LOCAL BUSINESS X FUKUOKA

「ちょっと遠いがあえていい」。都心では味わえないカフェのカタチ〜後編〜

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西区北崎地区での地元の取組み

山口平兮さん、今日はよろしくお願いします。まずは簡単に自己紹介をお願いします。

平兮さん(以下平兮)私は福岡市西区の北崎地区の福寿寺という寺で副住職をしております。

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山口北崎地区の現状を説明していただけますか?

平兮北崎地区は人口約2450人、920世帯くらいの小さな地域です。背後に山、目の前には海と、広大な自然に囲まれていて、まさに「都会に一番近い田舎」なんですが、田舎の典型的な問題にも悩まされています。つまり人口減少および第一次産業の衰退、若者世代の流出などです。人口はピーク時の約3分の1ほどになりました。今も減少傾向にあり、近所に引っ越してきた九州大学の先生によると「あと5〜10年もすれば人口1000人を切る」という切羽詰まったところまできているようです。
そんな中、九大の先生が「北崎はポテンシャルがある土地だから元気にしたい」と色んな取り組みをはじめられたのが一昨年前。私も共に頑張りたいと、今年の7月に「北崎未来を創る会」を「北崎を考える会」という地元のまちづくり組織の下部組織として発起し、村おこしに取り組む決意をいたしました。なぜなら、最終的に残るのは寺か神社だろうと思ったからです。幸いまち自体が残っても、人口も減り、文化も受け継がれることもなくダメになっていく姿を指をくわえて見ているくらいなら、悪あがきでもしよう、どうにもならないときはそれまでだ、と。

山口具体的にどんな取り組みをされていますか?

平兮色々とありますが、まず一つは九大の先生指導のもと、九大生の必修科目で「プロジェクトまちづくり」を開講していただき、まちづくりに関する理解を深めるための地域協力や地元にしかわからない地域においての講義をしています。2つめは、私はかれこれ5年ほど無償で寺子屋を経営しているのですが、子どもたちが大きくなったときに自分の地域を大切に思ってくれるように、来る子どもたちには田舎が抱える現状を説明しています。3つめに、北崎に産直所を作りました。それまでは色々な産物を持つ産地であるのに産直所がなかったので、高齢者が買い物に行けず困っていたんですね。ほかにも、地区にある空き家への九大生の誘致など、様々なことにチャレンジしている真っ最中です。

山口北崎の特産品にはどんなものがありますか?

平兮農村では、スイカの栽培が盛んです。福岡市内にひと夏で7万5千玉を出荷しているんですよ。また北崎大根をはじめ、新鮮で品質が良い地場野菜が豊富です。唐泊(からとまり)という漁村では、恵比寿牡蠣と名付けたブランド牡蠣を養殖しています。玄界灘の荒波に揉まれて育った恵比寿牡蠣は老廃物が少なく身が締まってプリプリ。実はこの恵比寿牡蠣、糸島の牡蠣小屋ブームの火付け役でもあるんです。もうひとつの漁村・西浦(にしのうら)は、水揚げ漁獲高が福岡県下でなんと1位です。実は明太子なんかも有名なんです。以上のように、北崎の特産品については挙げるとキリがないんですね。海産物、農産物が山のようにあります。
その中でも一番のウリは、サンセットとサンライズの両方が見れるということ。福岡市内で日の出と日の入りが見られる場所は少ないのですが、北崎は糸島半島の突端ですのでその両方が見られるんです。

山口恵まれた産物がすばらしいですね。それに対して、北崎が抱える悩みはどんなものでしょうか?

平兮高齢化社会ということで「昔ながらのしがらみ」に地区自体がとらわれている傾向が強い。また特産品に関していうと、「市場に出してなんぼ」が当たり前だった世界が、アイランドシティのほうに市場が移動してしまったことで、市場に卸せなくなってきています。

山口その影響で、第一次産業を継承する人材がいなくなりつつあるのが、もっとも深刻な課題なんですね。

平兮そうです。また産物は沢山あるにも関わらず、それを活かす能力が不足している。産物を有効活用できるようなカフェやレストランを出店したいと言っていただけるような事業主さんがいらっしゃれば、北崎地区としてはなるべく協力できる体制を作っていきたいと思っています。

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外からの人間を受け入れるためには

山口平兮さんから北崎のローカルなお話がありましたが、浅野さんは聞いてどう思われましたか?お店の近所ですよね?

浅野近所とはいえ、まったく事情は知りませんでした。でももったいない! 自然、野菜、魚、何でもあるんですから、飲食事業をやっているものからすると、出してもらいたい。

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山口平兮さんご本人はどうでしょう? 福岡市の人口はどんどん増えているのに、北崎の人口は全盛期の3分の1になってしまった。どうしてそうなっちゃったと思われますか?

平兮そもそも、第一次産業従事者の数は全盛期の3分の1というレベルじゃないんです。畑も、高齢化によって耕作放棄地が増え続けています。九大の調査によると、全盛期の半分以上は耕されていない。当然耕しやすい場所は年寄りでも動けますが、少しでも耕具を上げるのが難しい山間部のような場所になると荒れ地です。最近では耕しやすい場所さえ放棄地になっている。

山口農業に携わる人自体が極端に減っているんですね。

平兮農業の大変さを知っているおじいちゃんおばあちゃん世代も、息子や孫たちに「農家は継がんで街に出なさい」と言ったことで、若い世代はみな街に出てしまった。

山口深刻な現状だと思います。

平兮私は和尚をやっているので、お盆になると色んな家にお参りに行くんですが、「えっ!こんなに人いたの!?」って思います(笑)。

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山口なるほど、お盆やお正月は帰省の時期ですからね。

平兮しかも福岡市内から福岡市内に、つまり近所から帰省してきているんですよ。彼らも現実的に地元に住みたくないわけではないと思うんです。第一次産業が衰退して街に働きに出てしまって、利便性を追究した結果が今の現状なんです。

山口農業をやりたい若い世代というのは増えているような気がしますけれどね。もちろん絶対数は減ってますけど。

浅野私の周りでも、農業をやりたいという若手の世代がたくさんいます。丹波の自社農園の事例も、Uターンしてきた人たちとの関わりが非常に強いですね。その地域で産まれ育って一度外へ出てから、やっぱり故郷が好きだと戻ってくる。

山口彼らはクリエイティブなことに結びつくことによって、農業に未来を感じているのかもしれませんね。

地元とよそ者をつなぐ“パイプ”をつくる

山口北崎をはじめとする田舎特有の課題についてお話しいただきました。活性化への取り組みが活発になる中で外の人間にも北崎を知ってほしい、新しい人が来てほしいという気持ちもあると思います。仮に外から飲食店が参入してくることに対してはみなさんどうお考えですか?

外の人間や若い世代の人たちが地元で新しいことを始めたいと言ったときに、そのための体制があるかというのが大切ですね。

平兮ただ田舎というところはどこも「超」が付くほど保守的なんですよね。「メシが食えているなら今の生活は変えたくない」というのが本音です。

山口過去に事業者の方が北崎地区に来た例は?

平兮かなりあったみたいです。しかし受け皿がない。よその人がポンッと入ってくることに対して「何をするかわからない」「信用がない」という気持ちがものすごく根強いんです。

山口ここが、現状を打破する突破口になりそうですね。

平兮事業者と地元をつなぐパイプ役が誰もいない。私は、そのパイプ役が一人でもいれば、状況はかなり変わってくるんじゃないかと思っています。

山口「こういうことをしたいと言っている人がいるよ」と地元に投げかけることができる。

平兮そうなんです。パイプ役が、地元とのアクセスを円滑にすることができるんじゃないか。北崎の場合は、私自身がそのパイプになれるかもしれないと考えています。

山口浅野さんみたいな事業者と地元の人をつなぐことができる人材が必要とはいえ、若い世代は都会に出ていってしまっていますよね。でもそれを和尚が担ってくれる。

平兮そもそも和尚って、人をつなぐことがメインの仕事なんですよ。大きな視点で捉えると、その家を代々つないでいくための「つなぎ」の役割が大きい。法事もそうで、普段会えない人が集うことでつながりを再確認できます。こうして家が代々守られていく。

山口素晴らしい。まちを救うのは寺と神社なんですね(笑)

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地域を元気にする“種”を誰が蒔くのか

平兮「北崎の未来を創る会」で神社のお祭りに出店を出したところ、お賽銭が3倍になったそうです(笑)。北崎にこれだけ人がいたのか、とびっくりしますね。

山口どんな出店を出されたのですか?

平兮メダカすくいやクワガタくじなどです。メダカやクワガタは、私が川や森でせっせと捕まえました(笑)。

山口そうですか(笑)。店にもお客さんはたくさん来ましたか?

平兮若い人たちは、「昔はよくメダカとかクワガタ捕りよったねえ」と、自分たちの子どもを連れて来てくれる。それが結果的に、祭りが元気になることにつながったのだと思います。

Sunset Liveも、祭りとして地域を元気にしてくれていると思います。元気になったことで、30年くらい前までは糸島なんて恥ずかしくて言えなかったような若者たちが、今は自信を持って地元をアピールできるようになった気がします。

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山口地元が経済的に豊かになったりイベントで盛り上がったりすることではじめて、地域に対する誇りを持つことができるのかもしれませんね。じゃあ、その“種”は、誰が蒔くのか?ですよね。

平兮案外、外の人なのかもしれないという気もしますよね。

山口もしそうであるならば、入っていく側としては「この地域は閉鎖的だから」と諦めるのはもったいない気もしますし、逆に地元側も「よそ者に新しいことをやって欲しくない」と閉鎖的になることで人口も減っていく。他者を受け入れずに人口が減り続けるのか、受け入れて増えるのか。新しい人を受け入れずに人口が増えていくという選択肢はもうないんですね。だからこそ、受け入れる側もこれまでにないマインドで以て新しい関係性を作っていかなくちゃいけないんじゃないかという気がします。


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参加者課題をいくつか挙げたいと思います。地元の人間の中には、「観光」だけじゃなくて将来的には「定住」して欲しいという意見もあるかもしれないと思います。ただ年齢によって幅があるだろうとも思います。また仮に若い世代が移住してきたとして、仕事があるのかどうか。同時に交通のインフラがあるのか。その地域を知らないままだと住みにくいので、知ってもらえるような機会を設けるということも大切かなと思います。

参加者地域の人は、受け入れたくないわけではないのだと思います。ただ平兮さんがおっしゃったように、キーマンとなるようなパイプ役が必要です。とくに平兮さんくらいの35歳前後で、一度地域から出て戻ってきたUターン世代。一方の事業者側にも地域に寄り添うような姿勢が必要だろうと思います。地元住民全員とは言いませんが、地域の人に理解してもらえるような合意形成に取り組んで頂きたい。これがゆくゆくは、事業者さんが地域でやりやすい環境をつくっていくことにもつながるのではないでしょうか。

山口この「Uターンしてきた35歳前後の人」って結構大きなキーワードだと思います。つまり内側と外側の両方を経験してきた人材。地元でも、そういう人が動きやすい環境をみんなで整えるということも大切ですよね。

平兮私も出身は福岡ですが、大学は東京でした。大学時代はプロボーラーを半分本気で目指したり、地元の眼鏡屋に就職したりして、紆余曲折ののちこうして和尚の仕事をしています。こうした様々な経験が、現在の私の糧になっているとは思いますね。

山口そういう人って、なかなかいないんでしょうか?

平兮いや、いないようでいると思うんです。

山口そういう人をじゃあ誰が育てるのか、動かすのか。やっぱり地元住民の力ですよね。

浅野活動力のある次世代の人材と、有機的に関係を持てる機会を作っていきたいですね。そして事業者と地域の人たちの役割が明確になれば、もっとやりやすくなると思いますね。

山口役割というのはありますね。ただ同じ日本語でも、都会の人と田舎の人とで使う言語が違う。都会の人はビジネスを成功に導くために、端的に説明して効率よく話す。それに対して田舎の人は、長くて、ねちっこくて、回りくどい。

今、地元の人たちが住んでいる志摩エリアで新しく何かできないかと考えているのですが、なかなか難しくて話が頓挫してしまっています。25年住んでいても、やはり私はまだよそ者なんですね。でもよその者として新しい何かをやり続けるということで、いつか内側の人間になっているのかもしれません。

山口これまでのお話を聞いて、会場から何かご意見があればお聞きしましょう。

参加者みなさんが話されていたように、田舎に共通している問題意識はどこも一緒だと思います。人口が減り続けると、過疎化して限界集落になる可能性もあるという危機感はつねにある。でもなんとかやっていきたい。そんな中、市街化調整区域における土地利用規制が緩和されたことで、地元の人間も少しずつ外の人に開放していこうという動きがあるのは事実です。

参加者今日一番心に残ったのは、地元の人を説得できる地元の人が必要だという話しです。まちづくりに理解があり、中間に立ってくれる人が地元で育っていくことがこれから先大事になると思います。

山口ありがとうございます。僕もまちづくりに携わっていて思うのですが、自分のまちを悪くしたいという人は誰もいません。「まちを良くしたい」という気持ちは誰でも一緒。その中でも地元の人間は「新しいことをやらなければいけない」ということはもう分かっているんです。でもいざやろうとすると「今のままでいい」となっちゃう。この現状をみんなで変えていこうという地域の姿勢も必要なのかもしれませんね。一方で、外の人は地元を理解する謙虚さも必要ですよね。
本日のように異なる立場の人たちが集まる機会というのは非常に貴重です。
今日はみなさん来ていただいてありがとうございました。

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