“ごひいきの農家さん・漁師さん”があるという贅沢。

[出品者情報]

ふくおか食べる通信
福岡県

[商品]

  • 梨(林農園)[青果]
  • 養肺膏(林農園)[農産加工品]
  • 松末んそば(松末地域コミュニティ協議会)[農産加工品]
  • 松末んそば粉(松末地域コミュニティ協議会)[農産加工品]
  • 志波柿(柿之屋)[青果]

生産者を身近に感じる“食べもの付き情報誌”

食のつくり手を特集した冊子と、その時期に収穫・加工される商品のセットを定期購読する「食べる通信」。2013年の「東北食べる通信」創刊以降、全国の30を超える地域に広がり、2017年11月に「ふくおか食べる通信」が創刊されることとなった。 編集長を務めるのは、福岡県朝倉市のご出身である梶原圭三さんだ。これまで会社員として、東京などで30年近く働いてきた梶原さんは、この夏からUターンで地元福岡に戻ってきた。「私は今まで全国を飛び回りながら会社と会社、部門と部門を繋ぐような仕事をしてきました。そこで、人と人を繋ぐことが好きなんだ、とあらためて気付きました」と梶原さんは振り返る。かねてより就農に関心はあったが、自らが田畑で農作物を作り続けていくイメージが湧かなかったという。「大量生産で安定供給する農業も大切ですが、私は効率が悪くても手間ひまかけて作物を作る農家を応援したい」。その想いを胸に、地方の生産者と都市の消費者を繋ぐ「食べる通信」の参画へと至った。

2017年7月、出身地の名産である柿や梨を取り上げようと創刊準備を進めていた矢先、九州北部豪雨が朝倉市を襲った。自然は時に脅威となる。その脅威に負けず立派に生長した自然の恵みを味わってほしい。「読者自身が“私の食べる通信”として、友人たちに語る輪が広がるといいですね」と、展望を話す梶原さんの表情は明るい。 今回皿の上の九州で出品いただくのは、創刊号にあわせて「朝倉市」をテーマに、選りすぐりの3者を紹介していただいた。

187A3553

写真右が「ふくおか食べる通信」編集長の梶原さん。「誰しも行きつけのカフェや居酒屋があるように、本誌を読んで農業に対してもお気に入りの生産者と農作物を見つけてほしいです」と話す

梨作りを通じて故郷の風景を守りたい

瑞々しい、とはまさにこのこと。最盛期を迎えた梨を「林農園」でいただく。果肉はたっぷりと甘い果汁を蓄え、シャリシャリとした軽い食感も心地よく、ほのかな酸味で後味はさっぱりしている。

朝倉市は、福岡有数の農業地域だ。筑後川が育んだ肥沃な大地に恵まれており、比較的温暖で涼しく昼夜の気温差が大きいため、甘くておいしいフルーツが育ちやすい好適地として、古くから果樹栽培が盛んに行われている。同園では幸水・豊水・あきづき・新高・新興・日迎(ひむかえ)の6品種の梨を、除草剤や化学肥料は使わず、減農薬で栽培する。中には、先代が掛け合わせたオリジナル「日迎」という品種もある。赤みが強くて肉質がきめ細かく、フルーティーな香り。甘味と酸味のバランスがよく、貯蔵に向いているという。梨の葉の美しく茂る畑では、果樹本来の持ち味を最大限に引き出された元気のある果実が収穫のピークを迎えていた。

規格外の梨も無駄にはしない。ほんの少しの傷でも、痛みやすくなるので、出荷が難しくなる。林農園では、傷や変形の出荷できない梨で加工品を作っている。水飴のようにドロリとした「養肺膏(ようはいこう)」は、中国帰りの料理家から先代の父がレシピを教わったもの。誠吾さんの代になって、ジュースやドライフルーツなどの生産も始めた。加工品は保存料を使わず、体に優しくおいしいモノづくりを実践している。

分家して三代目の林誠吾さんは、就農して約10年。「元々は福岡で会社員をしていましたが、地元に耕作放棄地が増え続けることに危機感を覚えました。実家の農園も他人事ではないと思ったのがきっかけです」と、就農の理由を話す。2017年7月に起こった九州北部豪雨の被害は、農業の担い手不足だった地域に拍車をかけた。「地域の風景を作るのが農業。故郷の風景を守る仕事に誇りを持っています。これからも約80年続いた梨作りを絶やさないように努めます」と林さんは決意を語ってくれた。

187A3561

梨は個人への直販のほか、農園の栽培法に共感するこだわりを持った飲食店や直売所に卸される

187A3495

「自然豊かな土地だからこそ、環境に負担をかけない減農薬栽培に取り組んでいます」と林さん

187A3350

梨の果汁とショウガ、ハチミツだけを煮詰めて作った養生食「養肺膏」。中国の家庭では、喉が痛い時や風邪を引いた時に食べられている。ミルクティーに混ぜると、まるでチャイのように感じられる

187A3343

8時間乾燥させ、約90%の水分を抜いた梨のドライフルーツ。砂糖や添加物は一切使用しておらず、純粋な梨の旨味だけをギュッと濃縮している。フレッシュな梨とは違った濃厚な甘さが魅力だ

松末のちからを生かして栽培するそばを地域の名物に

淡い茶色味を帯びた麺は、艶がいい端正な顔立ち。口に運べば喉越しがよく、そば特有の香りがフワッと漂う。そばの実の皮も混じった粒々、香りの正体だ。乾麺を茹でたそばにもかかわらず、実に風味も楽しめる。 朝倉市杷木松末(ますえ)地区の自治組織「松末地域コミュニティ協議会」が、手がけるのは、耕作放棄地の有効活用したそばだ。「ただ土地が余っているから、そばを栽培しているのではありません。地域の名物となるように試行錯誤しながら真剣に取り組んでいます」と会長の伊藤睦人さん。

これまで朝倉市では、秋そばの栽培が中心だった。2013年から「農業・食品産業技術総合研究機構」の研究所「九州沖縄農業研究センター」が育成した西南暖地での春撒き栽培に適した品種「春のいぶき」を採用することで、春も秋も収穫できるようになった。農薬や化学肥料は使わず、鶏糞を使用した有機肥料で土壌作りにも気を遣っている。

4年前に始まった取り組みは、そば粉の販売からはじまった。昨年からは乾麺も製造。乾麺はそば粉を5割使用するので、風味がよい。製粉過程で使用されなかったそば粉で、かりんとうやクッキーも作っている。これらはパッケージのデザインを統一して、ドレッシングや味噌、コンニャクなどと一緒に地域関連商品としてブランド化され、「里のいぶき」シリーズとして2017年10月より販売されることとなった。どれも大量生産できないが、一つひとつから地域住民の愛情がこもった手作りの温かみが伝わってくる。

187A3938

松末地域の新たな名物の座を目指すそば。なめらかな食感で喉越しがよく、口にすると香りが広がる

187A3617

5月と10月には白いそばの花が咲く。秋はそば畑の奥に実る赤い柿とのコントラストが美しいという

187A3663

「九州北部豪雨で山間部のそば畑は被災しましたが、無事だったこの畑を復興のシンボルにします」と誓う伊藤さん。それぞれが生活を取り戻し、コミュニティの活動が早く再開できることを切に願う

187A3956

乾麺は30~35℃という低温の熱風で乾燥させ、風味を損なわないようにしている。そば粉はそばがきや饅頭だけでなく、ホットケーキミックスに混ぜてクレープやパンケーキにするのもおすすめ

日当たりがいい斜面で甘味が増した「志波柿」

最後に訪れたのは、朝倉市杷木の志波(しわ)地区だ。福岡から大分自動車道を大分方面に走っていると、小高い山に広がる柿畑が見えてくる。福岡は全国有数の柿産地で、甘柿の生産は全国1位。志波地区は、南向きの傾斜地が多く柿の栽培に適した土地なのだ。富有柿をはじめとする同地で栽培される柿は「志波柿(しわがき)」と呼ばれ、地域ブランドの柿として知られている。

話を伺ったのは、「柿之屋」代表の秋吉智博さんだ。「柿本来の甘味や香り、おいしさを引き出すため、極力自然に近い栽培を心掛けています」と秋吉さん。農薬や化学肥料はメリットもあるが、植物の光合成と微生物の活動を抑制してしまうデメリットもある。同園は味への追求から減農薬と化学肥料の削減を実践し、2006年に「ふくおかエコ農産物」の認証を柿農家で初めて受けた。認証されるには化学農薬と化学肥料が県基準の2分の1以下でなければならないが、現在ではそれをはるかに下回っているという。自然の力を最大限に利用して環境を整えることが、おいしい柿を実らせる秘訣。園地に雑草が生い茂るのもその証だ。

「柿之屋」は、ユニークな取り組みにも積極的だ。規格外の柿は廃棄せず、隣接するうきは市の養豚場「リバーワイルド」の飼料になる。その名も「柿豚」だ。ほんのり柿の甘みが加わり、やわらかく質の良い肉になるのだとか。秋吉さんは、対価として、「リバーワイルド」から豚糞堆肥を仕入れている。この理想的な耕畜連携が、土壌作りに欠かせない良質な堆肥入手のコストが抑えられ、豚をブランド化して付加価値を付けて売り出せること示してくれた。おいしく育てるのは工夫次第。だから農業はおもしろい。

肥料も「リバーワイルド」の堆肥をわずかに使う程度で、過剰な栄養も与えていない。毎年3~4回の草刈りによる緑肥で、管理作業さえしっかりしていれば、十分に肥大した柿を実らせるそうだ。しかし、自然まかせの栽培だけに天候による影響も大きく、収穫量は年によって20~50tとバラつきがある。「それでも十分な栄養を柿に行き渡らせるため、1本の枝に対して1~2個しか実がならないように着果制限しています。完熟した状態で収穫する柿は、シャクッとした食感と濃厚な甘さが楽しめますよ」と話す笑顔が印象深かった。

187A4010

収穫時期は10月中旬~12月中旬。柿は樹上でしか甘くならないので、ギリギリまで完熟させている

187A3985

秋吉さんは就農して約17年。18歳で父を亡くしてから県の農業大学校に通い、20歳で畑を継いだ

187A4017

100年以上前に曾祖父が植えた1本の柿の木から始まった秋吉家の柿畑。高齢化などで廃業していく農家の畑を受け継ぎ、現在の敷地面積は約1万3000坪と当初の倍以上にまで広がっている

187A4052

秋吉さんが農業を継いで3年後くらいから「柿之屋」を名乗るようになった。「生産の努力、苦労、工夫を伝えられる方や、方針を理解していただける方に当園の柿を食べてもらいたいと思いました」。その想いを届ける手段として、屋号を掲げて市場流通から個人や店との直販に切り替えた

関連する記事