レポート

Y氏がオススメする大刀洗周辺のディープなアナバ。ガイドブック代わりにどうぞ。【歴史編】

知る人ぞ知る人気ブログの管理人Y氏より、大刀洗周辺のアナバまとめが届きました。

昨年開催した「呑み飲み蚤の市」で千代トークに花を咲かせてくれてたY氏。今回、アナバナ編集部で制作させていただいた大刀洗町の紹介サイト「FLAT」では、大刀洗町のアナバを紹介してくれました。その番外編ということで「Y氏がオススメする大刀洗周辺アナバ」をお寄せいただきました〜。

このまとめをガイドブック代わりに大刀洗町をウロウロしてください!!

〜▽〜▽〜Y氏の大刀洗まとめはココカラ〜▽〜▽〜

福岡市から車で約1時間ほどの距離にある三井郡大刀洗町。

以前にわたくしの運営するブログ「Y氏は暇人」で大刀洗町のスポットをいくつか紹介しているのですが、今回あらためて訪問してみると・・・まだまだユニークなお店や意外と知られていないスポットがたくさんありました!

ということで、甘木鉄道の大刀洗駅周辺を中心に「歴史編」と「グルメ編」の2回に分けて紹介していきたいと思います。

(◎ご注意:「太刀洗」「大刀洗」と、大刀洗と表記する際に、”太”か”大”か問題が浮上しますが、ここでは市町村名をあらわしている時には「大刀洗」、その他施設名などに「たちあらい」が付いている場合は施設がオフィシャルにどのように表記しているかを確認して「太刀洗」もしくは「大刀洗」と表記を変えています)

太刀洗レトロステーション

甘木鉄道の太刀洗駅には「太刀洗レトロステーション」という施設が併設しています。

ここには館長の渕上宗重さんによるラジオ、テレビ、映写機のコレクションを中心に戦前〜1970年台ぐらいまでのレトロな家電、日用雑貨、おもちゃなどが大量に展示されています。

実はこの太刀洗レトロステーションは大刀洗平和記念館の前身となった施設で太刀洗駅の無人化にともなって取り壊される予定だった駅舎を使って渕上宗重さん個人で設立されたものだそう。

個人の尽力でここまでの規模になるとは・・・。レトロ好き必見ですよ。

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たくさんの「レトロ」で埋め尽くされた館内。若い人にとっては新鮮、当時を知る人にとっては懐かしい品々がたくさんです。

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たくさんの「レトロ」で埋め尽くされた館内。若い人にとっては新鮮、当時を知る人にとっては懐かしい品々がたくさんです。

大刀洗平和記念館

太平洋戦争関連の資料が約1800点展示されている大刀洗平和記念館。

特に特攻関係の資料は貴重なものも多く、遠方からも訪れる人が多い施設です。

館内には零式艦上戦闘機三二型(ゼロ戦)の実物が展示されていて、戦時中にどのようなものが使われていたかを身近に知ることができます。

また、博多湾から引き上げられた九七式戦闘機も展示されています。

これは実際に特攻に使用される予定だったものが博多湾に不時着し、平成8(1996)年に引き上げられて展示されたものです。

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資料だけでなく映像による解説や再現もあり、平和について、戦争について詳しく知ることができます。

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零式艦上戦闘機三二型(ゼロ戦)の実物。復元でない実機はこの一台のみだそうです。

戦争遺跡

戦時中、大刀洗には日本陸軍の飛行場である大刀洗陸軍飛行場がありました。

大陸へ近いこと、海から遠く防備にも優れていることなどからこの場所が選ばれたと言われています。

日本各地から多くの隊員が集められ訓練に励み、そして戦闘へと向かって行きました。

戦争が終わってから飛行場は解体され家や田畑、工場となりましたが太刀洗駅周辺には現在でも飛行場だった時のなごりがわずかにあります。

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【左上】飛行第四聯隊(れんたい)営門【右上】第5航空教育隊正門【左中】監的壕(射撃訓練の監視施設跡)【右中】憲兵分遣隊舎の煉瓦塀(憲兵分遣隊とは飛行場周辺の治安を監視した組織)【左下】飛行隊井戸(飛行隊の生活用水)【右下】時計台跡・西日本航空発祥記念碑

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戦争遺跡の近くで見つけた古い瓶。「梅津商店」と書かれています。注意深く観察すると、こういった戦時中に使われていたような煉瓦の瓦礫や陶器の破片などを見つけることができます。(※くれぐれも持ち帰らないようにしましょう)

大刀洗の名前の由来になった(と言われる)場所

日本三大合戦の一つとも言われる筑後川の戦い。

この戦いは南北朝時代に起きた南朝と北朝の大合戦ですが、戦いに勝利した武将菊池武光が血のついた太刀(たち)を洗った場所がこの場所だと言われています。この”太刀”を”洗”ったエピソードが元となってこのあたりの地名が太刀洗になったと伝えられています。

でも・・・思ってたより意外と小さな川なんだな・・・。

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菊池武光が血のついた太刀を洗ったと言われる太刀洗川。太刀洗橋の横には「菊池武光公大刀洗之碑」が建てられています。

米軍機による弾痕が残る「菊池武光像」

大刀洗公園内にある菊池武光像。昭和12(1937)年に建てられたものです。

馬をひく菊池武光の勇猛果敢な姿が表現された像ですが、よく見ると馬の腹の部分や台座部分に直径3センチほどの穴が数か所開いているのがわかります。

これは戦時中に米軍戦闘機から受けた銃弾の痕なのだそうです。

こういったところにも戦争の跡が残されています。

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台座から銅像にかけて全体的に銃痕があるにも関わらず、不思議なことに菊池武光像には銃痕がひとつもないのだそうです。

隠れキリシタンが暮らした今地区の今村教会堂

大刀洗町の今地区は江戸時代に隠れキリシタンが暮らしていた場所です。

戦国時代頃からこの周辺にキリシタン信仰が根付いていたと考えられていますが、豊臣秀吉や徳川家康の時代にキリシタン弾圧が行われ、この地で暮らしていたキリシタンたちは隠れキリシタンとして信仰を守り続けました。

明治維新後、禁教令は解かれたものの宗教的に周囲の地区との違和感を感じた一部の人たちは新天地を求めてブラジルへ移民しています。

その関係もあってか、今地区では古くからコーヒーが飲まれていたと言われています。

移民先で成功した人がいる一方、強制労働に近い形で働くことを強いられて苦労した人もいたそうです。

そんな壮大なドラマがあったことはあまり知られていませんが、周囲の建物と不釣り合いなほど立派な今村教会堂の建物からはそんな人々の強さのようなものを感じることができます。

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大正2(1913)年に教会建築で有名な鉄川与助によって建てられた今村教会堂。赤煉瓦造りの美しい建物でステンドグラスに光が差し込むと幻想的な雰囲気になります。

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ちょっと注目!教会近くの交差点にはユニークな「あぶなかばい」の注意喚起の表示が!

 

大刀洗町の近隣にはこんなものもあります!

太刀洗通信所

大刀洗町にほど近い筑前町の県道593号線を通っていると突如現れる巨大なメロンのような丸い物体。

実はこれ、自衛隊の施設「太刀洗通信所」なんです。

この施設では防衛のために必要な情報を取得するためのもので、軍事通信などを日々分析しているのだそうです。

もちろん一般には非公開なので中がどうなっているのかは謎。ヒミツの施設にちょっとドキドキします。

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かなり遠くからでも存在が確認できる「太刀洗通信所」。門の前には自衛隊の隊員さんが警備されていて、丸いフォルムとは不釣り合いな、緊張感のある雰囲気でした。

まとめ

戦時中には東洋一とも言われた大刀洗陸軍飛行場。

現在、大刀洗町にはそんな軍事施設があったとは信じられないほどのどかな風景が広がっていますが、わずかに残る大刀洗陸軍飛行場の痕跡や戦争遺跡を見てみると、かつて起きた戦争がどういうものだったのか、今の平和がいかに大切かということを考えさせられます。

それだけでなく、隠れキリシタンの存在など意外と知られていない歴史が多く、そういった逸話のある土地に実際に足を運んでみると写真や文字だけではわからなかったことが見えてきます。

みなさんもぜひそれらの場所に実際に行って歴史に触れてみると様々な発見があるかもしれませんよ。

>>次は大刀洗町の「グルメ」についてお伝えします!

(写真/文 Y氏(山田孝之))

▽大刀洗アナバ情報【歴史編】

■太刀洗レトロステーション

福岡県朝倉郡筑前町高田417−3

■筑前町立大刀洗平和記念館

福岡県朝倉郡筑前町高田2561−1

■菊池武光像(大刀洗町公園内)

三井郡大刀洗町山隈159-5 大刀洗公園内

■今村教会堂

三井郡大刀洗町今707


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