博多まちづくりミートアップ

人の流れがまちを変える! リノベーションを通じたまちのにぎわいの作り方〜ミートアップvol11レポート後編〜

ビンテージビルという新しい概念

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吉原こうした再生を図る時に僕らの頭にあるのは、「ビンテージビル」という概念です。ビンテージ、つまり古いものの価値はどこにあるのかを考えたとき、建物というハード面の価値というよりも、入居者どうしのつながりがこの建物の本質的な価値になっているわけです。このコミュニティの醸成こそが、貨幣価値を生んでいるんじゃないか。それが冷泉荘から学んだことです。
ビンテージビル再生の取り組みが形になってくると、この概念に共感したオーナーさんが集まってきます。強烈に共感してくださる方は、独自のビンテージビルを作られていきます。最初は僕たちもお手伝いしますが、手を離れたあとが面白い。色々なビルが色々な形で再生していくんです。これを僕は「にじみ出し理論」と呼んでいます。つまり冷泉荘というひとつのビルに集積させたあるエネルギーが、周りににじみ出してその流れを広げていくんです。
これは社会的なさまざまな課題の解決にもつながっています。例えば空き家だった建物が持続経営可能な建物になる。入居者にとっては人と人のつながりが希薄だった“無縁社会”が、つながりを持ったものになる。そのエネルギーがにじみ出すと、自然とまちづくりが起こっていく。ビンテージビル=古い建物こそまちを変えるエネルギーを持っていると思うし、そういう意識を市民の方と入居者の方にも持ってもらいたいと思っています。

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大牟田の事例 〜地方都市こそ格好良い!を目指して〜

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古いビルを建て替えていくとまち全体が新築だらけになりますから、家賃が高くなります。そうなると若い人たちが活躍できません。そうではないあり方、若者がチャレンジできるまちづくりに、僕らは今取り組んでいます。
大牟田市では、遊休不動産の活性化を通したまちづくりを行なっています。大牟田の人口はすごい勢いで減っていて、衰退の度合いもかなり激しいものとなっています。デパートがあった場所には駐車場ができて、商店街には誰もいません。しかも大牟田は、衰退による消滅可能性都市に指定されています。でも裏を返せば、消滅可能性都市でまちづくりの成果が出せれば、そのまちはある意味で最先端だと思うんです。

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吉原具体的に何をやっているのかというと、市民の方々と一緒にDIYでリノベーションすることで、まちに対する愛着を深めようという試みです。みなさんに持っていただきたい意識は「地方だから面白い!」。商店街の空き店舗や誰も住んでいない部屋を安く借り上げて移住者を募り、入居する方が決まればさっそく市民の人たちと一緒に部屋づくりスタートです。移住者からすると、住み始めるときにはすでに仲間が100人もいるわけです。

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飲み屋ビルの屋上が市民によるリノベーションによって子どもたちの遊び空間に生まれ変わった

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「街なかストリートデザイン」という商店街活性化のプロジェクトを通じてUターンの男性がイタリアンレストランをオープン

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商店街のテナントが借りられなくても、アーケード内にテントを並べて「リトルマーケット」を実施

吉原これらの事例をきっかけに、現在は9店舗が開業に至りました。商店街全体を活性化しなくても、ひとつの事例が起こると、数倍のスピードでまちが変わっていくんです。でもまちづくりというのは、真似するだけじゃダメなんですね。僕は大牟田のまちで、このまちならではのやり方を目の当たりにしました。地元のエネルギーを地元風にアレンジすることが、これからのローカリゼーションの原点になるんじゃないかと思います。

白石ありがとうございます。冷泉荘からはじまったリノベーションの取り組みが様々な形で広がりを見せていることが見えてきました。

日本人はご近所付き合いが苦手!?

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白石日本では、古い建物を再生しながら住み続けるということ自体がまだまだ主流ではありませんが、海外ではどうなのでしょうか?

吉原世界の主要都市の賃貸住宅に関するアンケート調査があるんですが、そのデータがすごく興味深いんです。例えば〈入居時の築年数〉ですが、日本は新築〜20年以内の建物に住んでいる人たちが多いのに対して、NYやパリの人たちは築50年以上が普通です。

白石なるほど。世界の主要都市からすると、冷泉荘も当たり前だということですね。

吉原その通りです。もっと驚くのは、〈集合住宅内で親しくしている人の数〉が、東京は0人が80%もいるのに対して、NYやパリは5人以上が結構います。これもよく考えると、近所に親しい人がいるというのは普通の生活のはずなんですよね。〈住民同士が会えば挨拶をする〉の項目はどこも同じくらいですが、〈おおよそ他の住民とは顔なじみ同士である〉〈同じ集合住宅に暮らす身として他の住民には親近感がある〉は、東京はダントツに低いんですね。日本人って、同じ建物に住んでいる人が苦手なのかなと思ってしまいます(笑)。

白石それはすごいですね。福岡に住む我々からすると、そうだよなと頷ける部分もある一方で、福岡は顔見知り率がもう少し高いような気もします。

吉原はい、あくまでもこれは東京のデータですし、福岡は“同じまちに住んでいる共感度”がほかの都市に比べると高いですね。

古いものの痕跡が残るまち、博多

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白石吉原さんにとって、博多のまちの面白いところってどんなところだと思いますか?

吉原博多に限らず福岡ではいたるところで“古いもの”を肌で感じられる都市だと思いますね。江戸時代に描かれた福岡のまちの古地図と現在の地図を比べると非常に面白い。例えば江戸時代に描かれた住吉神社のスケッチは、よく観察すると木の配置やその形まで緻密に再現されていて、その木が大きくなってまだ残っていることが分かるんです。またキャナルシティ博多周辺のS字の道路は川の跡であったり、その周辺にあった房州堀がいまだに赤煉瓦壁として残っていたりと、目に見える形で生きている。古い痕跡は消えてしまったようで、実は色々なところにまだ息づいているんですね。そういう点に気付くことができると、自分のまちへの親近感がぐっと湧いてくるんじゃないでしょうか。

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江戸時代に描かれた住吉神社のスケッチを背に話す吉原さん

白石確かに福岡には歴史を感じさせる場所がたくさん残っています。表の大きな通りでは次々と新しい開発が進んでいて、それはそれですごく賑やかで活気のある良い部分もあるのですが、一歩入ったところには古い建物や痕跡がまだまだありますね。

吉原外国に行った時、路地裏を歩いたら懐かしい感じがすることはありませんか? このノスタルジックな感覚って普遍的なものですよね。実際に海外の方が博多の路地裏を歩くと、懐かしいような感覚を抱くようです。まちづくりにおいてこの感覚がクローズアップされることはあまりありませんが、そういう点も含めてまちの残し方をより研究していく必要はあるんじゃないかと思います。

白石福岡市には、旧市街の価値を高めて観光名所にしていこうという動きも出てきていますが、レトロなビンテージビルをリノベーションして残そうという取り組みはまだまだ多いとはいえないのが現状だと思います。

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吉原以前リノベーションの研究をされている大学の先生におっしゃっていただいたのは、冷泉荘がほかのリノベーションの事例と異なるのは、「持続していること」であると。持続しているプロジェクトというのは、実は国内ではほとんどないそうです。その理由の一つに、建物の賃貸契約が期間限定であることがあります。せっかくいいものが生まれても、期間限定だからなくなってしまう。僕らの言うビンテージビルは“やり続けること”が前提ですから残ります。 同じようなプロジェクトに、長野県の善光寺門前町のリノベーションがあります。彼らはなんと50近い空き家を再生させているんですね。「建物を使い続ける」という前提があると、建物を“熟成”させることができます。その熟成期間があって初めて、まちは変わり始める。どんな風にまちを変えようかと短期的に考えていくよりも、まちづくりを続けるためにはどうしたらいいのかを考えるほうが、より重要なのかもしれません。

来るもの拒まずの冷泉荘

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白石冷泉荘は「開かれた場所であること」という発言も先に出ましたが、実際にこの多目的スペースも年間かなりの稼働率のようですね。それがまたサスティナブルの大きな役割を果たしているのではないかと思います。福岡でもオープンスペースやシェアオフィスなどが増えつつある中で、なかなか形にならずに終わってしまうものもあるようですが、冷泉荘のスペースが長く続く理由はなんだと思われますか?

杉山スペースを運営する側には、キュレーションとコーディネートという2つのやり方があると思います。オーナー側が企画したり招待したり、集まって来る人を意図的に選ぶことで収益を上げるのがキュレーションだとすると、どんな人が来るのかわからないけれど、良い人たちにうまく集まってもらうための状況を作るのがコーディネート。キュレーションのほうは、来る人を選ぶことでオーナーの意図通りに進んでいきますし、ブランディングもしやすく、ある程度維持もしやすいのかなと思います。

白石それに対して冷泉荘はコーディネートのやり方をとっている、と。

杉山そうです。冷泉荘は「開かれていること」がミッションですので、来る人は選ばずに誰でも何でも受け入れます。それって結構難しかったりもするのですが、受け入れを続けていると、使いたい方がどんどん増えてきて、今は稼働率限界ギリギリです(笑)

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白石利用数はどのくらい上がったのでしょうか?

杉山利用件数と稼働日数とで分かりにくいのですが、最初は利用件数が年間10件ほどだったのが、現在は300日近く稼働しています。収入としては年間約100万円だったのが、今は200万円近くになりました。レンタル料の単価は安いんですが、稼働数を上げることで維持しているという状況です。
誰でも自由に使えるスペースは、福岡ではどんどん減っている状況です。ギャラリーやアートスペースはキュレーションが多いのですが、誰でも受け入れてくれるオープンスペースは少ないんですよね。コーディネートしながら維持していくのは大変なんだと思います。

吉原勝手に進化していくものをどれだけ我慢して見続けられるかがポイントですよね。

白石杉山さんの個性的なキャラクターもキュレーションする側の表現ではなく。「ひらかれていること」の象徴なんですね(笑)。ありがとうございます。

外への発信と内部のコミュニティづくり

〈ミートアップの終盤には、参加者からの質問が飛び交いました。その一部をご紹介します〉

参加者1冷泉荘が住居だった頃は住んでいる人も様々で、マフィアのような方もおられたとか(笑)。その住居から今の事務所に変更したとき、どのような告知をされ、どのようなステップを踏んで現在のような満室にいたったのでしょうか。

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吉原僕もはじめは建物として再生できるか分からなかったので、まず3年プロジェクトとしてアーティストの方に安く使っていただくことにしたんです。その間に再生がうまくいけばいいけれど、そうでなければ解体・売却しようと思っていました。そうしたら、1年半経った頃に再生手法を確立し、再生できると感じましたので、次はアーティストではなく文化人の方に入居者を設定したんです。実はこれは、入居者のコンセプトを変えることで家賃を上げるためです。はじめのうちはアーティストのイメージが強かったのでなかなか入居者が集まりませんでしたが、そこはしつこく発信し続けました。あとは、管理人のミッションは「冷泉荘がメディアに月1回出ること」と圧力をかけて、認知を図りました(笑)。

杉山僕が管理人を始めたのは、ちょうど第1期の方々が退去して入居者が入れ替わるタイミングでした。それまでの管理人の方はどちらかというとキュレーター志向の方で、外に宣伝をしっかりされていたのですが、その分内部のコミュニティが弱まっていたようでした。反対に僕は営業が苦手なので外に発信するのはやめて、入居者さんの愚痴などを聞いてそれを一個ずつ潰していきました(笑)。そうすることでちょっとずつ内部のコミュニティができてきて、入居したい人も増えてきた。だから告知して満室になったというよりは、来たい人たちをとにかく受け入れることに専念した結果という感じでしょうか。それが冷泉荘第2期ですね。

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吉原聞き上手なピンクのおばちゃんだよね(笑)。

会場(笑)

福岡はアジアの“勝手口”?

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参加者2私はインバウンドの仕事をしていて先日広島と東京に行ったのですが、西欧からのお客さんが多かったんですね。一地方都市としての広島はどうして西洋の方が多いのだろうと考えてみたのですが、市内にも郊外にも世界遺産がありますし、そういうものが持つ力も大きいのかもしれないと思いました。では東京はどうだろう、と。東京にあって福岡にないもの、またその逆もあると思いますが、東京にも福岡にもあるのに、どうして東京ばかり売れているのか。あるいは福岡の何をどう活用していくことができるのか。もし何かご意見があればお聞きしたいです。

吉原博多は昔からアジアの玄関口と言われていますが、僕の文脈としては、アジアの“勝手口”です(笑)。勝手口である博多の役割って何だと思いますか? 以前海外留学生に、博多に来て何をしたいかを訪ねたところ、「コンビニ」「銭湯」「もつ鍋」がその答えでした。特別なことを体験したければ特別なところに行けばいいのですが、アジアの人たちからすると、ごく普通の現地の生活を楽しみたいまちが博多なのかもしれません。世界遺産もたくさんあるわけではないですし、その代わりに“勝手口”で何かできたらいいですよね。

風が吹くのをひたすら待つ、その経験が生きている!?

参加者3杉山さんはどうして冷泉荘の管理人になられたのでしょうか。その経緯を教えてください。

杉山管理人になる前は、九州大学の大学院生でした。研究テーマは「エオリアン・ハープ」という風で鳴る楽器で、これが僕の考え方の礎になっていると思います。風の通り道にこの楽器をしかけておいて、あとはとにかく風が来るのを待つんです。そんなテーマで博士論文を書くにあたって、吉原さんが持っている別の物件の屋上で音響の実験をやらせてもらっていたんですね。そしていざ博論は書いたものの、就活は一切してなかったので、吉原さんのご厚意でこの仕事に就きました。来る人をひたすら受け入れるという意味では、基本的にエオリアン・ハープと同じことを今もやっています(笑)。

吉原杉山くんのような人に合う職業は、冷泉荘の管理人しかないでしょう。カッチリ合いましたね(笑)

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一市民がリノベーションでムーブメントを起こすためには

参加者3とくに物件も持っていないような一市民として本日のお話にあったようなムーブメントを起こすためには、どういうことからはじめたらいいと思われますか?

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吉原まずは遊休物件を持っているオーナーさんと茶飲み友達になること。これは長野善光寺門前町の倉石智典さんも言われています。彼はオーナーさんと親しくなるというこの方法で50棟を再生させていますから。信頼できると思ってもらえれば、想像以上にうまくいきますよ。その時には必ず熱意を忘れずに。

白石ありがとうございます。これからの博多のまちにおいても、非常に示唆に富んだお話だったのではないかと思います。お二人に大きな拍手をお願いします。

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(了)


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