けました。
寛治の農業振興への思いは、息子の15代当主鑑徳(あきのり)へと引き継がれ、その鑑徳の一人娘、文子(あやこ)が夫の和雄とともに創業したのが、「御花」なのです。
戦後すぐに料亭旅館として創業された御花は、70年以上もの長きに渡り立花家が運営し、今なお柳川の地で愛され続けています。
御花の大広間が能の舞台に
御花では以前から能の公演を定期的に行っていたそうですが、一般公開の大広間の御前能は、実に14年ぶりの開催となるのだそう。
9月、10月、11月の3回の公演がそれぞれに違った内容で予定されており、9月公演は「能と食を愉しむ会」として、大広間での能公演と夕食がセットになったプランです。初心者の方でも楽しめるよう要約した内容で、公演時間も短く、参加者の体験も含めたプログラムとなっています。
武家⽂化を表す「式楽」として、大名家にとって⼤切な儀式だったといわれる能。
大名家として長く続いていた立花家には、明治中頃までは独立した能舞台が東庭園に築造されており、最後の藩主である13代当主立花鑑寛(あきとも)、14代当主立花寛治も最後の演能をしたそうです。
その後、能舞台は取り壊され、現在の和洋折衷の近代和風建築に生まれ変わった後も、大広間に敷き舞台を設け能の伝統文化を受け継いでいます。
御花の社長・立花千月香さんの思い
立花家の18代にあたる御花の立花千月香社長に、今回の能公演についてお話しを伺いました。
−14年ぶりに一般の方向けに能公演を復活させた経緯と思いをお聞かせください。
「能は武家社会において発展し親しまれた文化である」と、喜多流の狩野了一先生にその歴史を教えていただきました。以前は能楽師でもある叔母の立花笙子(しょうこ)が窓口になり、定期的にお能の公演をやっていたんです。ただご予約がいっぱいの状況に追われるばかりで、お能がしばらく途絶えていました。
ところがコロナ禍で、自分たちを振り返ってみて「御花の価値はなんだろう」と従業員でじっくり話し合う時間ができたんです。そのなかで文化庁の文化資源の高付加価値化の補助事業にチャレンジして採択されたこともあり、ここでしか体験できないことをひとつずつやろうと。能公演を再びやることを決意するきっかけになりました。
−文化財でもある御花のお屋敷で能を観られるというのは、まさに高付加価値ですね。
今まで、これだけの古い施設を維持しているにもかかわらず、来ていただいているお客様にとっては食事以外印象に残っていなかったり、逆にこの価値を理解されている方には「こんな使い方ではもったいないね」と言われるのが本当に辛くて。
そうやって手探りで行き着いたのが能の文化でした。ただ、14年前と同じことをやるのではなく、全く新しくしたいと。狩野先生とずいぶん話し合い、レクチャーを受けました。大名家と能の繋がりや歴史を紐解いて説明してもらうなかで、「その歴史を守らなければ!」という思いが強くなっていましたね。この文化財を使いながら、日本の伝統文化を守っていく。それは本当に私たちの使命だなって思うんです。
−11月に行われる公演では、旧久留米藩の有馬家とのコラボが予定されていますね。
「有馬藩と柳川藩がともに、喜多流を支えていたんですよ」と狩野先生に教えていただきました。ちょうど昨年、有馬家の方々が御花に宿泊されたことがあって、「一緒に何かできたら」と話していたんです。そこから11月の公演につながりました。有馬家のみなさんも、筑後の地域でなにか貢献したいという思いが強くあられるのだと思います。
−初回である9月公演は、能を初めて見る方にやさしい内容なのだとか。
そうなんです。お能の短縮バージョンは通常はないのですが、今回は特別に短く構成しています。お能が大好きな方は物足りないかもしれませんが、初心者の方でも楽しめるように企画しました。狩野先生も「若い世代がお能離れをしているから、若い世代にもっと親しんでもらえるにはどうしたらいいか」と考えていらっしゃって。能を体験できるプログラムも最後に予定しています。
−これから能を観賞してみたいという方へ一言お願いします。
今回、小学生と高校生のお客様が観覧に来られるんです。それがとてもうれしくて。歌舞伎でも能でも、最初は緊張しますよね。一歩が踏み出しにくいと思うんです。でも「御花だったら観に行ってみたい」と思ってもらえるのは、本当にありがたいことだと思います。能舞台と庭園と文化財を含めた世界観を、ぜひ体験していただきたいですね。
立花さんのお話しを伺って、「初心者でも能が楽しめそうだ」と気持ちが軽くなり、ますます興味が湧いてきました。そして14年ぶりの能舞台に対する立花さんや御花のみなさんの思いを伺い、きっと素晴らしい公演になると予感しました。
秋の会席料理を堪能
“能の演目”で舌鼓を打つ
夜の能公演の前に、夕食会の様子をお届けしましょう。
亭旅館ならではの洗練された会席料理が能公演のプランにセットになっています。
日本一の干満の差が生み出す豊かな有明海と、肥沃な筑後平野によって育まれた柳川の豊かな食材を使った、御花自慢のお料理をレポートします。
本日のお品書きは、前菜、造里、吸物、煮物、焼物、凌ぎ、替鉢、御飯・止椀、甘味。
前菜は8品あり、能の演目「清経」に出てくる舟から着想され、さまざまな有明海の珍味を使用して仕上げられています。有明海の食材のなかには、普段はお目にかかれないムツゴロウも隠れていました。
「わっ」と心踊ったのはお吸い物。
漆椀の蓋を取ると、薄黄色の丸い豆腐が顔を出します。まるで漆黒の闇に浮かぶ、美しい満月に見えませんか?
すすき葱が揺れて、百合根と梅肉で彩られた赤い目のうさぎがお月様を見上げるよう。やさしい出汁と豆腐の上品な甘さに薬味のアクセントが加わり、目でも舌でも楽しめる一品です。
アルコール以外の飲み物にも、この地域らしさを感じられるものがありました。
「蜜柑搾り」は、立花家の農園「橘香園」で収穫したみかんを使ったフレッシュジュースです。濃厚で新鮮なみかん果汁は目が覚めるようなおいしさで、 芳醇な香りとみかん本来の甘酸っぱさが口いっぱいに広がります。
減農薬で栽培されたみかんを皮ごと搾っているので、体にもやさしくおすすめですよ。
そして料理人の細部へのこだわりが垣間見える、焼物。
能の演目「清経」のイメージから、武士の甲冑や刀を想起させるロブスターと太刀魚が使われているとのことで、器を能舞台に見立て、能を舞う様子が表現されています。
なんと能の演目で舌鼓を打てるとは……!
凌ぎは、おこわに柳川名物の鰻をのせ、山椒の餡と菊の花で華やかに仕上げた鰻飯蒸し。爽やかで上品な味わいです。
替鉢は、柳川和牛のロースと野菜を鉄板焼きでいただきます。新鮮な食材だからこそシンプルに焼くだけでもおいしいのですが、岩塩とワサビを付ければさらにうまみが引き立ち、食材の味をじっくり感じることができました。
最後のシメは、柳川名物の鰻のセイロ蒸し。御花秘伝のタレをつけてじっくりと焼き上げた鰻をご飯に乗せて蒸しているので、ふっくらとしていて奥深い味わいでした。
デザートの季節のフルーツでさっぱりと終え、すでに大満足、大満喫。
海の幸山の幸、さまざまな調理法で提供される季節感あふれるお料理とともに、テーブルでの参加者同士の会話も楽しい時間となりました。
余韻に浸っていたのも束の間、身支度を整えて移動する頃にはすでに辺りは暗くなり、大広間は厳かな雰囲気に……。これからどのような一夜が待っているのでしょう?
後編は、大広間で繰り広げられる優美な能舞台の一部始終をお届けします。
(文:林真世、写真:堀川絵里香)