LOCAL BUSINESS X FUKUOKA

「ちょっと遠いがあえていい」。都心では味わえないカフェのカタチ〜前編〜

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2016年9月26日、福岡市中央区の「HOOD天神」に61名の参加者が一堂に会し、「福岡市農山漁村地域活性化セミナーvol.1」を開催しました。
6月に運用が開始された「市街化調整区域の土地利用規制の緩和」をきっかけに、地域資源や新たなアイデアを活かしたカフェやレストランを運営するポイントについて学ぶ今回のセミナー。昨今盛り上がりを見せている西区の海岸沿いに飲食店を展開している事業者の方々をゲストに迎え、福岡市の農山漁村地域でのビジネスの可能性を議論しました。
約3時間に及ぶ今回のセミナーでは、事業者を受け入れる地域側が感じている率直な意見をはじめ、外からの事業者が地域をどのように理解していくべきか、また双方をつなぐパイプ役の必要性など、地域の活性化に関して様々な角度から論じられました。

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セミナーの冒頭には、福岡市の中牟田より市街化調整区域の現状と、それにともなう課題解決の方法としての「土地利用規制の緩和」についてお話ししました。現在150万人の人口を抱える福岡市ですが、一方で、これまで「豊かな自然を守る」ことを目的として規制されていた市街化調整区域では、人口減少、少子高齢化、農林水産業の衰退など深刻な問題に直面しています。


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山口覚 Satoru Yamaguchi

津屋崎ブランチ代表
1969年、北九州市生まれ。創造的活動交流拠点津屋崎ブランチ代表。2005年、自ら地方に身を置いて活動しようと福岡へUターン。2009年には福津市津屋崎の小さな海沿いの集落に移住し、「津屋崎ブランチ」を立ち上げ。空き家の再生・活用、対話による町づくり・小さな起業家育成などを行い、6年で200名以上の移住者を招き入れ、20人の起業家を生んだ。現在も、地元の人達と地域の未来をつくる取り組みを続けている。

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浅野耕平 Kouhei Asano

株式会社オペレーションファクトリー(直営事業本部/仕入管理/ディレクター)
福岡市西区に手ぶらでカリフォルニアBBQが楽しめるスポットCalifornia B.B.Q Beach手がけたオペレーションファクトリーで、食材飲料に関する購買の企画責任者を務める。材料や地域を全国各地から発掘している。

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林憲治 Kenji Hayashi

株式会社ALOHAPLAN
1961年、福岡県出身。1990年に福岡市西区の海岸沿いにBeach Café SUNSETを開店。そのほか、野北海岸(糸島市)にパン屋とレストランが一緒になったCURRENT、福岡市西区宮浦漁港に、鮨「空-ku-」を経営している。


〈まずはじめに、登壇者3名による自己紹介が行われました。〉


<全文>

山口さん(以下山口)私は津屋崎の「まちづくりファシリテーター」として、津屋崎のまちづくりに関わっています。市街化調整区域に関しては、外の人たちから「地元の人は話がなかなか伝わらん」という意見を聞く一方で、地域側からは「知らんやつに土足で足を踏み入れられては困る」という声を耳にします。両方の気持はごもっともだと思います。だからといって、じゃあこのまま衰退していっていいのか? いいえ、そうじゃないですね。この状況で双方が歩み寄るためには一体どんな方法があるのか。本日はこの問いに対して、ゲストやお客さんの忌憚のないご意見をお聞きしたいと思っています。
ではまずはじめに、ゲストのおふたりに自己紹介を兼ねて、それぞれのお仕事や地域での取り組みについて語っていただきましょう。

外からやってきた事業者・浅野さん

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浅野さん(以下浅野)皆さんこんにちは。本社を大阪に構え、東京、福岡、海外で主に飲食事業を展開しています。企業理念は「世の中に必要とされる飲食を創造し続ける」。この「世の中」とは、「お客さま」と、働く従業員である「仲間」、そしてパートナーである「取引先・生産者・地域社会」です。めまぐるしく変化する「世の中」において、ともに変化していくとともに、美味しく楽しい時間を提供する。これが我々のミッションです。ではこの会社で私がどんなことをやっているかというと、バイヤーです。気になる土地へ飛び込んでいってネゴシエイトすることで、会社が次のステップに踏み出せるようなステージを用意するという役です。
事業に戻りますが、会社では高級レストランを半額の値段で楽しめる「中間価格帯」、と「多業態展開=マルチブランド」の2つを企業戦略としています。後者は、フランチャイズのように同じ業態を使い回さずに従業員が自分の個性を生かして店を創造していけるような仕組みのことです。和食、エスニック、イタリアン、フレンチ、カフェなど、我々が展開している店舗は業態も演出も様々です。アートとコラボレーションしたり、店内に1万匹の熱帯魚を鑑賞できる水槽を設けて「非日常感」を演出したりと、店舗ごとの特色も違います。福岡ですと、「バランカ」(大名)と「ミツバチ」(春吉)というダイニングバーを展開しています。

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27年6月には今宿エリアに、海に沈む夕焼けを見ながらバーベキューを楽しめる空間「California B.B.Q Beach」をオープンしました。コンセプトは「手ぶらでカリフォルニアへ」。「手ぶらで」というのは、やはり今宿のロケーションの良さです。福岡市から車でわずか30分のショートトリップで海外のような雰囲気が楽しめるということが最大のコンセプトです。オープン後には沢山の方々に来ていただいています。

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飲食事業の一方で、自社農園もあります。兵庫県但馬地区の休眠地を開墾し、地元の若い農家さんたちが育てた野菜を我々の飲食店で使う。こういう試みを通して、「どんな人が、どんな思いで、どんな野菜を育てているのか」「どんな人が、どんな料理を作って、どんな風にお客さまに楽しんでもらえたのか」ということを、双方に伝えて関係性を構築していくんですね。野菜が単なる“モノ”になってしまっていると感じている生産者って結構多いんですが、「自分が作った野菜がこんなふうに変わっていくんだ」ということを感じてもらうことで、改めて野菜の可能性を伝えたいと取り組んでいます。

地元に根ざしながら店を運営する事業者・林さん

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林さん(以下林)こんにちは、林です。西区西浦の海岸沿いと糸島に、飲食店を3店舗経営しています。もともと3歳まで西区にいましたが、父親の転勤で関東、関西、東北にも住みました。大学をドロップアウトしてのらりくらりしている頃、父親が病気で亡くなったのを機に母と両親の故郷である糸島に戻ってきてサーフィンに出会い、行き着いたのが二見ヶ浦でした。ここはサーフポイントでもあり、私にとっても夢の場所だったんですね。当時はフリーターでしたから修行をはじめ、29歳のときに二見ヶ浦で「Beach Café SUNSET」というお店をはじめることになりました。400坪の土地を年間5万円で借りて、夏にしか人が来ないような場所に掘建て小屋を立てた。室内はたったの10席。外にテラスがありましたが、冬場はほとんど人も来ず、12月の売上げが月に20万円でした。

当時は志摩という地区に住んでいたのですが、その地元の人たちともっと関わり合いたいと思うようになり、12年前に700坪の土地を見つけて「Bakery Restaurant CURRENT」という店をオープンしました。当時はヨーロッパのスローフードが見直されつつあり、それを糸島から発信できないだろうか思ったんですね。近年では、歳をとったせいか地産地消が一番だなあとか、和食っていいなあとか思いはじめて、鮨「空-ku-」を開店しました。地元でとれた食材をできるだけシンプルに提供できればいいなと思ってはじめた店です。

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店とは別に、毎年夏になると「Sunset Live」という音楽の野外フェスを開催しています。最初にお店をはじめたときは、売上げがなくても自分の夢がかなったことが喜びで仕方がなかった。夏はたくさんの人が来てくれてそれは嬉しかった。でも人が増えるとゴミが増える。美しい糸島の海が、人が持ち込んだゴミによって汚れていくのはやっぱり嫌な気持ちでした。そういうことも、ここから伝えていきたいと思って1993年にはじめたのがこのイベントです。初回はお客さんも500人くらいで、すべて手づくり。今では1万5千人くらいの方が来てくれるようになりましたが、23年かけてやっとゴミがあまり残らないようになりました。おそらく日本で一番ゴミが出ないフェスティバルだと思います。

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このように、私は自分のお店を持つことを通して、スタッフやお客さんにいろんなことを教えてもらいながら成長してきた。自分にとっては、お店を経営しているというよりも色んな場所が学べる「寺子屋」のような場所だと思っています。田舎って不便なんです。不便ゆえに色んなことが学べる。人がいないもんだから逆に人が助けて教えてくれる。そういうことが自然と起こりながらここまでくることができたと思っています。

田舎で店をはじめるということ

山口浅野さんと林さんは、それぞれ西区で飲食店を経営されているんですね。ただアプローチがまったく違って本当に面白い。福岡にもさまざまな場所がありますが、浅野さんが今宿にピンときた理由はなんですか?

浅野アクセスが良いのに自然環境が良い。これはなかなかないんですよ。大阪にも東京にもない。

山口全国的に見ても魅力的だったんですね。アウトドアのバーベキューという形態は初の試みですか?

浅野そうです。もともとはカフェを企画していましたが、エリアの特性上、建物が建てられなかったんですね。じゃあアウトドアのバーベキューにしようと決まった。でも普通すぎては面白くないので、海外に来たような雰囲気を創出しよう、と。

山口地元の人からすると、一風変わったキャンピングカーが現れたりして、「いったい何がはじまるっちゃろか?」と斜に構えた反応もあったのではないでしょうか?

浅野それはもう(笑)。危険な雰囲気が漂っていたんでしょう、開店時にオープンイベントを開きましたがクレームが結構ありました。いきなり現れたものですから、過敏に警戒されていたようです。

山口なるほど。まずは地元のリサーチを周到にするというよりも、実行に移して周りとの連携を測っていくタイプであると。

浅野そうですね。どちらかというとまずはアイデアで実行してそこから改善していくというかたちで展開を図ってきました。

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山口一方で自社農園の事例は自治体と連携してやっているように感じましたが、どのような経緯で農園をはじめられたのですか?

浅野3年ほど前に、知人から丹波の休眠地を紹介していただく機会があり、同時に野菜を作っている若い世代の人たちとつながることができました。彼らが「僕らは野菜を作れるけど世の中に出す手段がない」というので「じゃあ僕らのお店で使ってみよう」と。すると「こういうこともできる」とか「こんな人もいる」とだんだん膨らんでいったんです。それを知った自治体の人たちがまた興味を持ってくれて、さらに発展していっているという状況です。

山口一方の林さん、飲食店は大盛況のようですが、地元の人たちの反応はいかがですか?

みんなが喜んでいるわけではないと思います。

山口そうなんですね。最初の頃はどんな雰囲気でした?

当時は私もまだ若くて「コミュニティ」というものをよく分かっていなかったから、積極的に関わりを持とうという気持ちがあったわけではありませんでした。あるいは北崎の外れにあるので、あまり相手にされていなかったのかもしれません。

山口とはいえここまで成長してこられたのは、やはり地元の人の支えがあったからこそなんじゃないでしょうか?

実はそれだけでもないんです。だからこそ、もっと地元の人たちと関わりあえるようなお店を始めたいと思って、志摩エリアに進出した経緯があるんです。

浅野私の農園でも、もちろん課題は山積みですが、新しい価値を糸島に持って来られたと思っていただけるように、今日のような場を通して成長していきたいと思っています。

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参加者浅野さんのお店ですが、未だに地元の人間としては入りづらいというのが正直な気持ちです。もちろん「周りにとらわれずに新しい価値感を生み出す」という浅野さんのご意見は大切だと思うのですが、もう少し地元の人たちが入りやすい雰囲気を作っていこうというお考えはありますか?

浅野ご意見ありがとうございます。まず我々は、誰のためにお店を作るのかということを明確にしています。「California B.B.Q Beach」は、20代後半〜30代中盤のファッションにも敏感な世代にターゲットを絞って企画を進めてきました。例えば、子どもを出産後しばらくして子育てにも余裕が生まれたママたちなどです。このように一定のターゲット層に集中して絞るというやり方が、逆に我々の強みでもある。もちろん地元の人たちに受け入れて欲しいという気持ちもあるんですが、その意見を聞きすぎると新しいものが提供しづらいのが正直な気持ちです。

山口これはかなり核心を突いた話ですよね。どうやってこの部分の折り合いをつけていくのか、ということについても引き続き語ってみたいと思います。


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