2013.12.03(火) up
伊藤有紀監督に独占インタビューしました!
ー『まちや紳士録』の完成おめでとうございます。まずはこの映画を撮るに至った経緯をお聞かせください。
- もともとの言い出しっぺは、僕ではなくプロデューサーの川井田さんなんです。映画の制作会社が東京にあるのですが、川井田さんが福岡出身の方で、よくこっちに帰って来ているんですね。ある日、八女を訪れた際にこの町で映画を撮りたいと思い立ったみたいで。それで僕のところに「八女の映画を撮ってみないか」と話があったんです。
ー八女の、それも町家を舞台にしていますが、このテーマはどのように決められていったのですか?
- まず川井田さんの中で、「町家」というキーワードがすでにありました。一方僕のほうは、「町家」そのものというよりも、八女の「人」に関心があったんです。
ー「町家」と「人」は、どうつながっていったのでしょうか。
- なぜ僕が八女の人たちに関心を持ったかというと、彼らはごく自然に、自分たちの地元を愛しているんです。今でこそ「田舎」とか「地方」が見直され、地域活性のコンサルタントとかIターンみたいな人たちによって盛り上がっている地域も目にします。もちろん田舎をセンスよく切り取って再評価していくという行為は素晴らしいと思います。でも僕が興味を持ったのは、そういう一時的な盛り上がりではなく、ずっと続いてきた営みとしての「町家を守りたい」という人々の想いでした。
ーなるほど。確かに映画では、町家そのものというよりも、その町家を守る人たちの姿が描かれています。
- そうなんです。この映画は単なる「町家の伝統を保存していく記録映画」ではありません。古い町並みを残していこうとか、伝統や文化、職人の技術を受け継いでいこうというメッセージ性だけではとらえきれない部分があります。それが地方で生きる人たちの心であり、今の僕たちに語りかけてくるものでもあると思うんですね。
ー今の私たちに語りかけてくるものとは、具体的にどのようなものなのでしょうか。
- 例えばスマホって便利だし、みんな使ってますよね。ネットもゲームもできるし、本も読めるから、気づいたらずっといじってる。僕もそうです。でも、当然のように何でも手元にあって、何でもすぐにできるという”スピード感”って、本当に当たり前なのかということなんです。八女という場所は、すごくスロー。でもそれは、「スローだ」とか「エコでしょ」って片意地張っているんじゃなくて、自然なスローなんですよね。だから僕も八女に住みはじめて、「ああ、生きるってこういうことかな」って、感じはじめています。
反対に、そのスピード感が当たり前なんだと陥ってしまうと、すごく危険。経済重視、大量生産/大量消費の社会がどんどんエスカレートすれば、様々なところでひずみが大きくなって、取り返しがつかなくなります。3.11はその象徴的な出来事ですよね。
ーこの映画は、東日本大震災がきっかけなんだともお聞きしました。
- そのあたりの想いが強いのは、やっぱりプロデューサーの川井田さんですね。彼はまだ東京に住んでいるし、日常的に疑問を感じることも多いと思います。
僕も以前から「都市」に対する疑問は持っていたので、3.11以降にそれが強くなったのは確かですね。
ー「都市」に対する疑問とは?
- 僕は三重県の出身なんです。八女と同じくらい小さな町で、若い頃は田舎にコンプレックスがあったというか、いつか都会に出たいと憧れて、大学進学を機に上京しました。大学卒業後もずっと東京で映像の仕事をしていて、気づいたら11年間も東京に住んでいた。この頃から、田舎が嫌で都会に出て働きまくってきたそれまでの日々を、何となく疑いはじめていた自分がいました。東京には色々な人がいるし刺激的なんですが、何かが違う。自分にとって故郷とはなにか。「地方」というものに徐々に関心が湧いてきたんです。そんなとき、旅番組のロケで知り合った福岡の会社から仕事の依頼がきた。すぐに飛びつきました。そして福岡に移り住みました。
ー福岡に来たのはたまたまだったのでしょうか?
- まさに偶然です。来る話来る話に、面白そうだな~と乗っかっていったら、福岡にいたんです(笑)。
ーその後、映画のために八女に移り住んだのですか?
- いえ、当初は久留米に住んでいました。ちょうど映画の話があった頃、八女に住んでいた知り合いから「家を出るから住まない?」って話があって。それが2011年の秋。映画の打ち合わせが始まった頃なんで、すごい偶然ですよね。翌年の春には夫婦で八女に移り住み、同時に撮影もスタートしました。
ー撮影期間はどのくらいだったのでしょうか。
- 今年(2013年)の3月に撮影が終わったので、撮影そのものは約1年。打ち合わせや準備段階も合わせると、1年半くらいですね。
ー1年半という期間の中で、監督ご自身の気持ちに変化はありましたか?
- 最初の頃はどうしてもよそ者目線で撮っていたんですが、だんだんと住人目線になってきたというか。とはいえ、八女の人たちからするとよそモンが撮っているにすぎない。そんなヤツに1年間も追いかけ回されるというのは相当のストレスなんですよ。撮影を快諾してくれた方から「5年くらい住んでから撮るのが礼儀だ」と怒られたこともありました。彼らは何十年という長いスパンで町を見ていて、早急な結果なんて求めてないような方たちなんです。この映画も1年半かけたとは言え、八女の人たちの長い活動から見たら小さい山でしかないですから。
ーほかに大変だったことがあれば聞かせてください。
- 最初は地元の人間関係がよく分かっていなかったんで、地雷みたいな存在の方と一悶着……これ以上は言えません(笑)。
ー分かりました(笑)。
この映画を通して伝えたいメッセージをお願いします。
- うーん、あんまりメッセージをドーンと出すという意識で撮ってないんです。八女がそういう町じゃないんですよ。皆さんやることは着実にされているし、芯はあるんですけど。
敢えてメッセージを残すならば、そうですね。地方にいてあがいている人、都会に憧れている若い人が、立ち止まって考え直すきっかけになればいいなと思います。もちろん都会での毎日は、面白いし刺激もある。だけど僕の場合はそれが精神的にもキツくなってしまって、地方に来て光が見えた。結果的に光が見えたからいいけど、やっぱり遠回りをしたなあと思うんです。だから若い人たち、特に”都会/田舎”とか”中央/地方”とか二分化された中でしんどい思いをしている人たちに、「ああ、都会に住まなくても、自分の町で面白いことができるな」とか「天神は月に数回でいいや」とかって、自分の町のいい部分を見つけて磨いていってほしい。都市にいる人には、「こんなことをやりたくて地元を出たのかな」と立ち止まってみてほしい。長らく実家に連絡してない人は「ちょっと連絡でもしてみよう」とかね(笑)。
ー最後に、今後の予定や関心のあるテーマなどがあれば教えてください。
- まずはこの映画を作った者の責任として、もっと広めていかなければと思っています。この映画は助成金と、地元のまちづくりの方々が協賛金を必死に集めてくださったおかげで完成したので、そういった意味でも色んな人たちに見てほしい。今のところ、劇場上映は福岡と東京が決まっているのですが、やっぱり全国の劇場で上映したい。英語版を作る予定もあるので、国際映画祭などにも積極的に出していきたいですね。そういう意味では、まだまだこの映画は終わっていないので、次の作品のことはあんまり考えてないです。
あとは個人的な話ですが、この映画をきっかけに日本映画監督協会に入会できたので、映画監督の仲間入りをさせてもらえたという気分です(笑)。その中で見えてくる流れもあるかと。
ー映画監督さんとして初めてのお仕事なのですね!
- 長篇劇場用映画は一本目ですので、勝負どころです。
ー今後の活躍も期待しています。今日はありがとうございました。
- 『まちや紳士録』は、12月7日よりKBCシネマ(福岡)にて上映されます。気になる方は、是非足を運んでみてください!
( 取材/堀尾真理 写真/金子 )
- Profile伊藤 有紀 (いとう ゆうき)
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映画と絵本のoffice ARIGATO代表
映画監督 / 日本映画監督協会会員
1979年、三重県桑名市生まれ。
日本大学大学院芸術学研究科映像芸術専攻
修士課程修了。
映画・ドラマの助監督を経て、フリーのディレクターに。
旅番組、ショップ番組、ドラマ、行政・企業VPなどを制作。
旅番組の博多ロケが縁で東京から福岡に移住し、テレビCM制作に携わる。やがて独立し、 結婚を機に八女市の古い町家に移住。
初めての劇場用長編映画「まちや紳士録」が福岡・東京を皮切りに全国公開予定。
映画『まちや紳士録』