インタビュー

のんびり流ローカルを変える“地域編集”とは? “わざわざ”の体験が次なる価値につながる編

数字では測れない価値がメディアをおもしろくする

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前編 に引き続き後編をお届けします)

日野 さっき、取材が大事という話をしていたでしょう。取材の中で、地元の人がすごく面白いことをさらっと言うことがよくあるじゃないですか。そこを掘り起こして、地元の人たちに価値を再認識してもらう。そこに編集の妙があると思うんですね。
それは、地元の人たちに新しい役割を作るってことかもしれないし、人と人をつなげて一緒の空気を作っていくことかもしれない。編集でもあり、プロデュースでもあると思うんですよ。

そこで、藤本さんと曽我さんに地元の人たちとの向き合い方とか、編集で気を遣っていることがあれば教えて欲しいなと。

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曽我 私の場合、『 アナバナ 』というウェブサイトを運営してはいますが、ウエブでの情報発信だけではなくて、今日の「コトバナ」みたいに膝をつきあわせ顔を合わせる場を作るということを大事にしています。
現場で生まれる会話もですけど、参加するまでの過程とか、ライブでの体験が価値を生むのかなと。そういう関わり合い方までを設計できるとメディアはもっと面白くなっていくのではないかと感じています。

 日野 そうですね。ローカルメディアって、PVが爆発的に伸びるわけではないから、質とか、そこで生まれたコミュニティをどう活かすかというのも課題ですね。

 曽我 数字も大事かもしれないけど、数字では測れない価値が必要かなと思いますね。日野さんも『 #FUKUOKA 』っていう福岡のニュースサイトを運営されていましたよね。

日野 そうですね。福岡で頑張っている人や面白い出来事とかを取り上げたサイトです。新聞社さんが取り上げないような小さな話題ばかりですが、東京の人たちが十分面白いと思える内容もたくさんある。4年半くらい続けていました。

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福岡在住のインディペンデントな活動をしている方や福岡ゆかりの著名人など、さまざまな福岡の”顔”が登場する「#FUKUOKA」

曽我 いまは更新が終わっているんですね。

 日野 今年の3月で終了しました。トータルで250記事くらいあげていて、その中で200人くらいの人たちに取材していたんです。でね、最後に会ったんですよ。

 曽我 取材した人たちにですか?

 日野 そうです。出てくれた人に連絡をとって、お会いしませんかと。そしたら90人くらい集まってくれて。取材するくらいだから、みなさんすごくユニークなんですよ。でも、意外にお互いの繋がりがなくて。福岡を盛り上げようと頑張っている人たちなのに。それがもったいないなと。
曽我さんがおっしゃった通り、こういう顔を合わせる場も大切ですよね。それにメディアでコンテンツにしてからリアルの街づくりにつなげていくという藤本さんのお話もヒントになりますよね。

 藤本 なんだか聞いててすごい。僕はもうちょっと軽薄なんです。

 日野・曽我 軽薄? どう言うことですか

 

土地に惚れ込み、失敗覚悟で開いたマルシェで夢が叶った

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藤本 秋田県の南に「にかほ市」っていう場所があるんですよ。話が長くなるから詳しくお話しないですけど、池田修三という版画家が生まれたこの街に行ってみると、鳥海山が綺麗で海と山が近くて、伏流水の岩牡蠣もめちゃめちゃうまい!
すっかりこの土地に惚れ込んだので、特産物のいちじくを活用して、何かチャレンジしたいと思ったんです。

 曽我 なるほど。どんな挑戦なんですか?

 藤本 ここで4年前から『いちじくいち』というマルシェイベントを始めたんですよ。もともと「北限のいちじく」と言われていて、完熟しても緑でちっちゃいんですよ。もちろん生でも食べられるんですけど、地元では甘〜く炊いた甘露煮にするんです。昔ながらの保存食ですね。これがめっっちゃ甘い! 甘すぎて食べにくいし、今なら冷蔵庫もあるし、他の食べ方もありそう。
すなわち編集の余地があるなと思ったんですよ。

曽我 北限のいちじく ! 初めて聞きました。

藤本 この土地には若い就農者も増えているんです。大体は仕事をしながらいちじく栽培に携わっているけど、いちじくに専念したいという悩みも抱えているそうです。そんな人たちの寄り合いに行って、酒を飲みながら、話すわけですよ。でも、僕みたいなよそ者がいきなりやってきて、什器まで作って、普段は安く売られているいちじく をちゃんと高い価格で売りませんかって提案する。
めっちゃ怪しいやないですか。だから最初に「みなさんの未来のためとかいちじくのためにやっているわけではありません。僕の経済のためにやっています」とはっきり言いました。

日野 正直でいいですね(笑)

藤本 もともと、このイベントは補助金を使わないって決めていたんです。僕はチャレンジしたい。つまり失敗したかったんです。失敗してもしっかり尻拭いできるかまで考えていましたが、農家さんを巻き込むわけにはいなかないので、そこも正直に言いました。

「最初だからよくわからないかもしれませんが、一年だけ付き合ってくれませんか? 今年ダメだったら、やめてくれても構わないし、メリットあると思ったら来年も一緒にお願いします」ってね。

曽我 それで、イベントはどうなったんですか?

藤本 初年度は、150万の大赤字です。何に使ったんみたいな額(笑)。この『いちじくいち』の会場は、廃校になった小学校を選んだんですけど、秋田市内からも遠いから、車でないと難しい。そんな辺鄙な場所に1000人呼びたいと広報まで取り組みました。コンテンツに力さえあれば、別に駅前でやんなくてもいいと証明したかった。これもチャレンジですね。
結果、当日は何と5000人きたんですよ。2km先まで渋滞が起こって、警察にこっぴどく怒られるし、イチヂクも早々と完売。でも今まで甘露煮にするくらいで注目されていなかったいちじくを欲しさにオープン前に500人並ぶんですよ。そこは嬉しかった! それで大赤字なのに、なんで翌年も開催したんやろ(笑)

日野 そこからもう4年目になったんだ。

藤本 そう。入場料を回収したり、いらない仕事を削ったら、3年目でまるっと収益を回収できました。運営を手伝ってくれた「のんびり秋田」スタッフがが主力となって、地元の人々も支援してくれてたの。このチームが成長してくれて、ここ数年は全部やってくれた。僕は今年、運営から外れてイチジクスムージー屋を開いてました。420杯売ったんですよ。

曽我 藤本さんのブログに「夢が叶った」と書かれていたのがすごく印象的でした。つまり…。

藤本 そう。ありがとうございます。「夢がかなった」って言うのはね、『いちじくいち』の発案は僕かもしれないけど、地元の方が頑張ってくれはって。僕は一回目のように動かんでよくなった。一出店者になれた、というのが夢が叶ったということなんです。

日野 全然軽薄じゃないじゃないですか。

藤本 僕は自分のことがすごく大事なんですけど、僕が取った選択は相手にとっては裏切られたと思うかもしれない。要は、僕はあなたベースで判断をしませんよって言う事なんですよ。僕にとっては誠実なやり方だけど、相手にとったら軽薄かもしれないでしょう。

日野 民間同士はwin-winじゃないと成立しないから、それが普通ですよね。でも相手が自治体や大企業になるとそうはいかないこともある。僕はそんな大きな広告宣伝の仕事にずっと携わってきたし、そこで培ったプロデュースのスキルをローカルに生かせないかなと。さっきのイチジクの話もそうですけど、地方にはそんな話がたくさん待っていると思いますね。

 

商店街に隠れた思い出の味も名物に

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高崎市でスタートした「絶メシリスト」は、福岡県柳川市や石川県などに広がりをみせ、ローカルに眠っている財産を掘り起こし中

曽我 日野さんがプロデューサーとして立ち上げられた高崎市の『 絶メシ 』もローカルをあらたな視点で掘り起こすコンテンツですね。

 日野 そうですね。もともと群馬県高崎市で始まった話で、シティプロモーションの依頼があったんです。高崎の街に出てみたら、シャッター街だし、名物の達磨も町おこしにはなかなかつながっていないし。
そういうなかで、たまたま入った食堂がすごくおいしかったんです。でも、店主はおじいちゃんやおばあちゃんでいつまで続けられるかわからないと言っているし、街の人もそれを惜しんでいる。そういうお店に価値があるんじゃないのって思ったんですよ。

 曽我 まさに絶えるのは惜しい絶品めし、「絶メシ」と。

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インパクト大な伝説の食堂なども紹介される。地元民にとっては馴染みの場所も、こうして切り取られると途端に価値ある場所(=絶やしたくない場所)に思えてくる

日野 そう。「絶メシ」というタグづけでお店を紹介するサイトを作ったら、みんなの見る目が変わって。街の人たちからも評価をされ始めた。みんながお店に行くきっかけになったんです。
基本、絶メシはどこにでもあるものですが、高崎市がタグづけしたことによって名物としても認知されるようになったんです。お店自体はなくなっても、跡継ぎになりたい人が出てくるかもしれないし、何か次の新しい動きを生むかもしれない。
みんながロードサイドのチェーン店に落としているお金を地元に落とすようになると、困っている人たちに還元できて、我々も何か収入が得られるし、継続してやっていけるんです。それに、実はTV東京でドラマの予定も決まっています。『 絶メシロード 』という番組なんですけど(※)。

※2020年1月テレビ東京系列で放映予定。(詳しくはこちら

曽我 それはすごいですね。そういう、全国的な話題に広げたり、メディアに大体的に取り上げられたりするような仕掛けというのは、まさに日野さんが大手の代理店にいらっしゃるからこそできることですよね。

 日野 そうですね。それはありますよね。こちらの実績があるから聞いてくれるみたいなところもあるし。そのおかげで次の話を聞きに来る人がいる。そう心がけて積み上げていきたいなと思います。

 

ゲストに聞きたかったコト

会場からはこんな質問がありました。

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Q. 編集で譲れないものとは?

藤本 結構ないですね。意外と譲るんですよね。。。

日野 僕は、強者の論理というか、制圧するようなコミュニケーションは嫌だなぁと思いますね。マスコミニケーションですね。広告会社にいる僕の生きる道ってそこに稼ぎの源泉があるので、こんなこと言っちゃうのはダメなのかもしれないんですけど。その葛藤はありますよね。

藤本 僕は、自分のアイデアから譲らない人ですよねってよく言われるんですよ。でも僕は基本全部が大喜利だと思っているから。クライアントに大喜利のお題をもらって、自分で楽しむスイッチを入れる。
話が通じない時も、それを面白がってしまえば話が聞けるじゃないですか。それに対して何答えようって考えるから、割と無理ですっていうのはないと思う。

曽我 まずは受け止める、っていうのは大事だと思いますね。

日野 僕もその度量は持っていたいと思っています。そこは譲れないと主張すると言うより、どれだけ相手を受け止められるかですよね。

藤本 そっちの方が正しいですよね。

日野 いろんな意見がありますからね。その人の立場に立てばその意見が正しいって言うこともあるじゃないですか。だからまずは話を聞いて理解しようとはします。

藤本 “聞く”っていうのは、取材するってことだから。僕らの仕事はやっぱり聞くことからしか始まらないんですよね。

曽我 編集力の影に取材力ありですね。

 

コトバナ編集後記

10回目を迎えた「コトバナPlus」も時間が足りないほど話は膨らんでいきました。お二人の熱い話はまだまだ尽きません。

地域に根付く問題を編集という目線で切り開いてきた藤本さんと日野さん。幅広い活動の中には、“よそ者”ならではの視点や取材の重要性など、たくさんのヒントがありました。「のんびり」や「絶メシ」などのコンテンツが地元の人にとって新たな驚きとして受け入れられたのも納得です。

ローカルの分野だけではなく、ビジネスの場面でもさまざまな変化を与えてくれそうな編集力。大事なことはいつでも足元にころがっています。意識してみると、また新しい世界が広がるかもしれません。

(記事:アナバナ編集部、撮影:西澤 真喜子)

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