LOCAL BUSINESS X FUKUOKA

発想の転換で生み出す、6次産業のカタチ〜前編〜

2017年3月1日、福岡市中央区の「スタートアップカフェ」にて、50名を超える参加者が集い、「福岡市農山漁村地域活性化セミナーvol.4」を開催しました。
6月に運用を開始し、「市街化調整区域の土地利用規制の緩和」をきっかけに、地域資源を活かした集客施設などの、新たな場の創出を促していくための4回シリーズ。第4回目となる今回は、地域資源を活かした「6次産業」に携わる2名のゲストを迎え、地域と農業との関わりから広がる新しい試みについて熱く語っていただきました。
全国各地において農業の危機が叫ばれる今、従来の農業の枠を超えた、新しい6次産業のあり方とはいかなるものなのか。地域との関わり合いから発展していく、農業に秘められた可能性を、「地域資源」や「6次産業」をキーワードに、参加者も交えて盛り上がりを見せたトークの様子をお届けします。


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【ゲスト紹介】

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山口覚 Satoru Yamaguchi

津屋崎ブランチ代表
1969年、北九州市生まれ。創造的活動交流拠点津屋崎ブランチ代表。2005年、自ら地方に身を置いて活動しようと福岡へUターン。2009年には福津市津屋崎の小さな海沿いの集落に移住し、「津屋崎ブランチ」を立ち上げ。空き家の再生・活用、対話による町づくり・小さな起業家育成などを行い、6年で200名以上の移住者を招き入れ、20人以上の起業家を生んだ。現在も、地元の人達と地域の未来をつくる取り組みを続けている。

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松嶋匡史 Tadashi Matsushima

瀬戸内ジャムズガーデン 代表取締役
2001年10月、新婚著神崎のパリで出会ったジャム専門店に衝撃を受け、2003年11月個人事業として手作りジャム専門店を創業。地域に産業と雇用を創出することを主眼に活動を展開し、地域を巻き込んだ6次産業化を実践している。

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宮田宗武 Munetake Miyata

大分県宇佐市出身。東京農業大学博士前期課程を修了後1999年に大分で就農、ぶどう栽培の経験を積む。凄惨のみならずオリジナル加工品づくり等にも意欲的に挑戦。2012年より、ぶどうをはじめとする地域のフルーツを活用した加工品づくりに取り組んでいる。


セミナーの冒頭、福岡市の糸山より市街化調整区域の現状と、それにともなう課題解決の方法としての「土地利用規制の緩和」についての話がありました。現在150万人の人口を抱える福岡市ですが、一方で、これまで「豊かな自然を守る」ことを目的として規制されていた市街化調整区域では、人口減少、少子高齢化、農林水産業の衰退など深刻な問題に直面しています。そんな中、1次産業の現場では新しいビジネスとして6次産業に注目が集まっています。


はじめに

山口さん(以下山口)みなさん、こんばんは。進行を務めさせていただく津屋崎ブランチの山口です。まずゲストのお二人に、自己紹介をしていただきましょう。

小さな島のジャム屋さんが、引っ張りだこの理由とは?
〜瀬戸内ジャムガーデンズ 松嶋さん〜

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(松嶋さんのプレゼンテーションスライドより)ジャムづくりの様子

松嶋さん(以下、松嶋)みなさんこんばんは。瀬戸内海の周防大島から来ました、松嶋と申します。私は「瀬戸内ジャムズガーデン」というジャム会社を営んでいます。現在65アールの畑で色々な果物を栽培しながら、契約農家56軒を合わせ、年間約13万本、170種のジャムをつくって販売しています。ジャムの製造・販売のほかに、果物の栽培、耕作放棄地の再開発などにも取り組んでいます。

山口では最初に、まずはジャムづくりについてお聞かせ下さい。

松嶋ジャムの材料は基本的に、地元の農家さんのものを使っています。ジャムに使いたいけど地元で生産されていない果物は、自分たちで栽培しています。例えばジャムに使ういちごやブルーベリー、サツマイモなどや、ブルーベリージャムに使うハイビスカスなど、プラスαで加工に必要なものも育てています。

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松嶋さん

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(松嶋さんのプレゼンテーションスライドより)夏のシーズンに何か栽培できないかと、島では生産されていなかったブルーベリーを自分たちでつくりはじめた

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(松嶋さんのプレゼンテーションスライドより)3次産業としてはじめた島内の店舗には、「ジャムズブティック」と呼ばれるジャム専門店に、季節のジャムや軽食が楽しめるカフェも併設。

山口ありがとうございます。メインのジャム製造以外の取り組みについても教えて頂けますか。

松嶋基本的には、地域と連携しながら新しい産業を生み出すというのが、僕たちの目的のひとつでもあります。一例に、鳥取大学のインターン生が開発した「ジャム大福」というものがあります、これは、地元のジャム屋とお餅屋がコラボした商品です。また、定年退職した島の方々にブルーベリーの木を贈り、収穫していただいた実を瀬戸内ジャムズガーデンに出荷していただくことで、小さな経済を回していく。ほかにも、島の空き家をリノベーションしたり、島の事業者と連携してショッピングモールをジャックしたりと、色々なことをしています。

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山口そういった様々な取り組みが、現在瀬戸内ジャムズガーデンさんが今全国から注目されている所以ですね。

松嶋ありがとうございます。お陰さまで、「過疎化日本一の島が面白い」とメディアに取り上げていただくことも増えてきました。

山口日本一なんですか!

松嶋そうなんです。原因は、島の主産業であるみかん栽培が儲からないから、子どもたちがみんな島を出ていってしまう。僕らのジャムづくりが、そんな状況を変えていくひとつの手だてになれなと、日々活動しています。

山口ありがとうございます。

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耕作放棄地を造成してできた芋畑は、子どもたちの芋掘り遠足など地元にも開放

3人のぶどう農家がはじめた、ちょっと変わったドライフルーツの会社
〜ドリームファーマーズ 宮田さん〜

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宮田さん(以下、宮田)みなさん、こんばんワイーン!

会場……(黙)

宮田みなさん、いまのは笑うとこです(笑)。

気を取り直しまして、私はドリームファーマーズの宮田と申します。今日は副社長の安部も一緒にお話させていただきます。よろしくお願いします。

山口はい、ありがとうございます。では最初に、ドリームファーマーズさんについて簡単に教えてください。

安部さん(以下、安部)ドリームファーマーズは、3人のぶどう農家が起業したドライフルーツの会社です。景色がいい場所にハウスを建て、コンテナを置いて事務所にし、隣の工房ではドライフルーツを製造しています。コンテナではカフェバーを始めたり、婚活イベントなどを開催したりもしています。

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(宮田さんのプレゼンテーションスライドより)ぶどう畑のそばにコンテナを並べて、事務所とカフェをオープン。左奧に見えるのは、ドライフルーツの製造工場

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ドリームファーマーズ代表の宮田さん(左)と副社長の安部さん

山口ぶどう農家が、どうしてドライフルーツ製造をはじめたのか、そのきっかけは何でしょうか?

宮田もともと実家で栽培していた良質なぶどうが、規格外という理由だけで売ることができないことから、ドライフルーツ事業をはじめました。今はぶどう以外にも、みかんのドライフルーツもつくっています。これはいわゆる隙間産業で、収穫しても加工まではしないみかんと、ぶどうの農閑期にあたる冬をくっつけてはじめました。みかんのドライフルーツは、ニューヨークにも輸出しています。どうしてニューヨークかというと、宇佐=USAですから。

会場……(笑)

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(宮田さんのプレゼンテーションスライドより)農閑期を意識してはじめたみかんのドライフルーツは、今やドリームファーマーズの看板商品。砂糖を使用せず天然のうまみがぎゅっと凝縮された一粒

自分の頭で考える農家になること

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山口ドリームファーマーズさんの経営理念に「農家の力で農村イノベーションというものがありますね。非常に興味深いのですが、この点について詳しくご説明いただけますか。

宮田簡単に言いますと、農家は作るだけじゃもう限界なんですね。

山口「作り手」としてだけではやっていけないと。

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宮田その通りです。もちろん僕らは、ぶどうやドライフルーツをつくる「作り手」です。対して、買う人は「支え手」。食べた感想をSNSなどで発信するのが「伝え手」です。この三者は独立しているのではなく、三位一体となって地域の担い手になり、経済の活性化につながるというのが、僕らの考え方です。

山口「三位一体」とは面白い表現です。どのような意味でしょうか。

宮田僕らは「作り手」でもある一方、農業資材や肥料を買ったりするという意味においては「支え手」でもある。商品の背景や農家の頑張りを伝える「伝え手」の側面も持っている。農家のような「作り手」も「支え手・伝え手」としての自覚を持って、経済活動を循環させる必要があると思っています。

山口なるほど。

宮田そもそも農家は農協に販売を丸投げして、自分たちの頭で考えて農産物を売ることを放棄してきた時代が続いてきました。自分の頭で考えてこなかった代償が、「農家=補助金好きの絶滅危惧種」の刻印ですよ(笑)。そこから脱却したい。だから僕らは、ぶどう農家で経営者になろうとあがいている仲間を集めてグループを作って情報交換などをしています。みんな、気持ち悪いくらいぶどうの話しかしないんですけどね(笑)。

山口ありがとうございます。

3年で事業化が見えた。島の果樹を使うジャムづくり会社

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(松嶋さんのプレゼンテーションスライドより)

山口松嶋さんが島に移住した経緯をお伺いしたいと思います。もともとは企業にお勤めでいらしたとか。

松嶋はい、電力会社で働いていました。

山口電力会社で働いておられた方がジャムづくりにシフトするなんて、普通は考えられないのですが、松嶋さんが「ジャムしかない」と確信されたきっかけは何ですか?

松嶋新婚旅行でパリに行ったとき、ジャム専門店に出会ったのがきっかけです。衝撃を受け、ジャムを買い込んで帰ってきました。フランス語なので何のジャムかわからないけれど買ってきたジャムを食べてみたら、さらなる衝撃だった。デザートの一品料理みたいだったんです。日本では、いちごからいちごジャム。ブルーベリーからブルーベリージャムが当たり前。でも僕が食べたのは、いちごとバナナがミックスされていて、ピンクペッパーが効いているとか、ブルーベリーをラム酒で煮込んだものにミントの葉が入っているジャムでした。

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山口そこからどのようにジャムづくりに進んでいかれたのですか?

松嶋日本でこんなジャム作っている会社なんてないから、やってみたいなあと軽く考えていました。ちょうどその頃、僕がいたのは新規事業部という部署で、事業計画書を書いたりするのが仕事だったんです。ジャム会社をする、しないはさて置き、自分なりに事業計画書を作成して妻に見せたんです。そしたら妻がお義父さんに、「旦那が新婚早々、会社を辞める事業計画書出してきた」とチクられました(笑)。妻の実家は周防大島のお寺なんですが、住職のお義父さんが、なんとその事業計画書を門徒さんに配った。その後、果樹園を経営されている農家の門徒さんが「うちの果物つかっていいよ」と言ってくださったりして、話が勝手に進んでいきました。僕自身はというと、事業計画書を作ったものの「本当にジャム会社やるんですか…?」という状況でした。

山口不思議なご縁で引っ張り込まれたわけですね。

松嶋パリでジャム屋に出会ってからは、あれよあれよと事が進み、協力してくれる島の農家が8軒ほど集まって試作を作るようになりました。そして2003年の秋に、いちじくジャムを道の駅に卸したのがジャム屋としてのスタートです。翌年にジャム工房を島に建て、お客さんが集中する夏休みの期間限定で販売をはじめ、3年間テストマーケティングをしました。少しずつデータが見えてきて生産量を伸ばせると思ったので、2007年6月に電力会社を退社し、7月に島に完全移住して事業に専念しはじめたんです。今年でちょうど10年ですね。

山口なんともすごいストーリーです。ありがとうございます。

高校教師志望をやめて、大学院へ進学

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山口ドリームファーマーズの宮田さんにも起業の経緯をお聞きしたいと思います。農家を継いで新しく6次産業をやるとおつもりで農業大学に進学されたんですか?

宮田いえ、女子高校の教師になると決めていました(笑)。でも実際に教育実習に行ったら、自分が思っていたのとなんか違うぞと。ちょうどその頃、大学院の先生から誘われたこともあって、大学院に行くことにしました。

山口その後、帰郷されるわけですけれども、ご実家のぶどう農家も土台がしっかりできています。そのかたわらで起業された理由とは何でしょうか。

宮田父親は、「ぶどうの王様」というブランドをつくってそれなりに売上げを伸ばしたり、ジュースやジャムなどの加工品を湯布院の老舗旅館でも取引していたり、十分に農家としての土台を築いてきました。一方で、グリーンツーリズムなどを通して地域にも貢献できるような取り組みもしています。僕も大学院で農学を学びながら、いざ現場に行くと感じる農業の衰退や地域の疲弊をどうにかできないかと考えるようになっていました。それで、産地が干される前に、ぶどうを干そうと(笑)

山口ありがとうございます(笑)

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起業後、島だからこそ起きた様々な問題

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(松嶋さんのプレゼンテーションスライドより)

山口松嶋さんにお聞きしたいのですが、電力会社を辞められて、完全移住後はトントン拍子にいったのですか?

松嶋いえいえ、そんなことありません。デコポン農家に「ジャム用に卸してほしい」とお願いしたところ快諾してくださったのに、いつまでたっても卸してくれない。仕方なく義父の住職に相談すると、義父から農家に説明してくれて、その直後に持ってきてくれました。この違いは一体なんだと思いましたが、地元の人たちからすると、30代半ばの働き盛りの男が電力会社を辞めて島でジャム会社をはじめるなんて、まったく馬鹿げた話なんです。後日談ですが、会社の金を横領して島に戻ってきたんじゃないかとか、色んな噂が流れていたみたいです(笑)。田舎は、信頼関係があるかないかで決まるということを、身をもって感じました。

山口奧様のご実家がお寺だったことは、かなりの助けになった、と。

松嶋はい。例えば、農家と一緒にジャムづくりをする上では、どの農家が何を栽培しているのかということを把握する必要がありますよね。このリサーチは、法事など門徒さんと話す機会を通して、すべて妻がリサーチをかけてくれました。

山口移住前は夏休み限定のオープン。移住後の年中オープンでの手応えは?

松嶋夏はお客さんがたくさん来てくれる。秋はみかん狩りがある。でも冬は「何しに行くの?」という島ですから、一日一組しかお客さんが来ないという日もありました。一番辛かった時期ですね。

山口どのような対策で乗り切ったのですか?

松嶋どうせお客さんが来ないのに気を揉んでもしょうがないと開き直って、2つのことを実践しました。ひとつは、冬だから売れる商品を開発しました。お芋や栗のジャムは、パンに塗ってオーブンで焼くとほくほくしてより美味しいので、「焼きジャム」というジャンルのジャムを販売したんですね。それがたまたまメディアに取り上げられたら一気にブレイクして。一日一組だったのが、電話が鳴り止まなくなったんです。それまで電話の必要性もなかったので実家の寺の電話を借りていたんですが、パンクしてしまって。電話線を引くきっかけになりました(笑)

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山口寺の電話がパンクするじゃないかと。

松嶋ええ、そうなんです。それともうひとつは、冬にお客さんが来ないのであれば、夏に来てくださる方に一年を通してジャムを買っていただこうと、年間会員制度をつくりました。ジャムと季節のフルーツを、年4回お届けするという仕組みです。

山口ありがとうございます。

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来客の乏しい冬期に開発した焼きジャムも豊富な種類が揃う(売り切れているものも多いので、要問合せ)

ドライフルーツ市場の1%を狙う

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来場者のみなさまに、ドライフルーツ、ジャムの試食もご用意。みなさん顔をほころばせながら「おいしいー!」と、大変好評でした

山口ドリームファーマーズさんは、売上げのためにどんなことを工夫されているのですか?

宮田僕らは買いにきてくれる人にしか売らないというのが基本のスタンスです。国産のドライフルーツって本当に少ないんですよ。国内のシェア99%は輸入品なんです。だから国産は希少ということもあって、売れるんです。ただ、農閑期は動けますから、売りに行きます。そうすると、冬のほうが売上げが伸びる。店舗に販売しに行ったときは、店員さんも含めて反省会をします。どういう売り方がいいか、どういうパッケージが売れやすいか、色々と意見交換するんです。場所は東京だと六本木だったりお洒落な雑貨屋だったりですが、地元では大分=温泉県ということもありイベントも多いので、そういう機会にも出店しています。

山口ありがとうございます。

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