インタビュー

長崎市の漁師町・茂木に、新たに誕生したホテル「月と海」。 地域まるごとホテルの発想で挑む“住み続けたいまち”のあり方とは?

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長崎市内から車で25分、かつては料亭街として賑わった漁師町・茂木。ここに2020年12月10日、新しく「NAGASAKI SEASIDE HOTEL月と海」(以下、月と海)がオープンしました。

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発起人は、茂木を訪れる旅人の拠点となっているゲストハウス「NAGASAKI HOUSEぶらぶら」(以下、ぶらぶら)を運営する大島徹也さんです。3月に茂木の地域活性を行うための会社「株式会社ここから長崎」を立ち上げ、その取り組みの第一弾としてのホテルとなります。アナバナを運営するダイスプロジェクトも、地域を元気にするこの試みに賛同。ブランディング・アートディレクションという形で関わり、長崎にゆかりのあるメンバーを組織して情報発信などを行なっています。

2019年から着々と計画を進めていた最中、世界中を襲った新型コロナウイルスの影響により、一時は進行を危ぶむ場面もありました。しかし、大島さんの決意は、そこで手を引くような生半可なものではありませんでした。多様なメンバーが自分の持ち場で役割を発揮して進められてきた本プロジェクトを、本稿ではまず、プロジェクトの中心人物である大島さんと、「月と海」の建築設計を手掛けた株式会社オンデザイン・パートナーズの設計士・森詩央里さんのおふたりの声を通して、プロジェクトの全貌をお伝えしていきます。

地元・長崎が世界に誇れるもの

新しくオープンする「月と海」は、もともと「いけす割烹 恵美」という宿泊のできる料亭でした。隣にある「ぶらぶら」は、元「海月」という料亭。そう、この一帯は、昭和に栄えた料亭が立ち並ぶエリアなのです。茂木は、昭和の初期には洋館づくりの「長崎ビーチホテル」が外国人客で賑わい、さらに前の江戸時代にも海上交通の要所として栄えるなど、昔から人の往来がある賑やかなエリアでした。それが、都会への人口流出や少子高齢化などの問題でじわじわとその活気を失っていった地域でもあります。

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今回のプロジェクトの発起人である大島さんは、茂木のちょうど対岸側にある、南島原市口之津(くちのつ)の出身です。茂木とよく似た漁師町で育ちました。父は、世界を回るタンカー船の料理長。半年は国外にいて、半年は休みという生活だったそうです。父の影響もあり、小さな田舎町から抜け出して世界を見てみたいと常々思っていた大島青年は、アメリカや韓国にホームステイをして、海外や都会への憧れをさらに募らせていきます。大学時代はパリに留学し、ヨーロッパの街並みの美しさに感動。その一方、どんどん活気がなくなっていく地元の街に対して、危機感も感じていました。そして、転機は大島さんが20歳の時に訪れます。海難事故で、父を亡くしたのです。

「おかしな話かもしれませんが、悲しみと同時に、身体の底から力が湧き上がってくるのを感じました。人はいつ死んでしまうかわからない、それならいま、チャレンジしなければ。その時の決意は、今でも僕の行動の源泉になっていると思います」

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地元は好き。でも仕事がなければ、出て行かざるを得ない。どうしたら地域が元気になるのかを考えるのが、大島さんの仕事

そして大島さんは、まちづくりを生業とすることを決めます。最初から独立を視野に入れ、まずは不動産会社に就職して業界のいろはを学んだのち、ピースボートに乗って1年かけて世界を見て回りました。南米やアフリカ、日本にいたら想像も及ばないような世界の国々を自分の目で見て、あらためて気づいたのは、地元長崎の海の美しさと生活環境の良さでした。大島さんは、26歳で長崎に戻り、長崎大学の事務職員として働きながら、ピースボートで出会った仲間たちとともに、茂木にゲストハウス「ぶらぶら」を立ち上げます。外から来た人が地元とつながる拠点として、ゲストハウスはぴったりだと世界の旅で実感していたからです。当初は出資者が別にいて、雇われ支配人の立場でしたが、その後に覚悟を決めて、大島さん自ら建物と土地を買い取り、改めて経営者として運営を開始。そしてこの度、同時に購入していた「いけす割烹 恵美」を改修し、新しいホテルをつくろうと始めたのが、このプロジェクトなのです。

地域まるごとホテル

「月と海」は、単なる旅行者向けのホテルとは大きく異なります。レストランは併設していますが、ホテル内で完結してグループに利益を残すという考え方とは正反対。「泊食分離」のスタイルを追求し、地元の料亭や居酒屋などとも積極的に連携、茂木の街全体でおもてなしを実現しようとしています。そこには、あるヒントがありました。

「イタリアに、アルベルゴディフーゾという地域再生の取り組みがあります。実際に見て回った時、従来の観光とは少し違う、より自然で地域の持続可能性にもとづいた地域活性のあり方を見た気がして、これを長崎でも実現したいと思ったんです」

アルベルゴディフーゾとは、「アルベルゴ=宿」、「ディフーゾ=分散している」という意味。地域に散らばっている空き家を宿泊部屋として活用しつつ、食事は地元の食材屋やレストランが受け持ち、村全体をホテルに見立てた取り組みです。ガイドブック片手に観光スポットを巡る旅ではなく、サービスが画一化されたホテルもなく、それでいて地域の豊かさをそのまま感じられるような、地元と交わる旅のあり方。それが大島さんが目指すものであり、その最初の宿泊拠点として「月と海」は計画されました。

「茂木の橘湾は、水資源が豊富で、今でも漁師さんたちの生業となっています。僕らはこの橘湾の恵みを活かして、橘湾をぐるりと取り囲むように、かつての賑わいを取り戻したい。それを、『橘湾オーベルジュ構想』と呼んでいます」

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朝日が海から昇るのが茂木の特徴。漁に出る光景から、茂木の朝は始まります。茂木の朝をさまざまなアクティビティとともに楽しむ活動「GOOD MOGING(グッドモーギング)」(https://goodmoging.com/)もスタート

朝日が海から昇るのが茂木の特徴。漁に出る光景から、茂木の朝は始まります。茂木の朝をさまざまなアクティビティとともに楽しむ活動「GOOD MOGING(グッドモーギング)」もスタート

オーベルジュとは、レストランが主体となった宿泊施設のこと。もともとは、腕の立つシェフが新鮮な食材を求めて郊外にレストランを開き、それを目当てに都市部から車でやってくるという利用スタイルから生まれたものです。当然ワインなどのお酒も楽しむことになるため、そのまま泊まりたいという需要に応えて、宿泊機能を持つようになりました。これは、料理自慢の料亭が宿泊機能を持ち、同じ街道沿いに何軒も並んでいたかつての茂木のイメージとも重なります。

「長崎には、卓袱という伝統料理があります。これは、長崎がオランダや中国など海外への玄関口だったことから、日本料理の伝統と混じりあい、生まれたものです。そんな長崎が誇る食文化をアップデートして、茂木から発信できないかなと。外国人が多く集まるリゾート地として洋風料理を出していた時代もあるので、いろんなものが入り混じった茂木から、新しい料理を模索していきたいと思っています」

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建物の記憶を継承する

「月と海」の建物は、しっとりと落ち着いたアースカラーで包まれています。「恵美」から引き継いだ玄関口の松の木をくぐると、茂木の特産品である枇杷(びわ)で染め上げた暖簾が、お客を出迎えます。正面はそのまま、光のさす中庭。右にレセプションとラウンジ、左は『波まち食堂mog』へと通じています。2階は趣向を凝らした、部屋ごとに仕上げが異なる客室。海側の部屋は、踏み入れた途端、面前に海が広がり、「月と海」を象徴する光景となっています。快適性を追求しながら、随所に恵美時代の面影を残し、ていねいな手仕事で全体を調和させる……新築ながらすっかり街の風景になじむ建物ができあがりました。これらの設計を一手に手がけた森さんとは、どんな人なのでしょうか?

森さんも、大島さんと同じく長崎県出身です。同じように、地元への愛着と、外の世界で可能性を広げたい気持ちとで、心が揺れていたと言います。

「私は、長崎市の外れにあるニュータウンで生まれ育ちました。少しでも何かすれば目立ってしまうような環境に、どこか居心地の悪さを感じていて。私の本当の居場所はどこにあるんだろう。きっとここではない。だから早く外に出たい。そんなことばかり思っていました」

高校と大学で住居とインテリア設計を学んだのち、コミュニティや都市再生と建築を結びつけて課題解決を行う横浜の建築事務所オンデザイン・パートナーズに就職。そこで多くのプロジェクトに関わることになります。街の課題や社会が抱える問題を建築でいかに解決していくか、その実践を学びながら、森さんは次第に設計全体を任されるようになります。仕事にも慣れてきた頃から、ふと長崎になつかしさを感じて、タイミングをみては帰るようになりました。ちょうどそんな時期に大島さんと知り合ったことから、今回の「月と海」の設計を依頼されます。

「はじめは、地元である長崎で仕事ができることが嬉しくて、夢中で進めていました。でも次第に、この仕事への責任を大きく感じるようになって。地元の人たちは、ここが昔は賑わったいけす割烹だったことをよく知っています。その記憶を引き継ぎながら、いまの時代にふさわしいにぎわいをどう作り出していくのか。よく考えないと先に進めないと思うようになっていきました」

折しも、コロナウイルスの影響は日に日に大きくなり、森さんは横浜に帰ることもままならず、「ぶらぶら」の一室に泊まりながら、一人で図面とにらめっこし、考えて過ごす時間が増えたと言います。

「かえってそれがよかったのかもしれません。仕事に打ち込める環境も時間もあって、目の前には静かな海と、夜に差す月明かりだけがあって。『月と海』の部屋で過ごしてほしい体験とはどんなものであるべきか、納得いくまで追求することができました」

森さんがかつて、地元を早く出たいと思っていた頃の気持ち。その時に感じていた、自分の居場所のなさ。それは、自分自身の問題でもあり、衰退していく地域が持つ閉塞感からくるものでもありました。その後、地元を離れ、経験を積んできた森さんなら、いまなら居心地の悪い空間を自分の手で良いものに変える力を持っている。そう自分の力を信じた結果の、チャレンジだったのかもしれません。
「かつての私と同じように、自分の居場所にしっくりこないと感じている誰かが、安心できる部屋を作りたい」。森さんは、「月と海」の部屋づくりを、そんな風に解釈したと言います。

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建築の世界は、完成までに長い時間がかかる。だから、自分の手で作ったものが形になる感覚を、もっと短く、忘れずに得ておきたい。そう思って森さんは、「月と海」の設計期間中に陶芸も学び始めたのだそう

そうしてできた部屋は、全部で14室。窓の大きさから室内家具の配置、壁の色まで、すべての部屋で微妙にしつらえが異なり、それらはすべて森さんの意図によるものです。
「どんな気持ちの時に来たとしても、しっくりとくる部屋があるように」。森さんのやさしい眼差しが作り上げた部屋の数々、ぜひ訪れて体験してみてください。

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住み続けたい街は、訪れたい街

このプロジェクトにはまだまだ多くの魅力的な人たちが関わっているのですが、今回はここまでです。最後に、大島さんが目指す地域活性の未来像を、ご紹介します。

「僕、実は『観光』という言葉はあまり好きじゃないんです。茂木には遊びにきてほしいですけど、茂木を観光業で潤わせたいわけじゃない。僕が望んでいるのは、茂木がこれからも暮らし続けられる街になることです。建物やお庭がきちんと手入れされていて、空き家がなくて、人々の日々の営みがあって。そんな中に、遊びに来る人や移住してくる人たちがいて、交わりがあって、街に少しずつ変化をもたらしていく。だから持続可能な街づくりって、結局は住み続けたい街をつくることだと思うんです。それができれば、訪れたい街にもなるだろうから」

新型コロナウイルスの影響で、観光業は軒並み大きな打撃を受け、たった1年前とは比較にならないほどの変化を余儀なくされています。しかし、この節目の年にこそ、私たちは「観光」の意味をもう一度問い直すべきなのかもしれません。住み続けられる街こそ、訪れたい街。大島さんたちの挑戦には、そのヒントがたくさんあるはずです。

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NAGASAKI SEA SIDE HOTEL月と海
所在地:長崎県長崎市茂木町2190番地7
TEL:095-836-2920
MAIL:info@tsuki-to-umi.com
https://tsuki-to-umi.com/

(取材・文:佐藤 渉 写真:宇川 雅紀・宮崎 慎也・アナバナ編集部)


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