博多まちづくりミートアップ

博多×着物 暮らしがもっとわくわくする! 博多と着物の楽しみ方〜ミートアップvol12レポート前編〜

鴛海伸夫 Nobuo Oshiumi

株式会社鴛海織物工場 代表取締役社長
鴛海伸夫 Nobuo Oshiumi

博多織メーカーの三代目。博多織という丈夫で価値ある絹織物を素材として。バッグや小物、アクセサリーなど、オリジナルデザインのアイテムを提案するブランド「HAKATA JAPAN」など、新しい取り組みも積極的に行っている。

田中えり子 Eriko Tanaka

多奈ゑりきもの教室 主宰
田中えり子 Eriko Tanaka

習いたいことが習える着物の着かた教室「多奈ゑりきもの教室」主宰。「着物を着て美しくなる」をコンセプトに、福岡を拠点に流儀流派にとらわれない、オーダーメイドのレッスンを開催、洋服のように自由に楽しむ着物やゆかたの着方を提案しています。


12回目となる博多まちづくりミートアップのテーマは「博多×着物 暮らしがもっとわくわくする! 博多と着物の楽しみ方」。ミートアップが開催されたこの秋という時期は、博多では博多織の新作発表「求評会」が行われるなど、まちのいたるところで「和」を感じる季節でもあります。近年では博多織をバッグや小物などで気軽に取り入れたり、着物を現代風のアレンジで個性的に楽しむなど、着物に感心を持つ人も増えています。そこで今回のミートアップは、博多織や着物のプロであるお二人をゲストに迎え、着物という文化に親しみながら今の博多のまちを楽しむためのヒントを探ります。


(株)鴛海織物工場
〜博多織、激動の時代とともに歩んだ90年〜

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白石さん(以下、白石)みなさんこんばんは。本日のミートアップの進行を務めさせていただく白石です。本日のテーマは「着物と博多」。僕自身、着物ユーザーでして、結婚式などでは基本的に着物を着ていますので非常に楽しみです。

杉山さん(以下、杉山)みなさん、こんばんは。冷泉荘の管理人の杉山です。

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本日のモデレーター、白石さん

白石まずはゲストの方に、自己紹介を兼ねて、自身の活動についてご説明していただきたいと思います。一人目は、博多織メーカー(株)鴛海(おしうみ)織物工場の鴛海伸夫さんです。

鴛海さん(以下、鴛海)みなさんこんばんは、鴛海です。鴛海織物工場という会社は私の祖父が創業した博多織メーカーで、今年で90年を迎えました。着物に締める帯を中心に、最初は手織りをメインに問屋に卸していました。時代とともに機械化が進むにつれ、工場の隣にあった自宅には従業員の方々が住み込みで働くほど忙しい時代もありました。私も大学卒業後は自分の会社に就職して、工場での力仕事や東京・京都の問屋さんで販売などをしていました。しかし着物市場そのものが小さくなり、問屋さんもどんどん畳まれていく中で、30年ほど前にはうちも縮小し、私もいったん会社を離れました。東京のインテリア雑貨の会社に就職し、そこでしばらく働いたあと福岡に戻ってきたのが2000年のことになります。

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(株)鴛海織物工場 代表取締役社長の鴛海伸夫氏

鴛海帰福のきっかけとなったのは、「HAKATA JAPAN」というブランドの立ち上げです。これは経済産業省の産地活性化事業のひとつで、これまで帯地を中心に「和装」として発展してきた博多織を、もっと違う使い方で、また新しい層に身に付けてほしいとの思いでスタートしたものです。
博多織工業組合員5社で始まったのですが、それまで着物や帯を中心に製造してきた会社がファッション市場で新しいビジネスを展開していく厳しさもあり、最終的に5社のうち4社は脱退されました。幸いうちの会社は縮小していたこともあり、3ヵ年の事業年度が終了する前に話し合い、4社は継続が困難だということで、新しい方向を目指していた弊社が、この事業を引き継ぎ単独でやってきました。5年前には、博多リバレインの1階でHAKATA JAPANの直営店をオープンしました。

博多織について知ろう

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鴛海まず最初に、博多織とはどのようなものなのかということについて簡単にお話をします。

〈博多織は今年で777歳!〉

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鴛海博多織は、今年で伝来から777年になります。博多の商人だった満田弥三右衛門(みつた・やざえもん)が、弁円和尚(後の聖一国師)の随行者として南宋に渡り、織物の製法を修得し、帰国して伝えた織物技法が博多織の起源と言われています。

〈伝統工芸生産額はピーク時の1/5〉

鴛海伝統工芸品の中の和装業界は、全盛期は2兆円産業とも言われていましたが、現在は約3000〜4000万円ほどの規模に縮小しています。時代の変化で身に付けている人の数そのものが減ってきているんですね。

白石ちなみに今、博多ではどのくらいの織元さんがいらっしゃるのですか?

鴛海全盛期は180以上ありましたが、現在は、博多織工業組合に加入しているところが46、その半分が法人、残りの半分は個人です。意外だと思われるかもしれませんが、実は個人の組合員は増えてきています。13年前に博多織デベロップメントカレッジという養成学校ができたのですが、そこの卒業生が独立したのが背景となっています。

〈博多織の代表は、帯〉

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献上柄。左から、親が子を守る「親子縞」、煩悩を打ち砕く仏具「独鈷」、子が親を慕う「孝行縞」、仏の供養に用いる「華皿」

鴛海博多織の歴史の中では、着物を作ったりベルトを作っていた業者もいましたが、女性にも男性にも最も親しまれてきたものは、やはり帯です。全体の生産数の中でも、帯は9割を占めています。その中でも「博多献上」とか「献上柄」と呼ばれているものが、博多織を代表する柄です。独鈷(どっこ)、華皿、子持縞(こもちじま)など仏具に由来する柄を、昔の人はお守り代わりに身に付けていたんですね。もちろん時代とともに作り手も様々なデザインを考案していきますので、花柄、幾何学文様、風景画、昔の陶磁器を参考にあしらってみたり……博多献上以外の柄もたくさんあります。

〈博多織の織り機〉

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鴛海昔は手織りが主流だった博多織も、現在では一部を除いて機械織りとなっています。機械とはいっても45年も前のもので、糸の調整や管理を常に人の手でしなければならない。どうしてこんなに古い機械をいまだに使っているのかというと、織機が製造されていないんですね。織機メーカーさんは、アパレルやインテリアのほうでは技術開発をしていますので、広幅で且つ高速で様々な生地を織れる機械は製造してますが、帯としての風合いや繊細な文様を出せる機械はなかなかないんです。

〈博多織の生地は、とにかく丈夫〉

鴛海よく「博多織って西陣織とどう違うの?」と聞かれますが、歴史上一番の違いは、西陣織は緯(よこ)糸で柄を織り出すのに対して、博多織は経(たて)糸で表現するところでしょうか。博多織の経糸の本数はメーカーによっても違いますが、5000〜6000本とされていて、これは西陣織のおよそ1.5〜2倍にあたります。そこに太い緯糸が力強く打ち込まれていくことで、密度が高く緩みにくい上に、長年締めていてもなかなか擦り切れない丈夫な帯が作られます。

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〈博多のまちなかでも博多織〉

博多織の献上柄は、実はまちなかの様々なところに使われています。例えば地下鉄博多駅のロゴや、タクシーの車体、建物、お菓子のパッケージなど、意外と身近なところで目にしていただいていると思います。

白石ありがとうございました。

多奈ゑりきもの教室
〜田中さんと着物との出会い〜

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白石続いて、多奈ゑりきもの教室の主宰でいらっしゃいます田中えり子さんにご紹介いただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

田中さん(以下、田中)みなさん、こんばんは。着付け教室をしています、田中と申します。まず最初に、私自身と博多との関わりにつてですが、実は私は福岡市出身ではありません。正確には、福岡県築上郡吉富町という所の出身で、18歳までそこで過ごし、進学で市内に出てきました。

白石着物との関わりはいつ頃から?

田中わりと小さい頃からありました。というのも、私の母が着物が好きだったので、幼少期の頃からよく着物を着せられていたんです。また小学校高学年からは茶道を習い始めたこともあり、同年代の友人に比べると着物に触れる機会は多かったと思います。着付け自体は、高校3年生のときにお茶の先生から着付けを教わったのが始まりでした。18歳の時から自分で着られるようにはなったものの、高校卒業後は市内のコンピューター関連の学校に通って、PCのインストラクターを数年間務めたりもしていたので、着付けが仕事の役に立つということはしばらくありませんでした。

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多奈ゑりきもの教室の主宰、田中えり子さん

田中結婚を機に「もう一度ちゃんと着られるようになろう」と、着付け教室に通い始めたのですが、周りに着物を楽しむという方はほとんどいませんでしたし、やっぱり自分もなんとなく着なくなってしまった。せっかく習ったのに、年に1〜2回着るというのが10年くらい続きました。

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田中そんな中で、十数年前に私の中で第2次着物ブームがやってきました(笑)。とある着物パーティーに誘っていただいたのですが、そこには着物を洋服のように楽しんでいる人たちが集まっていたんです。それまで私は、着物=冠婚葬祭や結婚式だったので、「ああ、こんな着かたをしていいんだ」とカルチャーショックを受けた。それから毎週末着物を着るようになりました。すると自然と着物友達ができる。その人脈を通して、博多織の織元に入社したというわけです。お店では着付けの講師兼販売員として4年ほど勤め、どっぷり博多織の世界に浸かるようになりました。そのうち、自分のやりたいことを思い切りやりたいという思いが強くなって、8年前に独立して今に至ります。

着物を自由に着るってどういうこと?

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白石実際に田中さんは普段着に着物を着られるそうですね。普段着に着物とうのはなかなか馴染みがないですよね。

田中着物教室には流派がたくさんあるのですが、私は一切そういうものを掲げておりません。掲げてしまうと、どうしても「こうしなければならない」という制約が出てきてしまうんですね。例えば「半衿(はんえり)」をどのくらい見せるかは、流儀で決まっている。でも私はもっと自由に着物を楽しんでもらいたいので、そういうことには一切こだわりません。

白石具体的にどのように自由な着かたをされているのですか?

田中例えば今日の着かたは、普段より1割くらいお洒落です(笑)。ポイントは、「裾除け」についているプリーツをわざと見せているところ。着物の下には必ず「裾除け」といって、下着のようなものを1枚着るのですが、最近ではユニクロやGUでロングスカートを買ってきて、下に着る方もいらっしゃいますよ。

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この日着ていた着物の「裾除け」のプリーツを見せてくれる田中さん

田中どういう方がこういう着かたを考えたかというと、背の高い方でアンティークの着物が好きな方。アンティークの着物って大正・昭和初期のものが多いので、まだ女性も小柄だった頃のサイズなんです。今の160センチ以上の方がアンティークの着物を着ようと思ったら、10センチくらい丈が足りないでしょう。であれば、短くてもわざとプリーツを見せてお洒落に見せる。そんな経緯がファッションの工夫につながっています。実際にこういうものが製品になって販売もされているんです。私はこういうものもどんどん提案していきたい。

白石なるほど。それは自由ですね。

田中あともうひとつのポイントは、ベルト。着物には「帯締め」という、帯を固定する小道具を使います。帯を固定することはベルトを絞めることと同じなので、洋服に使用するものを使うことがあります。ほかにも、帽子もよく被りますし、ブーツを履くこともあります。特に雪の日なんかだと、草履なんて履いてたら普通に濡れちゃいますよね。だったらちょっと丈を短くして、ブーツを履く。こういう感覚で着物を着れたら楽しいんじゃないかな。

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帽子やブーツ、ベルトなど、洋服のアイテムも自由に取り入れながら着物の楽しみ方を提案する田中さん

田中私の目指すところは、洋服と着物との境目をなくすこと。洋服の延長線上に着物があるという感覚ですね。例えば「今日は何着ようかな」とワードローブを開いて「今日は着物でも着てみようかな」と、軽い気持ちで楽しめるのがベストだと思っているんです。実際に手軽な素材のものも増えています。帯もピンキリですが、実は博多織は、値段的にも求めやすいし、比較的ユーザーに優しい帯だと思います。そういった意味でも、もっと博多織のことも知ってほしいですね。


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