LOCAL BUSINESS X FUKUOKA

作り手のココロが見えるからうれしい。山海の恵みと産直のカタチ〜前編〜

2016年12月21日、福岡市中央区の「スタートアップカフェ」で70名を超える参加者が集い、「福岡市農山漁村地域活性化セミナーvol.3」を開催しました。6月に運用を開始した「市街化調整区域の土地利用規制の緩和」をきっかけに、地域資源を活かした集客施設などの新たな場の創出を促していくための4回シリーズのセミナー。第3回目となる今回は、直売所運営に携わる2人のゲストを迎え、生産者・消費者との関わりやこれからの産直のあり方についてのトークを展開しました。
全国各地の一次産業が衰退の一途をたどる現代において、生産者がリスクを負うのではなく,継続的に,安定的に生計を立てていくことのできる直売所運営の仕組みをどう考えていくべきか。直売所事業の成功の裏にある生産者,事業者,行政など,それぞれの立場での関わり方のあるべき姿とは。直売所が担うこれからの役割とは。
「直売所」や「第6次産業」をキーワードに盛り上がりを見せた、そんな当日の様子をお届けします。


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【ゲスト紹介】

中野幸浩 Yukihiro Nakano

中野幸浩 Yukihiro Nakano

中野ユキヒロ商店 代表
1960年福岡県直方生まれ。2004年、㈱九州のムラ市場に入社。店舗立ち上げや運営、仕入れ業務を担当。2013年に独立し、九州の食と文化応援隊長として、自治体のアドバイザーや6次産業化プロデューサーを務める。

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合瀬マツヨ Matsuyo Oose

㈲やさい直売所 マッちゃん 取締役会長
佐賀市三瀬村生まれ。1986年三瀬トンネルの開通に伴い農家の嫁から地元農産物を販売する直売所を開業。口コミ、メディアでの紹介を通じ年々店舗の拡大を続け、30名の従業者を抱える直売所へ成長。今年25周年を迎え4月にリニューアルを行い、更なる進化を続けている。

【モデレーター】

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山口覚 Satoru Yamaguchi

津屋崎ブランチ代表
1969年、北九州市生まれ。創造的活動交流拠点津屋崎ブランチ代表。2005年、自ら地方に身を置いて活動しようと福岡へUターン。2009年には福津市津屋崎の小さな海沿いの集落に移住し、「津屋崎ブランチ」を立ち上げ。空き家の再生・活用、対話による町づくり・小さな起業家育成などを行い、6年で200名以上の移住者を招き入れ、20人の起業家を生んだ。現在も、地元の人達と地域の未来をつくる取り組みを続けている。


セミナーの冒頭には、福岡市総務企画局の中牟田より市街化調整区域の現状と、6月に運用を開始した「土地利用規制の緩和」についてお話ししました。155万人の人口を有する福岡市ですが、市街化調整区域では、人口減少、少子高齢化、農林水産業の衰退などの課題があり,規制緩和を契機に,地域・事業者・行政が,このようなセミナーでともに学びながら,地域の活性化につながるビジネスの創出を促していきたいと考えています。


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3回目を迎えた福岡市農山漁村地域活性化セミナー

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今シリーズで毎回モデレーターを務める山口氏

山口さん(以下山口)みなさんこんばんは。この企画も早いもので3回目となりました。本日もみなさんと共に感じたことを場全体で共有していけたらと思っておりますので、どうぞよろしくお願い致します。まずはゲストの方々に自己紹介とそれぞれの取組みついてお話しいただきたいと思います。

九州中の生産者1,000人と繋がる・中野さん

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中野さん(以下中野)みなさん、こんにちは。こういう場所に立つということはあまりないので、少し緊張しております(笑)。どうぞよろしくお願い致します。

さっそくですが僕がどんな仕事をしているかということを、ご説明します。まず、農家の方と一緒に商品開発をしています。例えば大牟田市のおばちゃん加工グループと作った筍の粕漬けや、高千穂の建設会社のおばあちゃんが作っている「ごぼうみそ」。商品開発は、調理師をしていた経験があるので大体一緒に作りながら開発しています。そこに机上の論理はありません。

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大牟田市の加工グループ「ミヨちゃんクラブ」と一緒に開発した筍の粕漬けは、もともと地元のおばあちゃんが作っていたものを後世に残そうという試みから生まれたもの。

次に、ラジオです。「九州の食と文化応援隊」(KBC)という番組を持っています。以前「九州のムラ市場」にいたときに、地元の生産者さん1,000人とのネットワークを築いてきたんですね。ラジオは、その生産者さんたちを紹介しながら横につないでいこうという試みです。これまでで140人くらい紹介させていただきました。ラジオの仕事がご縁で、絵本『トマトくんのありがとう』も作りました。僕が原案、文は長年絵本の朗読で親しまれてきたタレントの徳永玲子さん、絵はイラストレータ―の二木ちかこさんです。生きること、育ち育てること、食べること。たくさんのメッセージを子どもたちに知ってほしいという思いと、やはり一番伝えたいのは生産者の思いや努力です。直売所で野菜を売ったり買ったりするだけの二者関係がほとんどになってしまっている時代で、食育の一環として作ったものです。食育の観点からすると、体験イベントもやっております。福岡市内の商業施設で田植え、稲刈り、餅つき、そしてみんなで食べるというところまで。絵本もそうですが、子どもたちにこういう体験をさせたり、物語を伝えたりすることが今非常に重要だと思っています。

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ラジオのコーナーから生まれた絵本『トマトくんのありがとう』(グッドブックス)は、中野さんが特別講師として招かれた台湾の東海大学での食育関連授業でも使用された。

販売もしています。農家さん、漁師さんたちが作ったものをお披露目して実際に現場に立って売るんですね。以前、福津市で行った販売会では、対馬の漁師さんがイカを出品してくださいました。実はこの漁師さん、そのちょっと前に転覆事故で漁師仲間を二人失った方なんです。本人だけ助かった。ものすごく落ち込んでおられたんですが、「あなたの獲ったイカをどれだけの人たちが心待ちにしているか見てください」とお願い出品していただきました。現在はすごく元気になって、対馬で牡蠣小屋をされています。

まだまだあります。僕は長年売り場に立ってきたので、展示会での出品物のディスプレイやお客さんとのやり取りも含めてアドバイスをさせていただいています。

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過去に20年間魚屋をしていた経験を生かし、魚屋で刺身の鉢盛り、クエの解体、ふぐ刺しなどを作ることもある。

さきほど販売をしていると言いましたが、「売る」ことは「伝える」ことと同じ。つまりその「もの」を知らないと伝えられないんですね。これは僕の信念でもあります。そのために、これまで九州中を回ってきました。鹿児島の桜島大根農家、宮崎の金柑農家、日田の梨農家、五ヶ瀬のお茶農家、竹田のトウモロコシ農家、全国で3反しか作られていない筑後のいちご「みつのか」農家……まだまだあります。どの農家についても2時間はしゃべれます(笑)。彼らの何を伝えるのかと言いますと、「みつのか」を栽培している「あつひろ農園」さんは、ミツバチも飼われているんですね。いちごの花の受粉には蜂の力が要るからです。要は、いちごは蜂の中で育つ。いちご農家には必ず蜂の巣箱があるんですよ。でもこのことを知っている人はほとんどいない。知らずに「ここのいちごは美味しい」「ここのは高い」と言う。僕はこれを知らせんといかん、と思っているんですね。

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中野さんがこれまでに出会った生産者は、1,000人を超える。

以上ですが、よく「何屋さん?」と言われることがありますが、僕ができるところは全部やるんです。店は持っていませんが、有り難いことに、九州中を回って生産者のみなさんとネットワークを作ることができている。僕がみなさんのお役に立てることがあるとすれば、それは、生産者さんに会って、見て、話を聞いてきたことを“実況中継”して伝えることだけです。それは何の本にも書いていません。本日は僕が答えられる範囲でお話していきたいと思っています。

一から手探りで直売所を育てた農家の嫁、合瀬さん

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合瀬さん(以下合瀬)みなさんこんにちは。私もちょっと緊張しております(笑)

私はもともと農家に生まれて、農家に嫁いで20年、米や野菜を育ててきました。ひたすら土地を耕しては野菜をつくる毎日の中で、「この土地ばなんとか活用して、お客さんば呼ぼう!」という思いが沸き上がってきたんですね。お姑さんが首を立てに振ってくれんということもあり、実行するまでにかかった時間は3〜4年。思い続けるとチャンスというのがやってくるんですね。ちょうど道路の拡張工事がはじまったので、持っていた土地を資材置き場に貸したんです。それで工事が終わるタイミングで「もう色々考えんで、今のうちに埋め立ててしまおう」と、実行に移したんです。最初は小さな小屋一つだけ。それでも売るものはなかったので、自分の畑で育てた米や野菜を置いていました。当時は地元に生産者さんも5人ぐらいしかいませんでしたし、もともと個人で始めたので、行政の助けも借りずに店を作ってきました。

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1986年、三瀬トンネルの開通にともない産直所「マッちゃん」を開店。すべては小さな赤い屋根の小屋からはじまった。

最初の3〜4年は売上げが少なかったから、周りの人も「大丈夫じゃろうか」と心配しておったそうです。お姑さんもみな「百姓で食うていくのは何てことなかばってん、商売は大変ばい」とばかり言って,誰からも「店を作って良かったね」と言われたことはありませんでした。「このままじゃいかん」と、小さかった店を移転して大きくしました。ログハウス調にして、座って休憩できるようなスペースも作ったんですね。それから12〜3年はトントン拍子で、売上げも上昇。けれどもやっぱり頭打ちになってきたんです。「駐車場が足らんけんばい」と、目の前の田んぼを4年かけて交渉して説得して、ようやく借りました。今年の4月にはリニューアルいたしました。

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2度のリニューアルを経て、現在は従業員30名を超える直売所に成長した。

店の中身ですけれど、地元の農産物がもちろん主体ですが、ざる豆腐も名物です。周りに「豆腐ば作らんね」と説得されて、「じゃあ一年間はあんたたちが作ってください、うまくいったら作ります」とはじめたんですが、今やみなさんに褒めてもらうまでの人気商品になりました。食事ができるスペースもあって、バイキングのお惣菜、うどん、おでんなど、メニューも充実しています。みなさん主婦ですので、美味しいごはんが得意なんですね。

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店内に設けられたイートインスペースでは、豊富なメニューが目白押し。量り売りが人気のランチバイキングは、地元の新鮮野菜を使ってすべて手づくりされている。

振り返ると、ここまでやってこられたのは,みなさんのご協力があったからこそで,本当にありがたく思っております。私はもともと百姓だったもんですから、一年中野菜を作ってはお店に出し、地元の生産者さんと一緒に喜んでおります。難しい話は苦手ですが、今日は私なりに考えたことをお話できたらと思います。よろしくお願いします。

ものに値段が付けられる理由

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山口中野さんは株式会社九州のムラ市場(以下、九州のムラ)で実に様々なネットワークを広げてこられました。なんとその前は魚屋を20年間もやっておられたんですね。何がきっかけで魚屋をお辞めになり、九州のムラに行かれたんですか?

中野専門学校時代に和食を専攻していたので、はじめは和食の職人になりたいと思っていたんです。そのためには魚が欠かせないわけです。たまたま同級生の親父さんが魚屋をしていて、お願いしてその世界に入りました。魚屋時代には、市場にも行ったし、競りにも入りました。

ある時、お客さんで来た1人のおばちゃんに「あんた、このアジ高いね」と。特売で100円だったんですが、隣のスーパーじゃ95円で売られていたんです。当時は僕も若かったしムッときて、「じゃあ隣のスーパー行って」と言ったんです(笑)。なんでムッときたかという理由のひとつは、僕には漁師の友だちがいたんです。友人言うには、大量にアジが獲れると、港に向かう途中でアジの重さに船が耐えきれずに傾いてしまう、と。お金になるので持ち帰りたい。けれど背に腹は代えられないわけですよ。まさに板子一枚下は地獄。それで、やむなく網を破ってアジを逃がして帰る。そんな話を聞いたことがあったんですね。だから「漁師さんは命がけで魚ば獲りよるとよ。100円より安い魚を自分で海に行って獲って来れますか?」と。ものの値段というのは、自分ができないことを対価として支払っているんです。

魚屋の時代にそういうことが何度かあり、ちゃんと漁師さんのことを伝えんといかんという思いが強くなったんですね。その頃にはそれなりの収入を得ていましたけど、子どもも2人いたし家のローンもあった。でも思い切って仕事を辞めて九州のムラに入りました。

山口値段を安くしたり高くしたりする「価格設定」に関心をお寄せになっていた、と。

中野値段というのは、付いた理由があるんです。小売店はその理由を説明せずに売ってきた。高いか安いかという競争だけが主流ですよね。きちんと生産者と話をし、質の良さや中身を知り、付いた値段の理由を消費者に伝える、それは直売所が一番適しているという気がしました。

山口生産者に会って勉強する一方で、消費者には値段の理由をきちんと伝える。間に入る人がいるということは素晴らしいですね。

中野また生産者のことを消費者に伝えるだけではなく、生産者にも伝えるんです。例えば直売所で袋入りの椎茸なんかがよく売ってあるでしょう。農家はみんな人がいいから山ほど袋に詰め込んで300円で売る。でも多すぎて買ってくれない時もある。逆に半分に減らしても同じ値段で売れるんです。つまり適正価格は担保しながら、消費者のニーズや生活に合わせることも必要なんですね。

思いつきで無計画、作業着で長靴。それが成功の秘訣?

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山口合瀬さんは、中野さんとはまた違ったかたちで生産者の立場から直売所に関わってこられました。店をはじめた当時は、周囲の農家さんたちから色々言われたりはしませんでしたか?

合瀬反対ももちろんありましたけど、「今せんばいかん!」という気持ちが大きかったですね。周りがなんと言おうと、飲んで食うていくためには、私は私の決断ばしていかないかんと思っておりました。

山口協力してくれる生産者も当初は少なかったそうですが、その背景には、直売所よりも農協のほうがいいからという理由もあったのでしょうか?

合瀬農協に出す人はもちろん組合員ですから、そういう方はもちろん出してはくれません。そういう専業農家の方々というよりも、じいちゃんばあちゃんが「自分が作った野菜ば出してみようかね」という方のほうが多いです。今は、野菜、米、乾物、加工品合わせて、900名を超える契約者がおります。

山口すごいですね。

合瀬作ったものは何でも出していいよという構えなので、年々増え続けています。

山口経営については、売上げや人件費、維持費などもある程度計画してやる必要があると思いますが、そのあたりもゼロからご自分で?

合瀬計画性は、なかったですよ(笑)。農業もせないかんしですね。だから最初は売上げが1日2万円に満たないような日もありました。「5万円売れたら従業員ば入れられるばってんね」とよく話しておりましたね。

山口今や30人ほどのスタッフを雇っておられるわけですね。合瀬さんは、本能のおもむくままに、成り行き任せにやってきたら成功したと言われますが、きっと成功の秘密があると思うんですね。そのあたり、中野さんはどう分析されますか?

中野僕は、合瀬さんの「思いつきでやってきた」というお話しは、商売にはむしろ非常に大事なことだと思います。思い立ったら即行動に移す。合瀬さんのすごいところは、石橋を叩いて渡る慎重さも持ち合わせているでしょう。例えばさっきのざる豆腐の話ですけど、「一年間あんたたちが作って、儲かったら私が作る」と。リスクを自然に回避しているんです。

あとは何より、「周りがなんと言おうと、飲んで食うていくためには、私は私の決断ばしていかないかん」という言葉ですね。最後はそこだと思います。仕事とは、生活するため、食べるためにするものですからね。頭でっかちになって、色々計算しすぎて事業を起こしても、なかなかうまくいかない。むしろ合瀬さんのように思いついたことは即やってみると、案外裏付けが後からついてくることもあるんです。お金の計算や計画性がないほうがいいとは言いませんが、それが手かせ足かせになる場合もありますからね。それに、長いスパンでやってこられていることですね。1年でお店が成功したから、成功したと言えるか。そうとは限りません。僕も魚屋時代に朝市やっていましたが、最初は1日2万円の売上げでした。それが最終的には3時間に130万円を売り上げるまでになったんです。でもここに到達するまでに4年間かかってます。

山口3時間に130万円はすごいですね。中野さんは、合瀬さんのようにご自身が直売所をはじめたのとは違って、言ってみればから外側から生産者のほうに歩み寄っていくというお立場ですよね。生産者から見たら「よそ者」。にもかかわらず九州中にネットワークをお持ちです。その信頼関係はどのように築いたのでしょうか。農家を訪問するときに気をつけていることなどはありますか?

中野まず農家を訪ねるときは、作業着に長靴が基本です。そうすることで、田んぼにも畑にもいつでも入っていける。逆にスーツにネクタイは失礼だと思いますね。一緒になってやっていくという姿勢が大切なんじゃないでしょうかね。

山口立場が違うお2人のお話し、非常に面白いですね。

会場からの質問
〜生産者、事業者、行政がともに連携し合うこと〜

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参加者1農協を通す場合と通さない場合の違いはどんなところにありますか?

合瀬農協さんとはまったく付き合いはありませんね。

会場(笑)

中野僕は、基本的に農家さんとの直のやり取りを重視していますので、農協さんとはあまり接点がありません。でも必要があれば関わることもあります。農家さんから話を聞くと、農産物を農協に渡してお金に換えることで、今のところ成り立っていることもありますから。逆に、農協との契約を辞めて全部僕のところに持ってきてとは言えない。農家さんの生活が成り立たなくなってしまいますからね。

山口直売所を通して出回る流通量としては、まだまだなんですね。

中野そうです。もちろん全部自販されている方もおられますが、多くはそうじゃない。農協と自販の比率は、農家さんにもよりますが8:2とか9:1くらいじゃないでしょうか。

とはいえ、自分たちが作った美味しい野菜をもっと伝えたいという強い気持ちを持った農家さんもたくさんいます。僕はそれを差し支えの無い範囲でお手伝いしてきたつもりですが、何よりも第一にあるのは、生産者さんの生活なんですね。

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参加者2中野さんの最初のお話に、商品開発には机上の論理はなく、思いついたものを商品化していくとありました。それでもやはり試行錯誤しながら良いものを作られていると思いますがいかがでしょうか。またひとつの商品を開発するのに、だいたいどのくらいの時間をおかけになられているのでしょうか。

中野商品開発は「思いつき」と言いましたが、その「思いつき」にも必要なものがあるんですね。まず観察力を十分に身につける。お客さんが売り場で商品に対してどんな反応や表情をしているか。それを「思いつき」に反映するんです。例えば店頭に置いてあるアンケート用紙なんかもそのひとつですよね。「椎茸が多すぎる」とか、「パッケージが大きくて冷蔵庫に入らん」とか。実はここが商品開発のポイントだったりします。

時間ですが、ただ作るだけだったらデザイナーさんとのやり取りも含めて早ければ2〜3ヶ月くらいでできると思います。逆に時間かけてマーケティングしてニーズを把握して……とやったところで、同じようなものしかできないこともある。最終的には作り手の「これを伝えたい」という強い思いがしっかり詰まっていれば、商品開発はどんどん進むと思いますね。

参加者3行政に携わるものとしてお聞きします。これまで行政に助けてもらったことはありますか?
支援できることがあるとすればどのようなことがあるのか、もし事例がありましたら教えてください。

中野行政に支援してもらったというよりも、行政を巻き込んだという言い方のほうが合う気がします。例えば、平戸市は今大変活発で、2014年にはふるさと納税で寄付額全国トップになりました。これにはきちんとした理由があって、ブランド化事業で30品目を新たに開発したり、ネットを活用したりといろいろとありますが、何よりも生産者と行政の信頼関係の厚さだと思います。開発した商品の販売会では、生産者や僕たち九州のムラスタッフをはじめ、平戸市の職員も一緒に販売をしました。職員の方にも販売することの大変さや消費者の反応を感じてもらうんです。この時1人の若い職員の男性がものすごく活躍して、終わった後に生産者の方が彼に「あんたが売らんかったら、ここまで売れんかった」と言ったんです。成功の影には、生産者、事業者、行政、みんなが共に関わり合うという姿勢があったのだと思っています。支援とか手伝うとかどっちが主導ということではなく、一緒にやらないかんと思います。

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前半が終了。休憩の間も、参加者どうしの活発な意見交換が交わされていた。


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