LOCAL BUSINESS X FUKUOKA

ココでしかできないものがある。 自然と物語がある宿のカタチ〜後編〜

2016.9.26 LOCAL BUSINESS × FUKUOKA 福岡市農山漁村地域活性化セミナー VOL.2 ココでしかできないものがある。自然と物語がある宿のカタチ

〈後半は、参加者による質問をもとにさらなる議論が展開されました〉

深度のある情報を見極める

参加者岩佐さんのメディア観についてもう少しお聞きしたいのですが、SNSなどはどのようにお考えですか?

岩佐インターネットの誕生とSNSによって、情報量が爆発的に増えましたよね。そのことによって情報と時間軸のズレが生じてきています。かつては1日24時間/年間365日だったのが、爆発的に増えた情報により人間の思考回路も変化してきている。ただSNSも善し悪しで、そこをどう見極めてものを伝えていくかということが大変重要だと思います。

山口そこをどのように地域の活性化に結びつけていくか。

岩佐地域にとって、情報を伝えるためのテクニックは非常に重要だと思います。それがないと、どんなに頑張ってもうまくいかない。

宮崎全てのまちが活性化するということはありえないし、その必要もないと思います。また急激な活性化は、急激な衰退を招くこともある。都市部のジェントリフィケーションなんかはまさに、お金が投資されて局所的に強化される一方で、そのまちをかたちづくってきたような人たちがいなくなってしまう。もっと長期的な目で活性化に取り組む必要があると思いますね。

岩佐「人口減少」と言うとみなさん深刻になりますが、いつかゼロになるなんてことはそう簡単にはありえないし、逆に少なくなってもいいじゃないかと考えることも大切だと思うんです。人が少なくても幸せであればいいかもしれない。重要なのは、人口が少なくても幸せでいられるにはどうしたらいいか。もちろん住民同士のコミュニケーションも大切なんですが、外からやってきた人とどうやって交流をするのか。そこには「自分たちの地域はこれを伝えよう」「これは守っていこう」という知識やテクニックを共有していくことが求められる。そのとき、人が少ないほうが合意形成もしやすいですよ。少なくなるということは、決して悪いことではないと思うんですね。何もしないで少なくなっていくのはどうかなとも思いますが。

山口なるほど。人を増やすことを前提としたまちづくりそのものに疑問符を打ってもいいと。また宮崎さんもおっしゃっていましたが、まちがメディアによって一気に活性化されると、一気に衰退が訪れる。つまりメディアによって消費され尽くされてしまって、出がらしだけになってしまう?

岩佐メディアに消費されるというよりは、情報に消費されるんだと思います。色んなメディアが登場してきた歴史のなかで、SNSが登場する前とそのあとでは情報の量がまったく違う。加えて今後はAIも入ってくる。そんな情報の洪水のなかに、僕らは足を踏み入れてしまった。それは、全ての考え方が覆ってしまうような転換期でもあると思うんです。普通だったら、膨大な情報のなかに完全に埋もれて、事業もすぐに陳腐化してしまう。それはメディアに食い尽くされるからなのではなく、全ての価値感があっという間に変わっていってしまうからなんですね。全ての事業者はこれからリスキーな時代に入っていくと思います。そんな時代にどう合わせて事業を展開していくか。自分は情報とどう付き合っていくかということが鍵になるんじゃないでしょうか。

宮崎個人的に面白いと思うのは、岩佐さんは先にメディアを持って「場」に行き着いたのに対して、僕は先に「場」を持ってしまい、今まさにメディアを必要としている。でもそれは陳腐化されないためのメディアでもあるんです。上っ面の情報があまりにも溢れてしまっているなかで、深度のある情報を確保していかないといけないという危機感はありますね。

岩佐本当にその通りだと思います。深度のある情報って何か。例えば雑誌はもう終わったと言われ続けていますが、一方でそういったアナログなものが見直されている。なぜかというと「紙」は情報洪水のなかで消費されずに掘り下げていくことができるからですよ。
同時に、新しい人たちが漬け物の作り方や地域の小さな文化を掘り起こしているのは、それが消費されるものではなく、共感されるものとして伝え継がれてきたことを感じているから。つまりここ3、40年で消費され尽くしてきたと思っていたものが、実は今後コンピューターやAIが入ってくる時代において人間が人間らしくいられるための重要なヒントになるんじゃないかと思います。ちなみに僕がなぜ「紙」をやめないかというと、紙はもう伝統工芸だと思ってますからね(笑)。伝統工芸は残すことが重要なんです。

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<質疑応答>

旅館運営の大変さをどのようにクリアするのか

参加者北海道の田舎で両親が旅館を運営しています。さきほど岩佐さんが「宿は朝昼晩が大変だ」とおっしゃっておられましたが、その点をどのようにクリアされたのでしょうか?

岩佐旅館って効率が悪いと思うんですが、その非効率のなかでいかに効率よくやるのかという感じです。あえて言うならば、うちは完全交代制なので普通の旅館に比べて従業員が約2倍います。それをどこで回収するかというと、宿泊費しかない。うちはそれなりの宿泊費を頂戴してますが、そうしないと回っていかないんですね。

宮崎そうですね、徹底的に下げる必要はないと思います。hanareも、「ゲストハウス」というくくりで見ると決して安くはありません。言い方を変えると、「安いところじゃないと泊まらない」というお客さんには来て欲しくない。hanareのことをきちんと知った上で泊まりたいと思ってくれている人に泊まって欲しいし、そこを乗り越えてくれた人じゃないと、まちでの過ごし方とか関わり方も分かっていないから、まちからもクレームがくると思うんですよ。

イタリアの事例

参加者イタリアのアルベルゴ・ディフーゾについてもう少し詳しくお聞かせください。

宮崎アルベルゴ・ディフーゾは、イタリアではかなり明確な規定があるんです。まず既存の建物であること、補助金を受けていないこと、客室とレセプションが分かれていること、お客さんと地元の人の両方が使うことのできる空間であることなどですね。実は僕らは今、日本版アルベルゴ・ディフーゾを作ろうとしています。日本での定義をもう少し明確にして、日本でもそういうことをやっている人たちが出てきているので彼らともつながっていきたいですね。岩佐さんもいかがですか(笑)?

岩佐はい、入ります(笑)

メディアがなくても宿はできる

参加者岩佐さんはまず雑誌というメディアがあり、その延長線上にあるリアルメディアとして「宿」をはじめられたということですが、仮にメディアというものに関わっていなかったとしたら、どんな宿をつくっていたと思われますか?

岩佐宿はやっていないかもしれないけれど、とにかく自分がやりたいことをベースに何かしていただろうと思いますね。僕はよく「お金を儲けたいのか、自分のやりたいことを優先するのか」と聞くんです。なぜそれがやりたいのかを考えたときに「お金のため」だったら東京や京都など、いわゆる観光地が良い。そうでなければ、自分が社会に対して何ができるのかということを考えながら仕事をするということが非常に重要だと思います。

参加者メディア抜きの宿というのはありえますか?

岩佐メディアなんか持つ必要ないんですよ。雑誌も、自分のなかでは伝統工芸を残そうとしている僕なりのかたちなだけですから。

宮崎順序はどちらでもいいんですよね。持っていないなら作ればいいし、やりたければやる。僕も、メディアを持っていなかった人間ですが、宿を通してメディアをつくろうとしている人間です。

目的を明確にし、発想の転換を図れば何かがはじまる

参加者糸島で古民家を改修しているのですが、資金もなく、行政に相談しても難しいようで、動きが停滞して行き詰まっています。このような状況に対するアドバイスがあればお願いします。

岩佐行政に頼っても無理だと思います。行政は古民家の改修にお金をかけられない。かけたら破綻しますからね。そこで必要になってくるのが、経済活動ですよね。経済活動としてその古民家をどう活用していくのかということを真剣に考える。そうすれば、自分で借金をして活動できる。真剣に考えずにボランティアで古民家を改修するなんていうのは、偽善だと思うんですよ。

宮崎ビジネスを作る必要があるときに、目的が中途半端だと人との関係も曖昧になっていくし非常に難しいと思います。最初はボランティアでよくても、長くなってくるとそれだけではつながれなくなってくる。
あるいはその古民家を改修する際に、100%快適な空間にする必要はないのではないでしょうか。例えば一部屋だけ断熱してそこを寝室にして、ほかの部屋は寒さを楽しむとか。しかもそれは頭の中で発想の転換をすればいいだけ。安く仕上がるかもしれません。リスクのバランスはデザインでとれるんです。誰もリスクを負わないというやり方では、何も始まらないと思います。

まちとして、どういうコンセプトを持つべきかを考える

参加者規制緩和指定地域のひとつ福岡市西区の北崎でまちの活性化に携わっています。北崎にも宿があるのはありますが、女将も高齢化していて営業できている状況ではありません。本日は宿を経営されている立場から何かご意見を頂きたいと思っています。

岩佐古い旅館がつぶれても、それはそれ。空き家を貸してくれない人がいても、それはそれだと思うんですね。そうやって自然に発生した空き家から何か動きが生まれるものだと僕は思っています。

宮崎宿がないとまちがダメになるという考えなのであれば、本当にそうなのかを考え直す必要があると思いますし、それよりもまず、まちとしてどういうコンセプトを持つべきなのかということを考えるほうが先なのではないかと思います。

最後に

山口福岡市の市街化調整区域に絞ってご意見をお聞かせ下さい。お二人から見て、今後ここでどんな可能性がありうるか、今考えられることがあれば教えて頂きたいと思います。

岩佐魚沼市と比べると、最高ですよ(笑)。何でもできる、新天地です。

宮崎僕がひとつだけ言いたいのは、外からやって来た人にすべてを期待してしまうと、地元で連続してきたものがそこで途切れてしまう可能性があるということです。そうなると、仮に面白いものができたとしても全然生き生きとしてこない。やはり暮らしている人が一番大切だと思うので、その魅力が生きた状況のなかでどう変えていくかということだと思います。

山口ありがとうございます。本日は本当に多様なご意見をお聞きできたと思います。「宿」という観点にとどまらず、この社会のなかでいかに「本物足り得るもの」を残していくか。そのためには共有の知識やテクニックも必要で、逆にテクニックがあれば必ずしも大きなまちである必要はないというお話も非常に興味深いものでした。もちろん人口が増えることは大事なのですが、これは目的ではないんだということですね。人が少なくても幸せであるということはどういうことなのか。幸せな地域をつくれば自ずと人が集まってくるのかもしれませんし、それこそが本来の「まちづくり」なのかもしれません。お2人とも、本日はありがとうございました。

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左より山口さん、岩佐さん、宮崎さん


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