山からの「一番水」が生姜をつくる
山からの「一番水」が生姜をつくる
とれたてを湧き水で洗って土を落とし、その一片をひとかじり。スジのないきめ細かな食感に、ピリッとした強い辛味としっかりとした香りが口のなかに残る。「山の農園」の新生姜だ。背振山地を背にした段々畑で、米澤竜一さん・佳江さん夫妻が共に力を合わせながら、生姜の生産・販売・加工品開発を手がけている。
「生姜は食べ物。育てる過程で使うものも、極力人が口に入れても大丈夫なものにしたい」と、肥料はすべて、米、トウモロコシ、大豆などの穀物を配合した有機肥料。農薬も必要最低限しか用いない。山あいの山間地という場所柄、山から湧き出た「一番水」をふんだんに使えることも、生姜を育てる上での大きなメリット。「生姜は90%以上が水分。しかも厄介な病気を媒介するのは主に水ですから、きれいな水を確保するのはおいしい生姜作りの必須条件なんです」と米澤さんは話す。
そんな生姜から生まれるジャムなどの加工品も、一年を通して人気の商品だ。佳江さんがレシピの開発から製造までを主に手がけている。「じっくりコトコト煮込んだジャムを、生姜好きもそうでない方にも楽しんで欲しい」との想いから、「コトコトキッチン」の名で、福岡市近郊の雑貨店やマルシェなどのイベントで販売している。生姜と合わせるのは、りんご、バナナ、ラムレーズン、塩キャラメルなどの変わり種。いちじくや柚子など、季節の素材を思いつくままにレシピに加えることもある。パンにはもちろん、ヨーグルトやクリームチーズに添えたり、紅茶に入れたり、気分に合わせて楽みたい。
出版業から一転、生姜農家へ
米澤さんが心機一転、農家を志したのは8年前のこと。出版業界で夜中まで多忙な日々を送っていたが、体調を崩し入院したことをきっかけに「今の自分は幸せなんやろうか?」と立ち止まった。その時に出会ったのが、古本屋で偶然見つけた一冊の本。『農で起業する!』の文字が目に飛び込んできた。
草一本育てた経験もなかった米澤さんだったが、すぐに退社。福岡市内の無農薬農家で一年間研修を積んだのち、今の畑を借りていろいろな野菜を育てはじめた。「なかでも生姜がわりとよくできて相性がよかったんですよ。作るなら体にいい野菜をとも思っていましたし」と、一年後には生姜に特化。熊本の生姜づくりの名人に頼み込んで弟子入りし、栽培法を学びながら生姜づくりに専念してきた。
縁があったとはいえ、借りた畑は10数年にわたり放置されていた、いわゆる「耕作放棄地」。自分の背丈をゆうに越える雑草にびっしり覆われていたうえ、はじめはイノシシやアナグマなどに畑を荒らされるなど、一筋縄ではいかないことのほうが多かったという。それでも米澤さんは、「いろんなご縁に導かれながら、あれよあれよという間に生姜農家になった。大変なこともあるけど、毎日が本当に楽しいですよ」と、すがすがしい表情だ。
手間はかかるけどこの環境をえらぶ
福岡と佐賀の県境にまたがる背振山地。「山の農園」の生姜畑は、その福岡県側に広がる「内野」と呼ばれる地区にある。標高200メートルの段々畑からは、遠くに油山が見渡せる。「ここが福岡市内だなんて、びっくりでしょう」と、米澤夫妻にとってお気に入りの場所だ。
水源に近いことから水質も良く、昼夜の寒暖差が大きく美味しい作物を育む条件に恵まれる段々畑。内野も古くからお米の産地として知られてきた。しかし一方で、傾斜地にある段々畑は、平野部に比べると日照時間が短く作物によっては生長が遅いことや、機械に対応しづらく作業効率が決して良いとはいえず、風や雪などの災害も多い場所柄、農業の近代化にともない真っ先に放棄されてきた土地でもある。「山の農園」でも、今年の豪雪で立てたばかりのハウスが崩壊。あらためて、中山間地の自然の厳しさを突きつけられたばかりだ。
そんな中山間地であえて生姜を作り続け、「手間はかかるけど、その分美味しい生姜ができる」と、失われつつある里山の大切さを伝えてくれる米澤さん。現在は、とれたての新生姜やジャムなどの加工品を畑のそばで販売できる店づくりを構想中だ。「この景色を見ながらジンジャエールでも飲んでいって欲しいですね。でもその前にまずはハウスを再建したい。そして来年は初夏から新生姜を出荷したいです」と、畑を背に夫婦で笑う。