クラシックのコンサートやオーケストラと聞くと、敷居の高い話に聞こえるでしょうか。でも、なじみの喫茶店の主人に「今度プロの音楽家が演奏会をひらくから、遊びにいらっしゃい」と誘われたら? なんだか遠い存在だったはずの演奏会も、とたんに親近感が湧いてきます。「音楽のイベントか。友達誘って行ってみようかな」と。
“ 市民とともに歩むオーケストラ ”を合言葉に1975年以来、九州で毎年開催されるオーケストラの第44回公演が今年も2月に開催されます。日本フィルハーモニー交響楽団(@japanphil)は1956年に創立されたプロのオーケストラです。歴史あるこの楽団名を、一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?
今回ご紹介するのは、その日本フィル“九州公演”の成り立ちと、楽団と市民の関係についてです。 お話しを伺うきっかけとなったのは、大牟田公演の事務局長を務める上野由幾恵さんとの出会いでした。
上野さんが営む『コーヒーサロンはら』は、大牟田市の中心部、アーケード街の端にある小さなビルの2階にあります。グランドピアノとすこしひかえめに流れるクラシック音楽、手入れの行き届いた上品な家具が備わった空間は、外の喧騒と一線を画す素晴らしい喫茶店です。
実は上野さんのお店は、大牟田公演の事務局であり、チケット販売のプレイガイドも担っています。この喫茶店で、毎年80人を超えるオーケストラを迎えるための準備が32年間、一度も途絶えることなく続いてきました。
上野さんは、日本フィル九州公演について「市民が支えるオーケストラというのは、世界でも類をみない存在」とおっしゃいます。
スポンサーに頼らず、音楽を求める地域の人たちとプロのオーケストラが共に作り上げる演奏会とはどんなものだろう? 30年以上も続くオーケストラとの交流は、まちにとっての財産であり、文化と言えるのでは? そんな関心が高まり、上野さんにお話を聞いてみたくなったのでした。
今回は、大牟田公演をはじめ、日本フィルを支える市民を代表する上野さんに、日本フィル九州公演の歴史と活動の思い、そしてこれからのことについて、前編と後編に分けてお話を伺います。
演奏は人間性まで含めて聴く。市民が支えるオーケストラの原点とは
アナバナ 第44回の九州公演がいよいよ始まります。上野さんが事務局長を務める大牟田公演も、2月16日に開催されますね。
上野さん(以下上野) はい。九州公演は44回目ですが、大牟田は九州公演の中でも後発で、今回32回目です。九州はいま10都市で公演があって、大牟田以外の公演はだいたい県庁所在地。大牟田は新しく文化会館ができて、そのオープニングを飾ったのがはじまりです。
アナバナ 上野さんが大牟田に日本フィルを誘致したのはなぜですか?
上野 労音というのをご存知ですか? 古い世代じゃないと知らない? 労働者の”労”と音楽の”音”。つまり、労働者の団体で作った組合組織で、毎月会費を払って積み立てておいて、自分が好きな音楽が来た時に定額でチケットを購入できるっていうシステムが、全国組織ですごく広がったの。それもあって大牟田にはちょこちょこ労音主催のオーケストラが来てました。その時に日本フィルも来てたんです。
で、私はお金を払って聞きに行く側で、よく行ったんですね。このお店をはじめた時に、その楽団員の中に大牟田出身の音楽家がいるというのがわかりまして。その方も「ぜひ大牟田にオーケストラを呼んで欲しい」ということで、気持ちが一緒だったんですね。そんなことがきっかけでスタートしました。
アナバナ 以来、32年間お店も年中無休で営業されながら、日本フィルの大牟田公演事務局として、サロンを続けていらっしゃるのですね? 年中無休というのはすごいことです。
上野 ええまあ。でも、やっぱりプレイガイドをしたりコンサートもしたり、コンサートの予定を入れる方もいたり。打ち合わせなんかもあるもんですから、自然といつもこの場にいるという形態ができあがってしまって。ですから、もう当たり前みたいになってます。
アナバナ 九州公演は44回目ということで、とても長い歴史があるのですね。
上野 そうです。日本フィルの歴史というものがあって。オーケストラは当時フジテレビと文化放送がスポンサーだったんです。週末になるとラジオでクラシックコンサートというのがあってですね。それを聴くのがすごく楽しみだったの。それをラジオで聴けるというのは、東京のスタジオで生演奏しているのをそのまま流していたという事情があるから。ところが、録音あるいは録画という技術ができたら、生演奏はいらないんですね。だから結局、スタジオ演奏というのはなくなって。録音してそれを番組で放送すればいいというふうに意識が変わってしまったんですね。日本全体が近代化の道を歩いていて、そういうふうに変化したんです。
そうなった時に、オーケストラというと100人以上の人間を常に抱えているわけですから、金食い虫なんですよ。収入があろうとなかろうと、生身の人間がいるということは、生活を支えんといけないもんだから。だから首を切っちゃったの。
アナバナ スポンサーを降りたということですか?
上野 というより、解雇。だから路頭にまよってしまったんです。100人の人間が。100人ということは、家族までいれたら数百人ですよね。それだけの人間が路頭に迷う状況が発生してですね。演奏家というのは演奏するというのが仕事ですから。いってみれば社会性のない人たちだったんです。それで、今みたいに情報源もないし、自分たちの置かれている立場がどんな状況か判断する材料もないし。だもんですから、日本全国の労働者のあいだで運動が起きたんです。有名無名にかかわらずみなさんがこのオーケストラを支えようって。北海道から九州までね。
で、私ね、人が人を支えるというか、世の中にそういう生き方というか、そういうことが現実にできるんだって、非常に衝撃を受けました。人が人を支えるという発想を初めて知りました。実際それが稼働をはじめるんですね。だから日本フィルとしては、そういう支えてくれた団体組織のところに行って演奏することでお返しをするみたいなかたちですね。それを支える側は、一方的に聴くだけじゃなくて、人間性のところまで全部含めて聴く。聴くためにはお世話をしないといけない。演奏することでその一連の流れが可能なんだって、私は衝撃だったんですね。
アナバナ そんな歴史があったのですね。上野さんのおっしゃる“人間性のところまで聴く”というのはどういうことでしょうか?
上野 それまでは行きたい時はお金を払って聴く、っていう一方的な受け身。だけど今から先はその人たちを支えよう、っていう気持ちと一緒に聴くということ。今の日本フィルの原点ですよね。それでオーケストラの中に大牟田出身の人がいるっていうのは、余計に身近に感じました。
世界でも例のない”民主的な運営方法”と交流の中で育まれてきた九州公演
アナバナ 野暮な質問ですが、上野さんは好きな音楽家とかいらっしゃいますか?
上野 うーん、ものにもよります。特に好きな作品はないけど、この人じゃないと生み出せなかったり、この人じゃないと作れなかったりする作品だろうっていうのはあって、それは大事にしたいと思いますね。
アナバナ 私はオーケストラのことは全くの素人で、ピアノの音楽好きだなという程度なんですね。オーケストラとはどういうものなんでしょうか?
上野 昔は、時代でいうとモーツァルトとかベートーヴェンの時代ぐらいまでかな、今のようなオーケストラスタイルじゃなかったんです。編成が今の半分とかもっと小さかったりして。そんなもんだったんですね。ですから当然ですけど音楽の表現もそれなりの幅だった。当時はそれなりにモーツァルトなんかも十分に満足していて。10人、20人のミニチュアみたいな形でもすごく嬉しくて。それに見合った曲を作っていました。ところが、音楽が食べていけるお仕事にだんだん変わってきて。そこに関わる人が増えてくるんです。当然オーケストラの演奏者も増えます。それで今のスタイルができたということなんですね。
アナバナ なるほど!
上野 昔は王様とか貴族のお金の力で、音楽家を身近に置いて、使用人みたいにしていた。当然コザックとかハイドンとかも王様のために次から次に音楽を作らないとお給金に響いてくるから作らないと、となるわけですよね。でも作れた。才能があったから。一生食べるに困らない人生を送っているわけです。
アナバナ なんだか日本フィルと同じような歴史がありますね。
上野 まったくそうです。だからもう、スポンサーがいなくなっても演奏活動を続けるというのは、ものすごい決断だったんですね。ですけど分裂してしまったんです、オーケストラが。日本フィルの中でも意見が綺麗に二つに割れて。
一方は早く次のスポンサーを見つけて音楽活動がしたい。もう一方は経済とか近代化とか、そういうものに振り回されては良い演奏ができない。今のような経験は二度としたくない、と留まった。今、我々がしている、市民が支えるという形を選択したのが日本フィルハーモニー交響楽団です。もちろん、スポンサーを見つけた方々も、今でも華々しく活躍してらっしゃいますよ。
アナバナ “市民とともに歩むオーケストラ”というスローガンには、そういう背景があったのですね。九州は2月に本公演ですが、その前に、上野さんのお店や公共の施設などで小さなプレコンサートを開かれていますね。
上野 ええ。オーケストラが1年に1回しかこないんじゃ寂しいということになりまして。小さな単位でもなんとかできないだろうかという話を日本フィル本部に相談して、室内楽だったらなんとかできるということになって。30年ぐらい続いています。
地元の人が集まりやすい施設があるでしょう。学校だったり病院だったり。たとえば子供さん向けの音楽会のように、いろんなことができる場所だったら生き生きと地元の人たちと交流できるんじゃないかということで、今のスタイルが生まれました。九州10カ所の公演地に2グループに分かれて、毎年主に11月と12月に5日間ずつ開催しています。
アナバナ 日本フィルと聞くと、華々しい世界を想像しますけど、本当に交流の中で育まれているということが、上野さんのお話から伝わってきます。
上野 やはり基本は人間ですからね。職場や立場が違っても基本は人間だと思いますね。大牟田にいても楽団のみなさんと変わらないんだと。立場が違うだけで、本当にいいものを求めて、それを喜んでくださる方達が、そう多くなくても毎年続いていくっていうのは、一番幸せなことなんじゃないかなっていう風に思ったりします。
アナバナ その九州公演ですが、九州10カ所の開催地が一丸になっているというか、“束”になっている印象があるのですが、どのような仕組みで運営されているのですか?
上野 以前は北海道、東北、中部地方、四国といろいろあったんですけど全部途絶えてしまって。難しいのはやっぱり運営資金の面です。人口密度が開催地によって違うでしょう。たとえば150万人を超える福岡市と10万ちょっとの大牟田市をみてもわかるけど。同じオーケストラの演奏会をするにしても運営費だとか売上に当然大きな差が出てくる。それをいちいち言わないで、全部売上を集めて、一度東京の日本フィルに収めて。黒字がでたところが赤字のところを補填するという方法で運営がなされているんです。このやり方は最初っからいままでずっと続いているんです。
特に大牟田みたいな人口の少ないところではこの制度がなかったらまず不可能ですから、非常に助かってます。主催するオーケストラ側もちゃんと理解をして、その制度ならば10カ所全部公演できますねということで。
これは日本だけではなくて、世界にも例のない、非常に民主的なやり方だと思います。
アナバナ それで公演名が“九州公演”となっているのですね。
上野 そうです。チケット代も彼らの活動資金になりますから。席数によってその分担金というのが決まっていますんで、大牟田だけで埋まらない場合は他の地域でカバーし合って、って。大牟田だけよければいいという話じゃないんですね。
アナバナ なるほど。まさに日本フィルが市民の支えで再起したことと重なる在り方が、九州公演でも生きているのですね。
上野 本当にそうですね。やっぱりオーケストラも、運営がそんな不安定な公演なんてあんまりしたくないと思うんですけれど。最初に申しましたように、合理化の中で路頭に迷った時に、一番、今までずっと変わらず支えてくれたのは九州。熱血漢が集まる九州の地がそうさせたんだと思います。みんな離れて行ったのに九州だけが残ったという。ですから本当にお付き合いが長い。親子二代で来られる方もいらっしゃいます。
(後編へ続く)
(取材・文 / 曽我、写真 / 大牟田日本フィルの会事務局)
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【第44回九州公演-全10公演】
詳細は公式サイトへ(■日本フィル公式サイト)
【開催地】長崎、佐賀、北九州、唐津、宮崎、大分、大牟田、福岡、熊本、鹿児島
【第44回九州公演-日本フィルin 九州 大牟田公演】(■大牟田日本フィルの会WEBサイト)
【開催日】2019年2月16日(土)
開場13:30 開演14:00
【会 場】大牟田文化会館 大ホール(大牟田市不知火町2-10-2)
[出演者]
指揮:藤岡幸夫
ピアノ:萩原麻未
[プログラム]
ムソルグスキー(R=コルサコフ編曲):歌劇《ホヴァンシチーナ》より序曲「モスクワ川の夜明け」
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
ムソルグスキー(ラヴェル編曲):組曲《展覧会の絵》
※開場時にロビーでウェルカムコンサートを開催します。
※開演10分前から藤岡幸夫さんによるプレトークを行います。
【料金】
SS席:7,000円(指定席)
S席:6,500円(指定席)
A席:6,000円(指定席)
B席:5,000円(指定席)
車椅子席・母子室:3,500円(※)
学生席:各料金の半額(小学生~大学生)
※未就学児の入場はできません。
※学生席は、購入時に年齢が確認できるものの提示をお願いします。
※車椅子席・母子室の取り扱いは事務局と大牟田文化会館のみ
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【2023/2追記】
2023年の大牟田公演は2月19日(日)に開催されます。
お問い合わせ先が記事作成時から変更されていますのでご注意ください。
ご予約/お問い合わせ
大牟田日本フィルの会
TEL:080-4280-2401 FAX 0944-57-6555
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